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HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

『絶歌』読書感想文:その1――神戸連続児童殺傷事件の元少年Aは発達障害なのか?

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hyogokurumi.hatenablog.com


まえがき

 1997年6月。私が中学3年生になったばかりの時だった。神戸で起きていた連続児童殺傷事件の犯人が捕まった。その瞬間、私は店のカウンターで晩御飯を食べている最中だったと思う。店主の家族が店内で食事をしているという、自営の飲食店あるあるの光景だ。
 逮捕されたのは14歳の中学生……と、テレビのニュースリポーターが動揺した様子で言った。それを聞いて、私が最初に思ったことは『……ふぅん』だった。
 親父の反応は違った。「おい、まじかよ」と言いながら、厨房からテレビを覗き込んだ。悲痛に歪んだ親父の表情を見て、私は『あぁ、やっぱり驚く事なんだ』と思った。

 それから別の日にも、家族で食事をしている時に事件のニュースをみた。親父と母さんが「一体どういう風に育ったら14歳でこんなことを」的なことを言ったので、「俺だってこういうことしてたかもしれないよ」と言った。親父は「ほんとうかよ、ふん」と反応を見せたものの、ニュースから目を離さなかった。息子の告白に、親父は興味を示さなかった。

 私が全く驚かなかったのは、彼の凶行と同じようなイメージを、自分も持っていたからだ。

 私は中学一年生から中学二年生にかけて、クラスメイトから酷く嫌われていた。そう書いた通り、自分の非定型な言動のせいで嫌われていただけだったんだけど、その当時はいじめられていると思っていたから、自分に嫌なことを言ってくるクラスメイトを強く憎んでいた。頭の中ではほぼ毎日殺していた。机の角で頭を割ったり、回転のこぎりでバラバラにするイメージをよく思い浮かべた。

 いや、憎んでいたけど、別に殺したかったわけじゃない。その凶行性を平気で受け入れている自分のどこかに、安心感を得られたからだ。

 その報復感情が全く無関係の相手に向いたこともある。日頃からそんな残虐な妄想ばかりしていたから、そういう風に連想する事が癖になっていたんだと思う。ただ、決まって相手は子供ばかりだったように思う。公園で遊んでいる見知らぬ子供、道ですれ違った見知らぬ子供。相手が子供ばかりだったのは、自分が勝てる対象だったからだと思う。

 当時のイメージを言語化するとこんな感じだ。

・自分という奴は、本当はこんなことができてしまう奴なんだぞ
・本当の自分がこれ。自分の本性がこれなんだぞ
・あいつら(いじめてくる側)はこの、本当の俺を知らない

 つまり、傷つけられていない自分を作ろうとしていたのだと思う。いや、大人になった今だからこう言えるのだが、誰の心の中にもその欲求はあると思う。だから、辛い時はその意識が大きくなりすぎてしまうと、そう考えた方が自然なのかもしれない。


 小学生の頃からの友達にも距離を置かれた事で、自分が嫌われていたと自覚する事できた。それからは、非定型言動をコントロールするように努めた。その頃は今思えばダメダメだったんだけど、意識するだけでもそれまでとは比べ物にならないほど、平穏な日常を過ごせるようになった。
 中学三年生はその反省を活かして、人間関係をやり直そうと思っていた。そう思えるくらいになるまで私は成長できたのだと思う。
 神戸連続児童殺傷事件は、いじめられていた自分が過去のものになろうとしていた、そんな時に起きたのだった。

 事件当時の私はまだテレビといえばアニメという奴だった。あと終末の映画くらいか。でもこの事件だけは追いかけた。少年Aがどういう理由で凶行に及んだのかが知りたかった。でもニュースは知りたいことを全く報道してくれなかった。警察の発表や近所の住人の証言を聞いた話ばかり。メディアというフィルターがかかった情報はどうでもよかった。少年Aの生の言葉が聴きたかった。その願いは叶わないまま事件は風化していった。

 その後もこの事件を振り返る事が度々あった。特に自分の頭に残虐なイメージが浮かんだ時だった。少年Aの凶行を思い浮かべる事で、自身の今その時の冷静さを確認することができた気がした。その意識のメカニズムは自分でもよくわからないけど、自分が頭の中で行っている残忍な行為を、少年Aがやっている様子にすり替える事で、自分がその衝動に今以上惹かれていかないような、そんなストッパーの役割を果たしてくれたんだと思う。

 いつからか、少年Aに会って話したいという個人的な好奇心が芽生えていた。その気持ちは発達障害の事を知ってから違う形となった。元々、少年Aの事を〝自分と近い人、同類かも〟と思っていた事が大きいと思う。
 私が発達障害の事を知ったのは、人間関係に失敗して高校を中退してから六年後の事だ。中退後に就職した家業の飲食店が自己破産する運びとなり、そのむちゃくちゃな状況の中でのことだった。母の仕事のやり方が非効率すぎる事に疑問を持った私は、ネットで思い当たった言葉を調べてみた。『片づけられない症候群』という言葉だ。そして、注意欠陥多動性障害の事やアスペルガー障害の事を知ったのだ。
 それから7年ほど経ったが、その当時から密かに思っていた事がある。それは、少年Aは発達障害だったのではないか?ということだ。

 ――先に、まずなにをもってして〝発達障害〟と判定するのかどうか、その私の観点をまず示しておこう。発達障害は『どうやら先天性らしい』『脳の機能的な問題→その説は有力』『症状や特徴だけで言えば他の疾患でも似てるものがある』といった具合で、正確な診断はまだできていないのが現状だ。当時からそこらの事情に大きな変化はない。発達障害の定義でさえ、数年後は今の形を保てているのかどうか、それすらも怪しいと私は思っている。最近では後天性もありえる説も浮上したくらいだ。それはさておき、私の言っている「発達障害なのかどうか」というのはそういう現状を踏まえ、「現行の発達障害の定義や、当事者がよく話す症状に当てはまる事象を、少年Aは抱えていたのかどうか」という観点で考えたものだ。

 事件から何年か後に、事件の全貌をまとめた『暗い森―神戸連続児童殺傷事件』(単行本 1998/3)を私は読んでいる。先に話したメディアのフィルター感が全くなく、事件を事を知りたい人にはおすすめしたい本なのだけど、この本をもってしてもその疑問は解くことはできなかった。

 そんな私にとって『絶歌』の出版はスルーできないニュースだった。
 彼本人の言葉で書かれているこの本なら、積年の疑問を解いてくれるかもしれない。

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名前を無くした日
 6p~15p

一九九七年六月二十八日。僕は、僕ではなくなった。

 この節には学校での自分の位置や、警察が家に来たこと、事情聴取を受けて自白した初日の事が書かれている。
 自分は全く目立たない奴でその印象の事を「カオナシ」と表現している。そして、この日(逮捕)を境に少年犯罪の象徴(カオ)になったと綴っている。

 早朝、警察が来ていると父に起こされた彼は布団から起き上がる。そこには、枕の周囲に置いた動物たちの人形を押し崩し――といった事が書かれている。中学3年生の男子生徒で、枕の周りに動物の人形? 「イヌやアヒル、ゴリラやワニなど」という記述から察して、相当数の人形が設置されていたものと思われる。私は異様な幼稚臭さを感じた。

 この後、少年Aは警察署で犯行を自白する。彼は家を出る時、最後に一目、両親を顔を見ておけばよかったと後悔している。次に会う時は残忍な事をした少年Aとしてであり、ただの息子として自分を見る、最後の時だったからだとその理由を書いている。
 
 警察署での取り調べで彼は最初、否認した。でも内心では罪を認めたかったと、その胸の内が綴られている。このあたりの記述からは〝無理に言語化した印象〟を受けた。十四歳という事や、当時の精神状態、取り調べという状況を考えれば、こんなにも具体的なメッセージを思い浮かべる事ができるとは考えにくい。自分の状況をドラマチックに見立ててその役を演じていたようにもイメージできる。そんな当時の心境を、記憶に残る温度や感触を頼りに言語化した部分として読むべきだと思った。

 その後も「死刑の執行はいつですか?」など〝台詞っぽい発言〟が目についた。〝執行〟なんてテレビの中くらいでしか聞かないような言葉を中学三年生が使うだろうか。

 彼はこの時点で死刑を望んでいたらしいが、それが叶わないことを知って絶望したようだ。これもストーリー臭漂う反応だ。最後に死を望んだ悪役。それが叶わないと知り、絶望する。よくある描写のパターンだと思う。


 ここまでに見えた彼の印象は、考え方が漫画チックだということ。
 ますます親近感が沸いた。

 次節は『夜泣き』。


暗い森―神戸連続児童殺傷事件

暗い森―神戸連続児童殺傷事件

絶歌

絶歌


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