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人は、言葉からは逃げられない。

当事者だけど発達障害の定義は全く当てにしていない『関連書籍はあと10年くらい読む必要ないと思う』

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 先日書いたストーカーの記事の反応の中で、統合失調や鬱など他の疾患を連想した方が多くいた。それはその通りだと思う。

 ただ、アスペの上に統合失調状態になったのか、ずっと前から統合失調も抱えていたのか、そもそも発達障害ではなく慢性的な統合失調を抱えながら生きてきたのか、それはもう判定できないと思う。

 中学のいじめの時に、もし母に精神科に連れて行ってもらっていたら、いじめによるストレスなどを理由に鬱や統合失調の診断を受けていたかもしれない。でも大人になってから、「元々奇異な言動があったようだから発達障害が妥当ですね」とか、そんな風に診断がかわったかもしれない。けどもしその時、日常に不便のない生活を送っていたとすれば再診察を受ける機会もないわけだから、中学の頃に受けた診断のまま生きていったのかもしれない。

 私のブログの記事を読んでくれている方で、相応に障害方面の知識があるならわかると思うが、私は統合失調、アスペルガーアダルトチルドレン、ボーダーなど、どの診断が下ってもおかしくない奴なのだ。

 実際、いま並べた診断名はどれも類似した症例をもっている。なので、ストーカーの記事だけ読んだ人は統合失調を連想し、発達障害特徴の克服記事などで、中学の頃のエピソードを読んだ人はアスペルガーなど発達障害を連想する、ということがこのブログを読んでくれた人の間で起きている。

 この世界の診断名は外科や内科のように、体の状態を基準に区別した診断ではない。発達障害だって、そんな刻印は、どこにもないのだ。


 でも私は発達障害アスペルガーの診断を受けて生きている。自分が当てにしていない診断を受けた理由は、知る限り最も症状が当てはまるという客観的な感想と、当事者のお子さんを持つ人からもアスペルガーの指摘を受けていた事、嫁がいるから自分だけのポリシーを基準にした判断をするべきではないこと、そして、一番大きな理由は社会の現実なのだ。

 私の思考回路は平均的ではない。しかしこの時代の人々は相手が障害者でもない限り個々の特性を考慮した環境作りが全くできない。この世界の中で私の様な人は様々な失敗の元凶とされてしまう。だから私は発達障害の診断を受ける事にした。社会の現実に合わせた選択だ。

 発達障害だから発達障害の診断を受けたのではない。この現代社会で生きていく為の手段として、障害者として生きる道を選択したのだ。


 発達障害については、知ったばかりの頃に関連書籍を読み漁った。家庭向けの単行本から新書、漫画、街の本屋で売ってるレベルのものはだいたい読んだ。でも、知りたい事はどの本にも書いてなかった。この類の本は今もそうだが、当事者の例を紹介するにしても、定型家庭の中に一人だけ発達障害者がいるというケースの内容ばかりだ。私の家みたいに親が創価とかギャンブル中毒とか、そういうぐちゃぐちゃ家庭を紹介したものが載っていなかった。

 あと発達障害の定義の解説に全く説得力がなく、読んでいたら馬鹿になりそうだった。「普通の人レベルになりたい」という目標が強かった私にとって、あまり重要な情報ではなかったともいえる。先天性だろうが後天性だろうが、できないものはできないし、わからないものはわからないし、出来るようになる為に求められる手段を考える上で、先天後天はあまり関係ないと思えた。

 そういう観点で見ていたせいか「発達障害は先天性」という説は、「そういうことにしなきゃいけない」みたいな妙な思想を感じるので気味が悪かった。なになに、「先天性という事にしないと、育て方が悪いとかそんな偏見が広がっちゃうでしょ」みたいな? 育った環境次第では、いま巷で語られている発達障害のような特徴が目立つ人になっても不思議じゃないと思うけどね。

 先にも述べた通り、他の疾患にも類似した症状を持つものなんていくらでもある。アスペの奇異な言動は統合失調みたいだし、悩みやすい点はアダルトチルドレンみたいだ。ただどれも「出来て当たり前の事が困難になる」「わかって当り前の事が困難になる」という共通点があるので、私は自分及び自分みたいな状態を『体験や記憶を基準に、意識や感覚を調整~定着させる脳の働きに機能不全を起こしてる状態の人』とみるようにしている。これなら先天性、後天性、育成環境、他の類似した症状の疾患、ぜんぶ圏内にいれる事ができるからだ。

 名前をつけるなら「感覚調整機能不全障害」とか?

 この先、医学がどういう答えを出すかはわからないけど、一個人が日常で生きていく分にはこれで十分だと思う。

 なに? それだとあの診断、この診断が入らない? じゃあその医学知識が間違ってるんじゃね・・・?


 以前書いたケアレスミス克服の記事で、感覚Aと感覚Bの区別から実際に克服できた人はわかると思うが、人は活動において、感覚機能だけを頼って生きているのではなく、その大部分は成功した時の経験を頼っていると言える。その記憶から、丁度良い力加減や感覚に対する集中力を調整している、というのが私の考えだ。
 ここが今のよく聞く発達障害観と異なっている。大体の人が、発達障害の人は脳の働き方が違うからできない、というニュアンスで話すのだが、脳の働き方が定型と同じになっても、それだけじゃできるようにならないというのが私の主張だ。そこから成功の体験を何度か積んで、感覚や意識の丁度良い出力を脳で掴まなきゃいけない。
 例えるなら、英語でいつも100点取れたとしてもネイティブとの会話の経験を積まないと、英会話は上手くできないと私は言っているのだ。英語知識あるけど、英会話経験がない人の英会話文って、表現の良し悪しがきっと凸凹としているんじゃないかなって思う。発達障害と英語の例えとの違いは、英語は実際に英会話経験を積めば凸凹が解消されていくということ。発達障害はそれに見合う経験を積んでも凸凹が解消されない。

 薬についても言わせてもらうと『お薬を飲めば薬が効いている間は集中できるようになる』という認識は間違っていると私は思っている。効果が効いている内に、先に話したような成功体験を積み重ねて、薬がなくても脳がその出力を出せるよう、頭や体に教えてあげないといつまでも飲み続ける事になるだろう。そもそも薬の効果で「集中できている」とは言い難い。「集中できている人と同等の結果が出せる何らかの効果を自分の身に起こすことができる」が妥当な表現か。飲み続けていたらいつか定型同等の感覚が作られるってことはまずないと思う。むしろ飲めば飲むほど自発的に働く機会が減っていくので、集中を司る機能が退化していくように思うのだが。違うのか? こんな風に思うのも、薬のお陰で治った、飲み続けたお陰で薬無しでも集中できるようになったといった話を一度も聞いた事がないからだ。


 先日、成長過程で発達障害と同等の症状になるとかいう情報が広がって、当事者界隈は騒然としたらしい。そもそも「発達障害は先天性」と断定できる医学的根拠なんて今までにあったかな。一度も聞いた事がないよ。当事者たちが広めすぎただけなんじゃないか。

 別に定義や診断を模索をすることがおかしいとは思わない。可能性の追求として大事だし、というか今その段階なはず。「これが答えだ」みたいに思っちゃうのはアホすぎるよねって話。

 そんなわけで発達障害の関連書籍はあと10年くらい読む必要はないと思ってる。
 知識を得たところで持て余すだけだ。


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