読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

制作日誌 No.11:震災影響と「今一生」さん主催のオフ会

【プロジェクト制作日誌】

 これを書いている今は、日付が変わって4月24日になったばかりの深夜。アプリの『ゆれくる』をみるとまだ九州地方の地震は続いているようだが、なんとなく頻度は落ちてきたように思える。それでも震度4クラスの地震は連日起きている。まだまだ気は抜けない。

 我が家は埼玉なんだけど、震災の影響をもろに受けた。小売り業でネット販売も頼っている。その商品の一部を預けている倉庫が九州にあるのだ。で、物は無事だが配送手段が確保できない為に、販売不可状態が数日間続いたのだ。
 その数日分の売り上げをロスしただけで、それ以上の影響はなかった。とはいえ、安全圏が見えない間は不安でたまらなかった。実際、もっと不運が重なっていれば商品全滅もあり得たこと。そうなったら、たぶん今の生活や活動を続けることはできなかったと思う。
 次回こういう事が起きた時も大丈夫なようにしておかなければ。今回の地震で今の認識の甘さや緩さを思い知った。



 22日は『今一生』(こんいっしょう)さん主催のオフ会に参加した。以前からtwitterでフォローしている方で、ブログの記事もいくつか読んだことがある。
 ひきこもりや自殺、ニートなどそういった社会問題に関心があって、社会企業やソーシャルビジネスに関した活動もしている人。と、私の知っている今一生さんの事はただそれだけで、なぜかフォローされているけど、やりとりしたことは一度もなかった。ただ、そういう部分で俺得な人だったから、機会があれば一度会って話がしたいと常々思っていた。
 あと自分の生業としている仕事も次のステップに進めたいし、実は発達障害繋がりの友人が始めようとしているNPO活動のメンバーに加わっているので、もっと自分の力を磨きたいと思っていた。
 その為には、自分一人の考えだけじゃなく、人の考えに触れて刺激を得る事が大切だ。

 そう考えていたところに、今一生さんがtwitterで初対面優先のオフ会参加者募集の告知をしていたもんだから、即メールした。

 オフ会参加者は今一生さんの本を一冊持ってくることになっていた。まぁそれがなくても買ったけどね。アマゾンでぽちって当日までに読んで、オフ会の時は一言でも感想を伝えられればと思っていたんだけど、さっき話した通り、震災影響のごたごたでそれどころではなく、本は届いたのに読めないまま当日を迎える事となった。
 日中は仕事で、集合時間の一時間半ほど前にようやくフリーになった。1ページも読んでないのは流石にあれなので、ケンタッキーで本を開いて大急ぎで読んだ。



 オフ会は夕の部と夜の部の二部構成で、自分は両方に参加した。夕の部は喫茶店で、本の内容や自分が向き合っているテーマの事を中心にわいわいと雑談をした。夜の部は場所を変え、隠れ家っぽいバーで飲んだ。メンバーも十人以上となり、酒とつまみを囲みながら、互いの活動や、いま課題としているテーマなど、思っていることをぶっちゃける勢いで喋りまくった。

 とにかく、みんな元気一杯だった。そこを強調したい!

 私もこれまでに発達障害グループの集まりには何度も参加したし、勉強会もやった。で、こっちの参加者だって、みんな障害特徴故の課題を持っているし、社会的な活動をしている人だっている。もっというと、今回のオフ会参加者は変人(敬意を込めて)ばかりで、こっちの当事者グループに参加してても別におかしくないような人たちだ。でも、明らかにこっちの集まりとこのオフ会は空気が違った。それが「元気度」だったと私は思うのだ。

 発達障害グループの茶話会や集まり1回で消費される言葉を100とすると、このオフ会で消費された言葉の数はその何倍の、500か1000か……。とにかく、それくらい大きなエネルギーの差を感じたのだ。

 この空気を感じ取れたのは大きな収穫に違いないと思う。
 めちゃんこ楽しかったので、次回も絶対に参加したい。



 変人だらけだったという事について、もう一つ掘り下げた話をしたい。
 発達障害者と一口にいっても、喋り方や立ち振る舞い、見た目だけでハンディが表れている人もいれば、ちょっと喋っただけでは当事者だとわからない人もいる。例えば私の事だと、少し話しただけでは発達障害者だとはわからないと思う。でもWAIS-IIIの下位検査では知識「3」というかなり、低い数値を出しているし、処理速度の方では「133」と、全体の2%しかいない極めて高い数値を出しているから、障害特徴は強い方と言えるだろう。
 私と少し話したくらいじゃ発達障害だとわからないと言ったが、これだけ極端な数値が出てるくらいだから、言動面にも特徴が出ているんだけど、知識が低い故にわからないことがあったとしても、頭の回転力でカバーしているという感じ。(だと思う)

 14歳の頃からいじめ体験を通して自分の異常性を自覚していた。ずっと障害的な何かだと思いながら生きてきたんだけど、こういう能力差の特徴を知ったのは成人後に知能検査を受けてからだった。もっと早くに受けていれば、自分の特徴に合わせて生きてきただろう。高校だって中退しなくて済んだかもしれないし、今は自営業だけど、もしかしたらどこかの会社で正社員として働いていたかもしれない。頭の回転力を活かして、そこでエース社員になっていたかもしれない。まぁ今の嫁と出会えなかった人生なんて考えられないので、別に過去を変えたい願望の話をしているわけじゃない。

 ここで言いたいのは自分自身に対する自覚の有無がもたらす影響と効果の話だ。発達障害関係の書籍として『のび太ジャイアン症候群』というのがあるので、それにちなんでドラえもんのキャラクターを使って言いたい事を話そう。

 例えば、「言動はスネ夫」なのに「心はのび太」な奴がいたら、そいつはどうなるだろう。自分の口から出た言葉でクラスメイトを傷つけたり、面白がってイタズラをして相手を困らせたことで、悩むのではないだろうか。でもドラえもんに出てくるスネ夫本人は、そんなことで悩んだりしない。身も心もスネ夫だから悩まないのだ。では「脳は出来杉」なのに「心はのび太」な奴がいたとしたら? 出来杉本人は賢いから自分の言動をコントロールできているが、そこがのび太だったらできないだろう。自分のテストの点数を見せびらかしながら喜んだり、自分は勉強する必要ないと怠けたりするのではないか。
 逆でもいえる。「頭はのび太」なのに「心は出来杉」な奴がいたとしたら。そいつはきっと自分の〝何をどう頑張っても出来なさ杉〟なところに悩み苦しむのではないか。
 で、大人になってから、社会の中でうまく生きられず、病院にいって発達障害の診断を受けようと思うのではないか。
 ここで大事なのは、言動がスネ夫、脳は出来杉、頭はのび太、それ自体は障害ではないということだ。「心と身が異なるキャラクター」の要素が加わる事により、「発達障害かもしれない奴」が出来上がるのだ。なぜなら先程も言った通り、本当のスネ夫本人はスネ夫として生きてくし、出来杉出来杉として生きていくからだ。
 実際、不注意特徴やアスペルガー特融の非定型な言動特徴があったとしても、日常生活に支障がないなどの理由で障害診断を受けないまま普通に生きている人もいる。そういう彼らの中には昔から自分の特徴を自覚していて、自分にできる事を伸ばしてきたという人もいるだろう。私も特徴こそわからなかったものの弱点がある事はわかっていたらか、その弱点を克服する為にはなんでもやってきたし、それがあるから人に誇れる能力をいくつも習得できている。

 だからこう思う。  あれができないこれができない、という障害特徴そのものを指して「発達障害」と呼んでいる感じなんだけど、そうではなく、『自分自身の事が上手く自覚できないこと』こそが、障害なのではないか、そこを障害とするべきではないか、と。

 私は発達障害の事をそんな風に考える事があったのだけど、今回のオフ会では、その考えが一層強まった。変人でも障害かもと悩まず元気に生きている人は、共通して自分のことがある程度わかっている。自分のできない事できる事を知っていて、できない事よりできる事をうまく活用して社会に適応しているのだ。



 オフ会の話に戻る。この日の為に私が買った本のことにも触れておきたい。私が読もうと思ったのは『よの中を変える技術』という本である。河出書房新社の『14歳の世渡り術』シリーズの一冊らしい。

 一時間程度で読んだということもあり、密な読書感想文は書けないけど、この本の〝力〟を簡単に紹介したいと思う。

 誰にでも、世の中や自分自身の境遇について、「こんなのまちがってる」とか「こうあるべきだ!」とか「もっとこうだったらいいのに」って思ってる事があると思う。ほとんどの人はそこ止まりだし、それを現実として受け入れていくことも大人に求められる意識だろう。この本はそういう意識を次のステップに昇華・牽引する力をもっていると言える。

f:id:hyogokurumi:20160424025531j:plain:w300

 この類の本の価値は、目的達成の為の難易度をいかに下げられるか、自分の力の可能性に気づけるか、つまり読者が「自分でもできる!」と、思わせられるだけの話ができているか、そういうところにあると思うのだが、この本はその課題をクリアしているといえよう。「そこで諦めないで、世界を変えようぜ」と、ただそう唱えるだけで終わっていない。

 14歳の世渡り術というシリーズ名からして、中高校生向けを意識しているようだが、別に年齢は関係ないと思った。文章は大人が若者を諭す感じの文体だけどね。

 社会問題の解消か、自分自身の人生の復興を主とした活動なのか、いずれにせよ「自分がやってやる」という内からエネルギーがほしいわけで、それがあるだけで素晴らしいともいえるわけで。そういう力の重要性が分かっている人からみれば「当り前の事が書いてある」とそれだけの感想に落ち着くかもしれない。目的達成までに必要な考え方も、丁寧に書いてあるけど「こういう風に考えることでほら、ここまで明らかにできるだろう? 考えやすくなるだろう?」というもの。物事の考え方をわかっている人で、さらなるグレードアップを目指している人は、物足りなさを感じるかもしれない。そういう意味でも若者向けという点に間違いはないと思う。基礎や土台の話だからね。

 そうまでも言っておきながらも、私はこの本からある特別な価値を感じざるを得ない。
 この本のカラーとして最も強く感じたのは、この本は『パパ』という存在感があるのだ。

 そう感じるのも、私が中高校生の思春期時代、そりゃもういろいろな悩みを抱えてきたんだけど、親父からの教えをあまり聞いた事がないのだ。全くないわけでもないのだが、どちらかと言えば宗教というフィルターを通した言葉が多かった。伏字無しで書くが、「それはな、人間革命を読めばわかる」とか「毎日勤行をしなさい」とか、よく言われた。心は一生懸命、人生に悩んでいる息子の親父だったのかもしれないけど、そういう言葉が口から出る度に、私は耳を塞ぎたくなったものだ。

 著者は若者の引きこもりやニート、自殺といった社会問題との関わりを通して、迷いながら生きる子供や若者の姿も大勢見てきたのだろう。
 例えば、子が親を当てにできない機能不全家族
 親が子を言葉で育て導く。その当り前の繋がりを持てていない若者がいる。
 政府や行政はそういう言葉を持たない。
 次世代に誰かが言葉を届けなければいけない。

 この本からそういった、著者の想いを感じることができた。

 そういう意味でも、若者だけじゃなく、例えば、勤め先の会社で、もうある程度の役職に就いていて、どちらかといえば自分が指導する側のおっさんにもお勧めできるんじゃないかなって思ってる。

 この本は易しい文章で書いてあるけど、本質的には「叱咤」だからさ。



新版のび太・ジャイアン症候群3 ADHDとアスペルガー症候群

新版のび太・ジャイアン症候群3 ADHDとアスペルガー症候群

taskeyu.me