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私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

発達障害グレーゾーンの境遇

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『空のとびかた』プロジェクトの方で行っているtwitterミニアンケート、最新のQ17はグレーゾーンに関するものにしてみた。
この界隈でいう「グレーゾーン」という言葉の意味は、「発達障害かもしれないけどどっちかはっきりしてない人」という意味だ。診察で発達障害を否定されても本人がまだ納得していなければグレーゾーン状態にあるといえるし、本人が無自覚でも周囲がそう思えばその人はグレーゾーンとなる。
そういう意味から言えば「自分や他者含め発達障害者として見たほうがいいかもしれない人」と言った方が、おおむねカバーできると思う。

言葉の意味だけの話をしてしまえばそんなところなのだが、このグレーゾーンというワードはただのカテゴリーとしてではなく、発達障害界隈に渦巻く大きな問題をも象徴してると言える。 発達障害の存在や特徴の認知はかなり広まっていると思うが、このグレーゾーン界隈の状況はあまり広まってないように思うので、私なりに説明してみる。

これを読んでもらえれば、発達障害という存在やワードがどうして今のような根深い問題となってしまったのか、そのスケールのイメージがもてるだろう。



■1.悩みの歳月が長い!

他の記事でもよく書く事なのだが、私は、中学二年生の頃のいじめ体験を通して、自身の奇異な性格を自覚することができた。今から十八年くらい前の話だ。それから診断に至るまでのエピソードをかいつまんで話そう。

その時にも親に「精神科へ行きたい」とまで話したのだが、相手にしてもらえなかった。その頃すでに私は、発達障害の知識はなかったにも関わらず「自分はまるで障害者みたい」「普通の人と障害者の中間みたいな?」「どのクラスにも何人か俺と同じような属性のやつがいる」「できて当たり前の事ができない」など、いま巷で語られているような発達障害者像のイメージまで持つ事ができていた。そこまでのイメージが持てた理由は、とある障害者のクラスメイトの言動と自分の言動に接点を見つける事ができたのと、一時のあだ名が「しんしょう」(身体障害者の略)だった事、あといくつか細かい要因が合わさり、当時の状況について「障害者並のなにか」というスケールを私に持たせてくれた。

自覚が持てたことで言動を自重するようになり、アスペルガー障害でよく言われるコミュニケーション難はそれまでよりも目立たなくなったが、ちょっとでも人と話すとすぐに相手を不愉快にさせてしまう事に変わりはなかった。他、注意欠陥多動性障害でよく言われる「ケアレスミスなどの不注意」や学習困難、若干の難聴気味なところもある。それからもずっと私は「自分は障害者みたい。普通の人を目指す」という意識をもって生きていた。

それから少しずつ、本当に少しずつだが普通に近づけている感を日々得る事が出来ていたので、自助努力でなんとかしていた。でも結局、高校生活の中で暴走族関係者とコミュニケーション上の事でトラブルを起こしてしまい、自信を失った私は高校を中退して家業の飲食店に就職した。 就職先がある、という条件もあったせいか、あまり強くは引き止められなかった。

家の仕事はホールスタッフと皿洗い、雑用がメインで、これといったスキルは習得できなかった。親を除けばスタッフが自分しかいなかったので、仕事中に調理をする機会がなかったというわけだ。あと、そこでも不注意やコミュニケーション難の特徴のオンパレードとなり、親からだけではなくお客さんからも、奇異な言動の事で叱られたことがあった。

発達障害」という知識を知ったのは二十四歳の時だったと思う。いじめ云々の話からみて、十年後だ。その頃、私は親の借金を引継いで家業の飲食店を存続させる立場にあった。ただ、母の仕事のやり方があまりに非効率だった事が気になり、ふと以前にワイドショーか何かでみた「片づけられない症候群」という変な名前の病気を思い出した。そうして調べた先で発達障害のワードを知り、調べていくうちに「……これ俺じゃね?」となったわけだ。自分も親も、もしかしたらコレで、何をどう真面目に考えても非定型的なズレた回答や選択をしてしまうかもしれないし、診察を受けても解決できることではないので、私は借金引継ぎの話を下りて、破産を提案した。何千万の借金を被ることになっている親戚のお兄さんには悪かったが、最もダメージを抑えることができた決断だったと今でも思う。母は壁に借金残高を書いていたし、親父も一家心中未遂をしていた。私も料理できるようになったわけでもなく、ずっと雑用をしてきただけだ。もう限界を通り越えてみんなが狂っていた。あんな状況から立て直そうと思っていた事が、もうおかしかったのだ。

住むところがなくなるので、それを機に私は一人暮らしをした。自分の生き辛さは家庭環境の、特に奇異な両親の影響もあると思っていたので、これで大丈夫だと安心していた。なぜなら自分は発達障害の事を知る前からほぼ同じ水準で物事を考えながら生きてきたし、同じ属性の中で言えば勝ち組の部類に入るだろうと思っていた。普通の人だって気づかない中で生きている事も考慮すれば、「自分は人が気づけない事に気づけた人、知らないことを知っている人」として、もっと自分の事を評価してもいいのではないかとさえ考えていた。しかし……一人暮らしはうまくいかなかった。
それまでだってたくさん失敗をしてそのたびに反省して、普通の人と同じくらいの事ができるようになろうと頑張ってきたのに、結局コミュニケーション難も不注意特徴もぜんぜん解消できていなかった。難聴気味のこともあり、私は職場でズタボロになってしまった。ちなみに、その時に勤めていた仕事が「デバッグ」という発売前のデジタル製品をチェックする仕事だった。時間帯は深夜で、作業中は延々、モニターと睨めっこしたり、機械を操作して、仕様外の動作をみつけたら報告をするという業務だった。

好意を抱いていた異性とトラブルを起こしてしまい、それまでにない程の大きなショックを受けてしまった私は狂ってしまった。あの頃は本気でやばかった。いじめを自分の力で乗り越えた、発達障害に気が付いた、などといった過去の成功エピソードや、友人がいなかったら、私はそこらの子供を捕まえて食っていたかもしれない。

そういう気持ちが落ち着いた後、私は「これ以上一人で頑張っちゃいけない」と思い、病院で診察を受ける事にしたのだ。その時の診察では発達障害を否定する診断が下されたのだが、それはまた別の話。まぁ次の項で少し書くのだが、ここまでで十年である。

発達障害の事で悩む」というのは、数日前から腹の調子が悪いとかちょっと熱っぽいとか、そういう単位の話ではない人生そのものと向き合っているのだ。この事をよく知ってほしい。



■2.診察までが遠い! 遠すぎる!

グレーゾーンに対して「さっさと診察を受けてはっきりさせちゃえばいいのに(・ε・)」とか思っているようなら、その考えは即刻捨てるべきだ。

私が一番最初に発達障害の診察を受けたのは7年くらい前。さっきの話の続きだ。なるべく大きな病院で診てもらおうと、車で一時間くらいの大学病院に行ったのだが、発達障害の診察で予約を取ったのに、出てきたのは専門外の精神科医で、診察すらせずに、少し話をしただけで統合失調の薬を提案された。「実際に診察を受けている人はもっと症状が目立つよ?」と軽く受け止められてしまったのである。

このように、医者が発達障害の診察をしてくれない場合があるのだ。7年経っているが、巷の声を聞いている限り、いまも大して変わっていないように思う。

そしてもう一つは、診察できる医師、病院が限られていることも問題である。6年ほど前にも別のエピソードを経て私は発達障害の再診察を受けようとしたのだが、予約すらとれなかった。そこは発達障害の診察で有名なところだった。発達障害診察専用の予約が年に数回だけあり、その時に私も電話したのだが、やっと通話ができたと思ったら、予約受付終了の自動音声ガイダンスが流れてきた。とてもショックだった。この場所の無さは今も改善されているとはいい難い。

私がいま診断済み当事者として生きているのはハローワークがきっかけだった。2年前、ハロワへ仕事を探しに行った際に「障害者に理解のある職場がいいです」と窓口で話した。それまでの経緯も話した。そしたら障碍者雇用窓口に案内されて、事情を知った担当者が「あれからもう5年も経って、今は認知度も上がって状況が変わっていますから、もう一度ちゃんと診察を受けてみましょう」と提案してくれたのだ。そして、発達障害の診察ができるクリニックも教えてもらい、そこで診察を受けたところ、発達障害の診断が出たというわけだ。

だいたいのグレーゾーンの人がそうだと思うが、別に発達障害の診断がほしいのではない。それこそ障害のせいにしているみたいで、よくない考え方だ。望みは一つ。知能検査など適切な診察をして、結果を基にアドバイスを受けたいのだ。自分には何ができると考えられるのか? その上でお医者さんの言葉がほしいのだ。

たった、そこまでの願いすらも叶わないのである。



■3.相談したら軽蔑される!

これがグレーゾーン住人の精神健康面を悪化させている最も大きな要因だ。
「自分はこういう病気かもしれない」という〝もしもトーク〟はあまりよくない事とされている。「障害者かもしれない」なんて言ったら大体の人が不快になり、怒る人もいるだろう。理由は単純。本当の障害者の人に悪いからだ。

「…え、ほんと? なんでそう思うの?」
「…へぇ、そうなんだ」
「…たいへんだな。どっかの病院で診てもらえないの?」

たったこれだけの会話も許されないのである。

医者に診てもらえさえすれば、一歩前進できる……そう考えるようになる人がほとんどだと思う。実際問題、会話として表に出せる範囲が広がるからだ。 しかし前述した通り診察までが遠い為、グレーゾーン境遇に悩む人たちが増えるばかり、というわけだ。




グレーゾーン界隈に渦巻く大きな課題について説明したが、如何だったろうか。所詮、私の視点から言える範囲だが、この三点を抑えておけばテスト()でもいい点数が取れるし、同様のテーマで話をする時もついていけると思うぞ。
■1と■2の話は、大部分が私個人のエピソードで埋まっているが、発達障害界隈の住人はこれと同程度かこれ以上の非定型エピソードを抱えていることが普通である。今の私と同じ30代前後やそれ以上の、無理解時代を生き抜いた人は特にそうだろう。今はある程度認知度が高まったことで話しやすい空気があるかもしれないが、未だ社会の多くの場面では人に相談する事さえを封じられている現状に変わりないだろう。障害というワードが言葉の中に混ざっていただけでだいたいの人は緊張するのだ。

発達障害特徴の認知度はかなり高まった。よく見聞きする話だけで言えば「発達障害特徴は誰にでも大なり小なりあること」と思っている人もいるかもしれない。まぁ、奇異な言動や不注意特徴なんかは、頻度の話に置き換えてもある程度通用するところもあるので、その認識はそんなに悪いものじゃない。

でも、その話は本当にある一面だけで通用する認識だと思っておいてほしい。細かい事から言えば、発達障害は感覚過敏や難聴などの話とも関わっているわけだが、少なくとも、今回の記事に書いた1~3の悩みを読めば決して「発達障害の生き辛さは誰にでもあること」だなんて思えないはず。むしろ、今回伝えた内容のほうこそが真の「生き辛さ」の部分であり、この界隈にあるいろんな問題の土台になっているとさえ私は思う。

正直言って、発達障害の特徴云々の認知度よりも、このグレーゾーン問題に関してだけは知っておいてほしいと私は思う。3の悩み相談さえできる空気が浸透すれば、それは1や2による負担の緩和に繋がるからだ。

ここまで言えば、「発達障害のことを理解して下さい~知って下さい」とういお願いワードが、どうして現状のような形で広まっているのか、その背景事情も想像できるだろう。これは決して、障害の事を勉強してでも理解してほしいと、そんな注文みたいなニュアンスで言っているのではなく、「もっと人の言葉に耳を傾けよう」と呼びかけているのです。

私には発達障害の事も含めて気軽に相談できる友人がいたが、不運が重なれば、友人がいない境遇も十分にありえる。そんな人はもしかしたら、親友や友達とまでは言えないけど雑談くらいはできる相手、例えば貴方に、その悩みの話をぽろっと漏らすかもしれない。

そんな時、貴方はどうする。
他の人と同じように、怒るか、軽蔑するのか。
それなら、鬼になる覚悟を持ったほうがいいんだぜ。

とにかく歳月が長すぎて、蓄積されたものが大きすぎることが厄介だ。それを自分の人生として、健全な方に受け入れるには、並大抵の精神力では難しいだろう。

健常者にも障害者にもなれないという事は、あらゆる面で話を進める事ができないという不便な状況でもある。職場でトラブルが起きた時、「実は障害者なんです。手帳も持っています」と言えれば、なんらかの決断まで進む話でも、「実は自分は障害者かもしれないんです」となればその話の扱いは大きく変わってくる。大体の人が、困ってしまうだろう。

私的にはとにかく診察を受けて、一度スッキリさせたほうがいいと思う。ずっと同じ悩みと向き合い続けるのは精神衛生上よくない。私の時のように、ハローワークの障害者雇用窓口の人が診察を受けられる場所までナビゲートしてくれることもあるので、診察の当てがない人は一度就職相談ついでに相談してみるのはどうか。WAISなどの成人用知能検査で得られる自分の能力の情報は、選択肢を考える上で大きく役に立つだろう。