HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

制作日誌 No.9:世界自閉症啓発デーとかあったけど

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 4/2は世界自閉症啓発デーという世界的な記念日だった。『空のとびかた』プロジェクトという発達障害関係の活動をしておきながら、この日に何もしないというのもどうかと思い、ブルーライトアップが行われる東京タワーに足を運んだものの、訪れる人たちの顔をみながら今後の活動内容を考えただけで、『空のとびかた』プロジェクトとしての活動は何もしなかった。twitterでちょっと多めに宣伝ツイートをしただけだ。


 私がこの祭りにあまり乗り気にならなかったのは、この活動が『空のとびかた』プロジェクトの活動とマッチしないからである。

 プロジェクトのスタンスはオフィシャルサイトのコンセプトでも伝えている通り、慣れることをモットーとしている。これは、当事者が社会に慣れる、そして定型が発達障害に慣れると、一方に対してではなく双方を指している。活動内容もその理念から考えている。

 例えばアンケートやインタビューは、その情報をみたというだけで、話題や雑談のネタに使えるというもの。動画もそうで、当事者インタビューの動画は私とお喋りしている様子をただ映すという点を重視していて、当事者とお喋りした事がないという人が動画を見れば、それだけで当事者との会話に対する緊張感が和らぐ効果が狙えると考えている。そして同時に、プロジェクトを足掛かりに当事者が自らの意志で自分の事を発信するという行動は、本人だけではなく見た人の何かを掻き立てる効果が期待でき、それは自信向上にも繋がる、という考えだ。

 そして来年四月、どこかの動画サイトで公開予定の映画のタイトルは『アスペですが、何か?w』だ。ここでいうアスペというワードはネットスラングとしての意味合いが大きく、〝アスペ=発達障害〟という意味で読み替えてほしい。このタイトルに込めた意図は「自分が発達障害で、それがどうした」と、当事者が自分自身に対して向ける意思としての意味、そして当人ではない周囲が「相手が発達障害で、それがどうした」と自分に向ける意思であり、これからの社会に求められるであろう意識や意気込みをそのままタイトルにしたというわけだ。

 もう少し食い込んだ部分を話す。『空のとびかた』プロジェクトは発達障害にスポットを当てているが、当事者全体ではない。あくまでも就労と関わりのある当事者である。改正障害者雇用促進法が施行された時に、就職活動をしている、就労している、などの状態になれる人で、何らかの事情で仕事ができない働けないという人はちょっと遠い。
 〝動ける当事者〟にだけスポットを当てているのは、人手や時間の関係で、できる事は限られているから一点集中するという事と、今の障害者界隈に求められている第一歩目がそこだからだ。

 定型が障害を理解して障害者を牽引するのではなく、障害者を牽引するのは、同じ障害者である方が都合がいいということ。まずは社会で活躍できる障害者の存在をもっと増やすことが先決だ。その点、発達障害者は半定型みたいなもので、特に今は甘い診断が横行しているせいか、定型レベルといっても差し支えない人もどんどん障害者になっているので、この状況は逆利用できると私は考えている。

 そういう観点から見ると、メンタルヘルス界隈からよく発信される「理解を求める。知ってほしい」等というメッセージは、私個人的な考えからみてどれも、もやっとする。『空のとびかた』プロジェクトの活動理念ともマッチしない。世界自閉症啓発デーも公式サイトの内容はざっと見たけど、叶わないことが書いてある、という感想が大きい。


 私個人として、そして『空のとびかた』プロジェクトの代表の意見としては、『別に理解はしなくていいよ。ただ慣れればいいよね』といったところ。別にそれをベストアンサーだとは思わない。職場の評価における不公平を無くす為にも正しく知る必要があると思うし、発達障害ってどこかでアレルギーや他の症状や特徴とも繋がってるし、いろんなところで関わってくるから、どうしても理解を求める声って必要だと思う。

 それでも私がここまで〝理解を求めない寄りの人〟なわけを話すと、高校中退してから三十一歳までずっと一般就労だったけど、非定型とうまくコミットできない定型は一部で、その他の普通の人達はその場のコミュニケーションで解決できるので、特に何かを理解する必要があるとは思えないこと。言うなればその普通の人たちがどこか巻き添えを食っている感があって、当事者側からみて申し訳ない気持ちになるということ。極一部の定型の周囲だけで起きる紛争が定型×非定型全体に当てはめられている現状があるしね。

 次に、私の親友たちは発達障害の事なんて1mmも知らないし理解もしてないということ。あと私自身も別に理解と言える水準に引き上げられるほど知識を持っているわけじゃないということ。発達障害特徴の克服シリーズの記事だって、自分の実体験情報を書いているだけ。自分がわかってないんだから私の口から理解を云々なんて言えるわけないよね。

 あと、私は中学のいじめ体験を通して、その頃から人間を定型と非定型に分けて認識する感覚が身についていた。いま巷で語られている発達障害観なんて中学と高校生のあたりで誰に教わるわけでもなく自分の感覚をもって認識できていた。私だけじゃなくて、成人後に発達障害を知った人は関連書籍を読んで「ずっと思っていたことが書いてある」って思う人も多いわけでね。だから私から言えば発達障害が理解できないって、どこに目をつけて生きてきたのって言いたくなる話なわけで、そういう人たちが積極的に理解の為の行動を自発的にとるべきことでしょ、という感想が拭えない。

 世界自閉症啓発デーも含めて、当事者たちはもう何十年も、理解を求める声を発している。どうしてそんなに長い間、叫び続けているのか。そもそも、自分は理解できてないと思う人が、自ら名乗り出て、教えて下さいって言えば済む話だよね。それをすればもうそんなところに労力使わなくていいわけで。当事者側も、なんでそれをしないのか。理解理解って言ってるんだからペーパーテストでも作ってみんなにやらせて理解できてない人を炙り出せばいいじゃない

 本音を言うと、よくわからない事に加わりたくないというわけです。