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HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

『ツイート鑑定団』になってはいけない

【発達障害】
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2016/01/30 続き書きました。

「支援に愛は不要」……という当事者からの『注文』 - HyogoKurumi.Scribble

 


 

先日、いつものようにTwitterのタイムラインを読んでいたら、このツイートが目に留まった。誰かのリツイートだったと思う。

 

 

一目みて「荒れてそうな言い方だなぁ」と思ったわけだが、このツイートについたリプライを見てもらえればわかるように、やっぱり叩かれていた。なぜそう確信めいた印象があったかというと、「愛のある支援」という一文があったからである。これは「愛=支援」と認識しちゃう人が絶対に反応してるんだろうなと思ったからだ。

この時の私の心境をもう少し詳しく話すと、我が家にはテレビがないので、この伊藤という人がどこでなにをしている人なのか、全然知らない状態である。プロフィールをみてメディア関係の人であることは把握したけど、この文章を書いている今だって、Twitterのプロフィールに書かれている内容以外の情報は特に持っていない。

 

このツイートに関したやり取りを見ていくうちに、どうやら彼は前々から「問題発言をする人」とされていて、ずっと粘着しているアンチがいることもわかった。

もう少し詳しく知りたいのでこんな呟きしてしてみた。するとたくさんの意見をもらうことができた。わりと構えていたんだけど、ほとんどの方が丁寧に説明してくれた。

 

 

タイムラインの内容の9割以上が、特定アカウントに対するヘイトツイートだったサイコパスは流石にブロック+通報した。プロフに医師と書かれていたが、恐らく気の毒な中~高校生だろう。

 

伊藤氏の言動に対して、問題提唱をしている人たちが少数ながらいることがわかった。奇妙に感じられるほど、高すぎる温度で叩かれている理由がそれだったのだ。

 彼らの言い分を要約すると「この人は前々からこうで、だからこのツイートも問題なのだ」ということらしい。その上で「だからその歴史を知らないと、このツイートが叩かれている経緯はわからないと思う」という補足をしてくれた人もいた。という意見が多かったので、私も一応過去のツイートをおいかけて、他の人が〝晒している〟伊藤氏のツイートもだいたい目を通したのだけど、正直、解釈が歪んでいたり、こじつけと思しきものしか見つけられなかった。

 

この記事で扱うところはその伊藤氏を取り巻く問題ではなく、本題は上記のツイート内容に対する誤読とその解釈である。と言っても、発達障害界隈においてこの類の誤読を、ただそう「誤読」と言っていいものだろうか、悩むところなのだが、適切な言葉があれば教えてほしい。

 


 

改めて、伊藤氏の呟きを読み返してみよう。尚、文頭の「発達障がい」は恐らく「害」という字の使用を避ける為であって、それ以外の意図はないと仮定する。

 

『「発達障がい」というワードは大嫌いだ。何が正常で何が異常なのか?何でも白黒付けたがる連中には格好の用語。子どもの成長や学びの過程は本当に一人一人違う。限られた時間の中で結論を出そうとする教育は自立を待つことのゆとりを忘れて成果だけを求める。本当に必要なのは愛のある支援に違いない。』(140字きっかり)

 

貴方にはどう読めたか。私なりの解釈を書こう。

 

発達障害」という名称はとてもよくないと思っている。個人的な印象を言わせてもらえば、正直言って、嫌いである。世の中には本当に、なにを言っても通じない、どんな体験をしても理解できない迷惑な人達がいるのだ。何が正常で何が異常なのかと、何にでも白黒、優劣をつけて、そういう基準でしか物事を考えられない輩がいるのだ。そんな者達にとって「発達」「障害」というワードは弱者連想ばかりで、当事者達のことを自分が満悦する為に利用する。人間の成長や学びの過程は一人ひとり違う。しかし今の社会の現状は、限られた時間の中で結論を出そうとしてしまう。子供たちはそのシステムに逆らえないし、提示された結果に沿うばかりの日常で、それが人生なんだと思い込んだまま社会人になる。一人ひとりの教育に時間をかけた、本来あるべき適切な教育や支援を、早く実現しなければいけない。無論、どんなに優れた制度も機械的に行うばかりでは今の繰り返しだ。相手を思いやる気持ちをもった上で実行することが求められる。

 

細かいニュアンスや温度に違いはあるだろうが、主旨は捉えているだろう(そうであってほしい)。詳細に根拠や必然性を完全説明するとしたら、そこそこ分厚い本が一冊できちゃうくらいのことが、あの140字には書いてある。

 もう少し、ざっくりいこう。このツイートは分割すると構造がよくわかる。

 

――「発達障がい」というワードは大嫌いだ。何が正常で何が異常なのか?何でも白黒付けたがる連中には格好の用語。

(「発達障がい」という名称が一部の人間をつけあがらせることを嘆いている)

 

子どもの成長や学びの過程は本当に一人一人違う。

(社会がもっと目を向けて重視するべき事実を訴えている)

 

限られた時間の中で結論を出そうとする教育は自立を待つことのゆとりを忘れて成果だけを求める。

(制度の限界を認めつつも、今の社会の問題点を述べている)

 

本当に必要なのは愛のある支援に違いない。

(ポエム+理想+事実)

 

で、このツイートを問題視している人達の意見をまとめると、どうやらこのように読めたらしい。

 

私は発達障害という診断が大嫌いだ。発達障害なんて考えた奴は、なんでも白黒つけたがっている連中に違いない。連中は正常な人を異常扱いしているのだ。子供の成長は一人ひとり違う。ちゃんと育てれば発達障害みたいな人には育たない。発達障害なんて本当は存在しないのだ。愛さえあれば万事解決するのだ

 

先に述べた、前々から伊藤氏のことを問題視している人たちが、その先入観により乱暴な解釈をしてしまったことについては仕方ないとしよう。自分からみて嫌いな奴が言うことは、なんでも嫌なものにみえてしまうものだ。同じ事を言ってる人がいるのなら尚更、人の意識はそのようにできている。

 

ただ誤読ツイートをしている人の中には、私のようにこの件で始めて、この状況を知ったのではないかという人も散見している。

 たとえ私の解釈が間違っていたとしても、この3点の解釈には無理がある。

どこにもそのような内容は書かれていないからである。


・【×】伊藤氏が、定型と発達障害を「正常 / 異常」と分けている。

「何が正常で何が異常なのか?」という記述だけを見てそう認識したと思われるがこれは厳しい。ここは「何が正常で何が異常なのか?と、何でも白黒付けたがる連中には~」と読む部分であり、「そんな風に思っている人がいる」と述べている。このツイートは140字きっかりなので、意味は通じるだろうと、どこかのタイミングで「~と、~」に値する部分を削ったと思われる。

 

・【×】伊藤氏は、発達障害者という線引きをなくし、定型として生きるべきだと言っている。
この解釈は一箇所に限定しにくいんだけど、とりあえず目立つ部分として、これ。『「発達障がい」というワードは大嫌いだ。』 「発達障害が嫌い」ではなく「~というワードが嫌い」、つまり「この呼び方が嫌い」と言っている。そう思った理由はそれに続く次の文章にかかれている。『何が正常で何が異常なのか?何でも白黒付けたがる連中には格好の用語。』この部分を別の言い方で書くなら、「万引きという軽い呼び方が嫌いだ。犯罪感が乏しいせいか、万引きに手を出す人が後を立たない」と、言っているようなニュアンスだ。

 

・【×】伊藤氏は、「愛こそが支援であり、愛があれば解決できる」と言っている。
最も物議を醸したであろう「愛のある支援」という一文だ。これを伊藤氏に対する先入観無しに、ただの初見で「愛=支援」と認識した人は重症である。誤読した人はきっと「窓のあるドア」と聞けば、窓そのものをドアと認識するのだろうね。「ほくろのある人」と聞けば、ほくろそのものを「人」と認識するのだろう。「借金のある人」はどうだ? 借金が人なのか? それは冗談だが、それくらいおバカな読み方をしている。日本語はそんな風にできていないぞ。

 全ての当事者の想いを代弁したような言い方をしているツイートもあったが、少なくとも30年間、定型発達として生きてきたアスペルガー障害の私は、そんな風には思わなかったぜ。


あと、票が少ないのでどうしようか迷ったが、一応紹介する。「愛のある支援」の部分についてだけアンケートをとったのだが、結果はごらんの通りである。大半の人が「支援に愛を込める」と認識した。

 

 


 

別に伊藤氏を擁護したりフォローしたいわけじゃない。叩いてる人たちを撃退する意図でこの記事を書いたわけじゃない。

だって、ある発言や情報に対して、問題提唱をしたり異論を唱えるのはいいことだと思うよ。でもその手段や、的にした対象が間違っていれば、他の人は「この人たちなにを考えているの?」って思うもの。「まぁー、叩いてるのは発達障害者の人達ばかりのようですから、障害特徴のせいで書いてある文章をちゃんと理解できなかったんじゃないですかねw」とか言われちまっても、いいのかね。

 

純粋な気持ちであのツイートを誤読してしまった人に、この記事がもう一度考えるきっかけになればいいかな、と思った。言葉ってすっげぇ面白いよね。この記事の内容、ツイートに対する私の解釈に間違いがある、誤読があるというのなら、是非聞かせてほしいよ。

 あと、私はこのツイートで巻き起こった炎上のことを、とてもわかりやすいモデルケースだと思ったから、記事にして残しておきたくなった。発達障害界隈にはこういう闇があるのだ。 

私は「発達鑑定団」とか「ツイート鑑定団」と影で呼んでいるのだけど、「その表現は誤解を招く」という大義名分を掲げて大騒ぎする連中だ。伊藤氏の炎上のこと? いやいや、こういう光景は小さいものも含めれば、あちこちで起きているんです。

 

彼らの主張は、まるで預言書の話を聞いているようなもので、なんでも、ネット上に書かれた文章の内容が、人を惑わし、苦しめるというのだ。なるほど、ノストラダムスの予言はこうして広まったわけである。 

私に言わせれば、「害をなさない言葉」なんて存在しない。どれだけの偉人が唱えた格言であっても、大勢を成長・回復させている影で、必ずどこかにダメージを与えている。それを人知れず誰かが復興・回復をしている。

そういう視点が社会人には求められると、私はそう考えている。 

誤解を招くと騒ぐことで、何が叶えられるといのか? 人を叩くことで、どのような効果が期待できるというのか? その一次効果と被害、二次効果と被害をどう想定しているのか。

 

で、この後はそういう話を書くんだけど、別の主旨の記事になるので今回はここで切ります。読んでくれた方ありがとうございました!

 

続き

hyogokurumi.hatenablog.com