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HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

第一期活動「ファシリテーター」編、終了

【告知・報告】

 今年の8月と10月、そして今日と、全三回にわたって発達障害の勉強会を開催しました。

 参加してくださった皆様ありがとうございます。自分も発見の連続でとても勉強になりました。

 

 私の勉強会の内容は、「感覚」と「会話」のトレーニングを主に、あとお芝居というか、ミニコントのようなものも取り入れました。最初はトレーニングの内容だけで考えていたんですが、自分は創作をしますから、何か物語の要素を加えられないかなと思い、じゃあ「発達障害あるある」のコントを取り入れようと思いついたわけです。

 

 

 

 この記事では勉強会の内容紹介や、おさらいをします。

 

 「感覚」のトレーニングは、ケアレスミスの克服、及び集中脳の習得が目的です。やることは単純で、「シンボルノック」といって、たくさんの記号を書き写して頂きます。

 前の黒板に30個程度の記号が4列くらいに分けて書いてあり、それを、

 

A『記号を一文字ずつ確認しながら書き写す』

B『黒板をなるべく見ないで、一度にたくさん書き写す』

 

 という2種類のやり方で紙に書き写していただきます。

 

 Bのやり方が、ミスが置きやすいやり方です。この「意識を一筆書き」しているような感覚が自然体だと、日常や仕事中に思いがけないアクシデントが起こります。それがケアレスミスや凡ミスというわけです。これは「感覚を分割して使うこと」を自然体にすることで緩和、または解消できます。それがAの感覚の使い方です。わかっていることでも一度に一気にやろうとせず、一つ一つ行うわけです。

 

 なぜあの人はミスばかりするのか、どうすればあの人のようにミスをしなくなるのか、その理由に気づけないのは、前述したような感覚の使い方が複数あることを知らないからです。

 Bの人は、Aの感覚の使い方を知りません。そしてAの人も、Bの状態を知らないわけです。だからAとBの状態を、トレーニングをもって体験して頂きました。

 

 私もケアレスミスに悩まされた時期がありました。特にアルバイトをしていた頃は、普通の人が半月に一度やるかどうかのミスを、毎日何度もやらかしていました。それが何年間も解決できず、仕事をクビになったことはないのですが、職場にいづらくなって辞めたこともありました。

 それがこの仕組みに気づいてからは、二週間程度でケアレスミスが激減しました。

 

 自分が行ったトレーニングは強引な方法で、とにかく日常動作の中で、Aの動作を取り入れました。ただそれだけです。例えば、ドアを開ける時、コップをつかむ時、なんでもいいので、自分の動作をコマ送りにします。一時停止を繰り返しているように行います。自分の中に叩き込むように、繰り返します。最初はずっと集中状態が続くのできつかったのですが、二週間程度でミスをほとんどしなくなっていることに気づきました。。一ヵ月後くらいにはもう十分かなと思えたので、トレーニングをやめました。その頃には、元々Bだった自分の感覚が、自然体でAになっていました。

 

 

 「会話」のトレーニングは、会話の仕組みから、失言の克服や会話スキル向上の話です。会話は、野球のキャッチボールに例えられることもありますが、実際には卓球のラリーのような速度と連続性のある性質のものに近いのです。キャッチボールは球を受け取ってから任意のタイミングで返せるものなのですから、それってどちらかといえばメールやチャットに近いですよね。

 発達障害の事をたくさん勉強して普通の人の考え方をどれだけ学んでも、どうしても上手く話せなかったり失言が耐えないという人は、速度やテンポの部分が未熟で、つまり自分で自分を急かしてしまったと考えられるわけです。そりゃ変なことを口走ってもおかしくないわけですね。

 

 会話の仕組みに関してその理解を深める為に、参加者にはサーチアップというトレーニングをしていただきました。「正方形」や「正三角形」といった記号を言葉で説明するというものです。ただし、なるべく短い言葉で、なるべく算数的数学的用語を使わないで説明して頂きます。なるべくだから別に混ざってもいいです。なるべく用語を使わないように説明するのです。目標は、正方形を知らない人がその説明を聞いただけで正方形が頭に浮かべられるくらい、理解できることです。

 

 実際にこれをやってみると、定められたルールの中で、使える言葉、使えない言葉を頭の中で選別する事になります。

 それは会話の仕組みにも同じことが言えます。

 

 場の空気や、社交辞令、暗黙など、目に見えないルールの中で、最適な範囲の中から言葉を選びます。もしそのルールを理解せずに喋ったら、きっとその会話は、上手くいきません。

 こうしてみることで、ルールはある種の「法則」であり、言葉とはその法則を基に選択される流れがみえてきます。

 

 法則さえわかっていれば、あとは検索速度の問題です。

 

 トレーニングとしてこれをやると、頭を使いすぎてやや疲労を感じます。でも実際には、「どんな時も喋る時は頭を使う」それでいいのです。また、制限をかけて回答を考えることで、制限が難易度を上げたように思えるところもあるのですが、実際には制限のお陰で検索範囲を絞り込めたし、自分の知ってる言葉だけで対応できる条件を得たわけです。

 

 このトレーニングも繰り返し行うことで、説明力の向上に繋がります。慣れれば喋りながら頭の中で検索をかけることができるようになります。何より、考えながら喋ることを自然体にできることが大きいです。それ恐らくですが、定型発達の喋り方に近い働きです。

 頭の中で言葉を変換することが得意になりますから、聞き取り能力の底上げ効果も期待できます。

 

 

 というようなトレーニングを行ってきました。

 

 社会の中では「落ち着いて」とか「もっとよく考えて」とか、様々な場面で叱責や注意を受けることがありますが、物事の仕組みなどを聞き手が理解できるよう説明できる人とは、なかなか巡り合うことが叶いません。一般雇用の立場で働くと特にそうなのですが、「考え方のところ」から、自分の力でなんとかするしかない場面の方が多いのです。

 

 

 そんな時に頼りになるのが、「言葉」だと私は思います。

 

 獣は弱者の後を追い、人は言葉の後を追いかけて、生きていくものです。

 

 言葉で説明できることで、物事の難易度を下げることができます。

 それは生きやすくなるということに違いありません。

 

 当事者会などを通して、人々のコミュニケーションがどんどん活性化していくことを切に願います。