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HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

アニメキャラクターの口真似は、発達障害と関係があるのか

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『他者とのコミュニケーションがうまくできないことで~、生き難さを抱えている発達障害者は多い~』なんて話をこの界隈ではよく見聞きする。そうなってしまう経緯は人それぞれで、特にどういう場面でという話にでもなれば、普通の雑談が上手くできない人もいるし、それはできても仕事のやり取りが上手くできない、という人もいる。

私もアスペルガー障害の人なので、コミュニケーションで問題を抱えることが多かった。中学生になってからはその特徴が本領を発揮したようで、常に誰かと人間関係の衝突を抱えていた。相手が急に怒り出して自分を無視する、というパターンが多かった。今はどうしてああなったか、その経緯がわかるんだけどさ。当時はなんにも気づけない奴だった。

いじめ状態に陥るのも早かった。想像してみてほしい、初めて出会って、いろいろ相手のことを知って、嫌いになって、それが周囲にも広まって、同調し合って、無視だけじゃなくいじめ状態にまで陥る。そうなるまでに、通常はどれくらいの期間を要するだろうか。私の場合、中学一年生の一学期の半ばからそうなってしまった。あまりに早すぎるだろ。中学二年生も、クラスメイトはかわったのに、すぐ同じような状況に陥ってしまった。そのお陰で自分のおかしさを自覚することができたんだけどね。


当時の私の言動の中で特におかしかったこと、それは「口真似」「オウム返し」である。

 

「口真似」は主に「アニメキャラクター」の真似だった。子供の頃に、好きなアニメキャラの決め台詞をちょっとだけ真似してやってみたことくらいは誰でもあると思うけど、「喋り方を一日中真似る」となると話はかわってくる。私の世代でいえば、「おぼっちゃまくん」や「クレヨンしんちゃん」の喋り方だ。アニメオタクが一発ネタでガンダムキャラの名言を言うのとは様子が全く異なる。朝から晩まで、人と喋る時はずーーーーーーーっとそのアニメキャラクターの口真似だ。親も先生も友達も相手は問わない。「~~~ぶぁい」「オラ、でも・・・・・」とか、そういうのを私は小学四年生頃まで続けていた。おぼっちゃまくんの「しぎゃっぴー」(驚いた時にあげる悲鳴)も、中学一年生の時まで使っていた。ちなみに、ガンダムBB戦士のプラモデルを手に持って、一人で全キャラ分の台詞を言いながらミニ劇場を広げる「お人形遊び」も、中学一年生になってもやっていた。

こういう真似動作は、中1の一学期半ば過ぎ、クラスメイトとの関係が悪くなって、周囲から嫌な意識をぶつけられないよう自分の言動に気を使ったり、塞ぎ込むようになったあたりから自然とやらなくなった。
「そもそもどうして中学生になっても真似を続けていのか」と、そう思いたくなるところだが、その認識は違うと言わせてほしい。

「そういう面白いのを見ただけで、その反射動作が勝手に頭の中に作られてしまう」と思ってほしい。自分の行動パターンの一つとして、無意識の内にインプットされてしまうのだ。

例えば、テレビで面白い場面をみて、翌日学校で「昨日のあれ面白かったよな~」と友達に話す。これが普通だ。わざわざ友達に話す理由を考える必要はないだろう。極自然な動作であり、ただの日常だ。
でも私の場合は違う。その「面白かったこと」を「自分で再現」しようとする奴だった。それが一番面白いと思えたし、そうしなければ悪いことだと思っていた。

一人じゃできない事であるなら、教室の誰かに適当に会話をふって、その面白いことをやる上で理想的なやりとりに少しずつ会話の流れを近づけていった。「相手がこれを言ったら、あれをやろう」と話を振る前から、流れは頭の中でできている。で「よし今だ」と思ったら、テレビで見た面白いことを言ったり、その動作をする。それで終わり。その後は会話が続かない。どうしても相手が思い通りの言葉を言ってくれないなら相手を変える。それが達成できるまで一日過ごす。だから同じ話を何人にも、翌日にも繰り返すことがあった。
自分の期待通りの言葉を相手が言うまで同じ話をし続けるのだ。そこに作為的な意識はなかった。みんなが当たり前のようにやっている楽しそうなお喋りを、自分もやっているつもりだった。


このように、やってることは全然違うのに、そうとは思えない。コミュ障特徴の強い障害当事者はよく「相手が急に怒り出した」と言うが、これが理由の一つである。
せっかく怒った理由を説明してくれても、自分に言わせれば「それはみんながやってること」なわけだから、「自分だけがそのことで怒られている」「自分だけが酷いことをされている」と思ったこともあった。こういう認識のズレを発達障害者はいくつも抱えていると思う。そりゃみんながやってる事で自分だけが怒られるのだから、困惑は拭えない。その自分の思い込みでつくりあげた地獄が、毎日~何年間も、続くのだ。よほど幸運にでも恵まれない限り、発達障害者は日常を過ごしているだけで勝手に病んでいくのである。

怒ったり叱ったりする、それだけなら簡単だが、わかるように伝えることまでを役目と考えると求められる説明難易度は高くなる。相手が発達障害者なら尚更である。学校でいじめが起きて、いじめた側に「なんでA君にそういうことをするの?」という質問が当然なげかけられるわけだが、誰も正確には答えられないだろう。

 

「オウム返し」は今の話よりも、もう少しわかりやすいと思う。中高校生の頃は自覚がなかったのだけど、私はどうも軽い難聴気味のようで、人の言った言葉をよく聞き返すことがあった。「別の作業をやってる時、急に話かけられると聞き取れない」とか、そういうのもあるけど、この話はちょっと違う。

いっぱいに広げた扇子を思い浮かべてほしい、それが普通の人の聞き取れる範囲だとしよう。じゃあその扇子を半分くらい閉じてほしい。それが私の聞き取れる範囲だ。それはもちろん例えでそこまで極端じゃないんだけど、音質の悪い古い電話機の受話器で人とやり取りする場合は、ちゃんと聞き取れるか、今でもかなり不安になる。

オウム返しとは、例えば「仕事の都合で新幹線で東京まで行ってきたよ」と相手が言ったとする。オウム返しとはその後に「東京まで行ったんですね」と、相手が言った事と同じ内容を言い返すことだ。特に相手が相談をしている時などは、ちゃんと聞いていることをアピールしたり、安心感を与えることができる。上手に活用したい会話のテクニックだ。

これが、私のような難聴気味の者の場合、「失礼します」精子出します」と聞こえたりする(実話)。ここはそういう話だ。


ふざけているんじゃない。実際に相手がそんなこと言うわけがないのに、そう聞こえてしまうのだ。もはやある種の幻聴である。さらに、そういうタイミングでさっきの「口真似」や、なんでも面白くしようとする特徴が無駄に働いて、こっちがどれだけ自然体で真面目でも、相手はおちょくられたと思って、怒ることがよくあった。丸ごと聞き間違えるのはそうそうないけど、部分的に聞き間違えたり、ある一語だけ聞き取れない、ということは今でもよくある。これが仕事中のことだと致命的な事故やトラブルに繋がったりもする。

人間は、聞き取れなかった部分を自動修復する機能を備えているらしい。「こんにちは」が周囲の騒音や喧騒音で「こ○にち○」とだけしか聞こえなかったとしても、その場のシチュエーションやこれまでの経験から補う事ができる力だ。しかし、他の障害特徴が悪さをして、その補い能力の精度が低く、その機能が都合よく働いてくれないのである。

 

耳の悪さは後天性のものかもしれないが、障害特徴は生まれつきのものでもあるので、まず「聞き間違えたかも?」と認識して気づくことが難しい。聞き間違えて別の意味に解釈したまま行動してしまうのだ。
一人でも完了可能な慣れた業務の時はいいけど、初めてやる業務とか、教わっている最中のことだとかなり大変である。不思議なもので、ゴールが見えている、わかっていることをやってる時は、いろいろ知ってるせいか、相手が違うことを言ったという認識が持てるので、聞き間違いにも気づきやすい。でも外からの情報を頼りに動いている時は大前提として、言われた事を頼る、信じるという意識があるので、聞き間違いも察知しにくいのでは、と考えている。


これらの特徴は、多動性や衝動性といったADHD特徴が原因の根に絡んでいるのでは、と私は思っている。ADHD(注意欠陥多動性、など)は、例えば「授業中立ち歩いてしまう」や「片付けられない」などの特徴を説明するときに使われる症例名だ。医学界での使い方に詳しくはないが、この言葉、私はもっと広い意味で使われてもいいと思っている。

 

一口に「多動性」と言われることもあるんだけど、これらの概念を「言動や思考面で、最高や完璧を目指してしまう性格特徴」のことを指す、と考えてみると、色んなところで辻褄が合うのだ。歴史上の学者や発明家たちに発達障害者が多かったと言われている背景(私は話半分に受け止めているけど)も否定しないし、この類の話をする上で、日常の実態と相性が良いと思える。口真似だって「一番面白い」をやろうとしてた感覚が原動力だ。難聴のオウム返しだって、難聴自体はどうしようもないが、完全に聞き取れていることを普通だと思い込んでいて、聞き取れなかったことは異常であり、なんでもかんでも正解をちゃんと知ろうとしてしまうから悪化を招いた部分もある。

 

というわけで、言動や思考面に多動特徴があって困っているという人は、常に50点~70点を目指すようにしてみよう。特に人との会話では、相手に100%伝えようとすること、100%理解しようとすることを、まずやめてみよう。そうすれば、言動や思考のパターンが、ちょうど良いところで調整できるかも。