HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

『発達障害は個性』という言い回しについて思うこと

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 発達障害は個性――恐らく、まだ一部の人しか発達障害の事を知らない時代から浸透していたであろうこの言い回し、はっきり言って私はあまり好きではない。

 別にこの言い回しに眉をひそめる必要はない、それはわかっている。だから完全否定はしない、あくまでも、あまり好きではない程度。
 ベストアンサーとされているわけではないし、実際この受け取り方は発達障害特徴を持っていれば、どこかで求められるからだ。当事者だけではなく、一緒にいる家族や友達、職場の同僚だって、この受け取り方があるからこそ保てている関係だってあると思う。

 それでも好きになれないのは、単純にこのフレーズから濁りを感じるというのが一つ。愛でられている感じや"無理やり感"が拭えない。『定型発達は個性』と言われたらあんまりいい気はしないと思うぞ。言葉で包まれた感じを受けるだろう。『発達障害は脳の障害です』という啓発ワードと共存している今のバランスも違和感がある。「個性であり障害であり」という認識は難しくないが、この点に関して発信者側からの明確な解説がないので、「本人もよくわかってないまま言ってるだろ」という感じも受ける。

 あと、これ……つまり、自分の発達障害特徴に対して個性という言葉を当てたくない、という気持ちがあるからだ。


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 発達障害と一口に言ってもその特徴は多岐に渡る。いま巷ではコミュ障特徴を指して使われることが多い気もするが、私の特徴もコミュニケーションと関係が深いものだ。

 知能検査上では、知識の習得に著しい難があるという結果が出ている。誰でも知ってるような常識や知識を知らなかったり、変な覚え方をしていたりする。人と会話をすれば、私が知らないところで話が止まり、進まなくなる。例えばそれが雑談なら、相手はサッカーの話がしたかったのに、私がサッカーのことを全く知らないので、したかった話ができない。いろんな話題でそういう事が起こるので、学校などの集団環境で私は孤立しやすい。面白がられて話し相手が増えるのは最初だけ。楽しい話ができないからだ。

 これが仕事の中だと問題の深刻度が比べ物にならないほど増す。知らないからできない事が多い、知ってる事だと思ってやると違っている。自分も、一緒に働いている人も、どこでそのズレが起こるか予測ができないので、想定通りに業務が進まないという問題が起きてしまう。

 この点に関しては知能検査上で、相当低い数値が出ているのだが、この弱点を補うように伸びた力が処理速度という部分だ。頭の回転力という認識でいいのかどうかは私自身もよく知らないのだが、分析力などの思考力がとても高いらしい。知らない話でも話の文脈や言葉の前後の情報から何の事なのかをある程度推測する事ができるし、そのまま話についていく事ができる。

 これがあったので検査を受けるまで、知識の習得難という弱点を自覚できなかった。考え方がズレていると思っていた。

 ちなみに、私は基本、発達障害の精神医療側の規格とは距離を置くスタンスなんだけど、処理速度の高さと知識の習得難という点については自覚があるので参考にしている。少なくとも今生きているこの時代の中では活用してもいいと考えている。


 知らない事ばかりなので、常に分析して認識するという思考工程を介すことになる。だから、誰も気づけない事に気が付いたり、誰も思いつかない答えを得る事もあるのだが、この2つの特徴は多くの場合、相手を困らせ、不快にさせ、特には怒らせて、悲しませた。"場の空気を読む力"の習得を遅らせたのもこの特徴の仕業だろう。話を合わせる事が苦手な私は、話を腰を折る名人で、言ってほしくない事を口走る天才で、自分の言動を分析して自己を正当化できてしまう、面倒な奴だった。

 私にとっての発達障害はこれである。こんなものを個性と認識するには抵抗があるのだ。


 言葉は時代の風と共に一人歩きし、様々な意味を背負うもの。今回の記事はあくまでも個人的な心情の話だが、それでも『発達障害』に対して『個性』という言葉を当てるのは、まだ早い気がしてならないのだ。

 私はもう少し、個性という言葉と向き合う時間が必要だと思っている。