HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

私が選挙に行かなかった理由

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 PC内を整理していたら、4年前の選挙の時に自分の心境を綴った記事がでてきました。たしかなろうに掲載した話です。読み返しのついでに掲載します。
 若者の選挙無関心を、マスメディアや大人たちが軽んじているような気がして、その時の心境を言葉にしたものです。
 わかりにくい表現などありますが原文そのままのっけます。


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 十二月十六日(日)、これを書いている今日は平成二十四年度『衆議院総選挙』の投票日です。
 選挙の時期になると毎年のことではありますが、選挙含め政治に無関心な人々の存在が社会問題としてメディアに取り上げられます。
 テレビや新聞、ネットでも「政治に詳しくないから」とか「応援したい人がいないから」といった〝政治に関心のない若者たちの声〟に大人たちが耳を傾ける様子が映し出されています。テレビゲームや漫画、アニメといったエンターテイメントの影響力に矛先が向けられることもあるかと思います。
 いずれにせよ伝え方の傾向としては〝若者のわがままな考え方〟とされている印象を受けるのですが、私は、そんな根の浅いものではないだろうと考えています。

 今はもう違うのですが、私の両親は以前、某宗教団体の熱心な信者だったこともあり、特に父は常に、政治情報には目や耳を尖らせていました。しかし、テレビや新聞の伝える情報を見て、口から出る言葉はため息や文句といった汚い言葉ばかりでした。
 また、選挙の時期になると両親の知人の某団体の大人たちが「◯◯党を応援してね」とか「投票は◯◯党にね」といったお願いをしつこくしてきたのです。
 そんな大人たちの姿をみては子供ながらにして『こんな大人にはなりたくない』と思ったものです。『個人の本心が無視された票で当選しても嬉しくないんじゃないか』とか、『そういうお願いして貰う票ってズルなんじゃないの?』とか色々な疑惑の念も覚えました。
 私の家庭はこうでしたが、某宗教団体の存在を抜きにしても、子供の時から、日常的に耳にしてきた政治に対する汚い言葉に反発するかのように、嫌悪感を募らせていた人は少なくないと思います。

 その感情はある意味で自尊心を高める効果はあったとは思いますが、その嫌悪感は軌道修正されないまま膨らみ続け、いつからか政治そのものまで包み込むこととなりました。そうなってしまった原因の一つに、メディアの報道の影響もあるかと思います。テレビでみる政治家という人たちも周囲の身近な大人たちと同じで、いつ何時も他の政治家の悪口ばかりを言っているようにみえたからです。もはや〝政治=悪しきもの〟と思うほど、汚らしい存在だったわけです。

 政治に関心を持てない若者をみて首を傾げる大人も少なくありませんが、この感情変化は決して複雑怪奇なことではありません。例えば、夜な夜な珍走団(暴走族)の騒音に悩み苦しめられている人が彼らの迷惑行為に対して不快感を募らせた末、オートバイにまで嫌悪感を抱いてしまう心理と同じです。そんな感情が深く根付いている人に対して「どうしてオートバイに関心がないの?」と聞けば「音がうるさいから」といった言葉が返ってくるかもしれません。しかしそれは問われた事に対しての〝思い付き〟の返事であって、〝本心とはあまり関係のない回答〟だと言えます。

 私に言わせれば、政治や選挙に対する若者の言葉の厚みもこれと同じです。
 自身が投票できる年齢になっても、どうしても、周囲の大人たちはまだ同じことを繰り返しているように見えてしまいます。ここは理屈では拭いきれない根深い嫌悪感をイメージして下さい。こうなると、投票に行くことで非応援者である自分が応援者と一緒くたにされることにすら抵抗感を覚えてしまいます。
 そもそも政治の知識をほとんど得ていなかったが故に無関心である人が大半です。嫌悪の対象に詳しくなろうと思うことも難しいです。でも、メディアの伝える温度をみて〝日本の政治はどうやら上手く行っていない〟ことがわかります。『投票に行かない。政治に無関心を貫き通す』といった姿勢こそ最良と考えている人もいるでしょう。
 勿論全員とは言いませんが、極悪人扱いをされがちな選挙に行かない人は良くも悪くも純粋……いや、〝人一倍、純粋で生真面目すぎる人〟だと思うんです。……そういう意味では確かに、〝子供〟なのかもしれませんね。

 ここまで、私のこれまでの政治との関わりを元にして書いた考察ですが、こんな風に周囲の大人たちの影響で政治から遠ざかってしまったという人は大勢いると思います。
 自分の生活が苦しいことも含め、何もかもを政治のせいにしたがるカッコ悪い大人たちをみて、一体どこの誰が憧れられるというのでしょうか。

 学校の授業を通して政治との関わりを密に教わる世代を中学生としても、投票権が得られるまでのおよそ五年~十年という膨大な年月に渡って、〝家庭環境〟も通して植え付けられてきたこの〝大人カッコ悪い〟〝政治カッコ悪い〟という感情が、果たして巷で展開されている本心とは無縁に等しい〝思い付きの回答〟に受け答えしているだけのコミュニケーションで、解消されるのだろうかとはなはだ疑問なのです。
 人格の一部に相当するほど深く根付いてしまったこの感情が芽吹いた経緯をメディアが無視している限り、身近な大人たちが「自分勝手な理屈だ」と切り捨てている限り、若者と政治の間にある溝は、永遠に埋まらないだろうと私は思うのです。
 これが、この文章を通して私の訴えたいことです。

 今日、私は投票に行ってきました。投票権を得た初年度からおよそ十年ぶりの参加です。最初は親に「いいから行って来い」と、どやされながらしぶしぶ行ったと思います。その翌年から行った記憶がありません。誕生日やクリスマスのように気がついたら過ぎ去っているイベントでした。
 そんな私も、来年には〝二十代の若者〟という世代を過ぎる年齢です。
 今年からパートナーとの共同生活を送っているのですが、ようやく生活が落ち着き、政治へ関心を向けられる余裕が作れたことが、投票へ行くことにした理由の一つです。
 私はお医者様から発達障害の可能性を指摘されながらも家庭環境の事情で正確な診断が下りず、今も健常者としてこの社会の中で生きています。〝野球のキャッチボール〟と称される人々の会話は私のような人にとって〝卓球のラリー〟のようにめまぐるしいもので、上手くついていけないこともしばしばあります。政治に関する基礎知識すら危ういのですが、そんな私でも主張やメッセージが最も伝わりやすいと感じた立候補者さんに投票させて頂きました。
 物書きの性分だからこその考え方ではありますが、表現力には吸引力が生まれます。その吸引力が人々を動かすと私は考えます。またこれは期待ですが、表現力のある人は聴取力も持ち合わせていると考えます。間違いを犯しそうになった時も、間違いを犯してしまった時も、国民の声に耳を傾け、きっと素直に『ごめんなさい』ができる人だと思います。

 政治の知識がない私でも、これまでの自身の半生から得たものをもってして、相手を選ぶことができました。知識がなくても関心がなくても、生きてさえいれば投票理由は作れるのです。
 立候補者の素性を知らなくて当然です。だから堂々と、表情だけで判断してもいいんですよ。一緒に酒が飲めそうな相手? それもありです。自分と話しやすい人って十分、応援理由になると思いませんか。政治事情に精通した人からみればとんでもない投票理由かもしれませんけどね(笑

 最後の最後に説教するなって? ……いやね、十年ぶりの選挙参加だったけど、結構気分がいいものだということも、伝えたかったんですよ。


 ……うーん、話の運び方が強引ですね。「大勢いると思う」「私だけじゃないと思う」っていう言い回しはこの手の文章にはよく使われるんですが、いまの自分は使わないです。読んでて苛々しました(笑

 えっと、この話で言いたかった事は、『政治無関心の根には「汚い言動が嫌」という生理的な心理が関わっているように思います』という事です。今だからこう思うんですが、ちょっと自閉症的な感覚も混じってる気がしますね。

 あと、『政治無関心を簡単に考えちゃダメ』ということです。『〝思い付き〟の返事』ではなくその奥にあるストーリーに目を向けなければいけません。でなければ"政治無関心、政治嫌悪"の人からの理解は絶対に得られません。

 明日は第24回参議院議員通常選挙の日なので嫁と投票に行ってまいります。
 我が家にはテレビがないので、市の公式サイトで立候補者情報を調べました。

 どこの誰なのか、何をしたいのか、様々な情報が書かれていますが、私はそういう事を基準には選びません。私は一番若い人に投票します。何かを決める人は必要に応じて考え方を変えられる人が理想です。とすると一番の有力候補はやっぱ若者でしょう。