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人は、言葉からは逃れられない。

制作日誌 No.1:発想

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 三十歳になってから、私はこれまでの半生を文章にまとめることにした。その日やることが終わってから、夜な夜なパソコンのメモ帳に文章を打っていた。
 いじめのことや、発達障害のこと、両親の宗教や自己破産、そして一家心中未遂のこと、一人暮らしのこと、歩き旅のこと……。ポツポツと書き連ねるだけでもきりがない。そのどれか一つだけでも超大作映画にできそうなくらい、私の人生はストーリーに満たされていると感じている。これからもきっとそうなのだろう。

 しかし、どうにも筆が重かった。私は自分の考えをまとめたエッセイだけではなく創作小説も書いてきたが、自分のことに関したエッセイは得意なのか、それほど頭を抱えずに書き上げてきたのだ。だからこの半生を綴る作品だって、文字数は最多になるだろうが、コツコツと書き進められる自信があった。どんな風に書いていくのか、そのイメージだって大体つかめているのだ。
 なんでこんなにも書けないのか、作品の重さにびびっているというのか? 拭いきれない違和感に包まれた中で、書いては消し書いては消し……を繰り返す日々が続いた。毎日書いていた日課がやがて数日間隔となり、数週間も手をつけない事が多くなった。一万文字以上かけたことはなかったと思う。生誕から保育園入園までを書いている間に、強烈なコレジャナイ感が襲ってくるのだ。

 その正体はわからないまま、私は創作活動から離れることとなった。自営の収入が期待通りに伸びなかった為、規模を縮小して就職の道を選ぶことにしたのだ。日中は工場の仕事をやり、帰宅してからは副業化した元本業に時間を使った。それから一年後、本業が再開できる状態になったので、就職先の環境や将来性を考慮して退職。自営を本業に戻し、創作活動にも復帰した。心機一転して、私はまた半生のまとめに挑戦した。

 復帰してから一ヵ月後ぐらいだったと思う。筆が進まない理由がわかったのだ。
 きっかけはない、唐突に私の中で膨らんだ感情だった。

『俺はこの作品を完成させても、満足できないのだ』

 例えば、これ以上ないくらいの完成度で書けたとしよう。作品はアマゾンのkindle電子書籍出版だ。それも毎日売れまくるとしよう。レビューも感想もたくさんついたとしよう。メディアからも声がかかってプロデビューできたとしよう。自分の作品で多くの人が救われて国民栄誉賞が授与されたり、人間国宝にもなれたとしよう。自分だけではなく、それまでに自分と関わってきた全ての人が、最後まで幸せに暮らせたとしよう。

 それでも満たされないと思った。
 コレジャナイ、ゼッタイニコレジャナイ。

『どれだけの作品を書けば、満足できるというのか』

 自分の半生を書く。
 つまり今までの自分の全てだ。
 これに勝てる作品って、なんだ?

 その答えに通じるヒントは割と近くにあった。
 それは、映画だったのだ。