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人は、言葉からは逃れられない。

『シン・ゴジラ』私の3つの不安―「~わよ」などの女性語やめて

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 7月29日公開『シン・ゴジラ』。自分は嫁と日曜日あたりにMX4DXで鑑賞する予定だ。
 シン・ゴジラに関しては予告編を見ただけで予備知識はほぼ得ていないわけだが、現時点で大きく感じている不安要素を3つ話そう。


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■カメラワークについて
 予告編の映像で、ゴジラを映す時のカメラのアングルが気になった。2014のギャレゴジは人間目線の範囲でゴジラを映していた。そこに本物感があったんだけど、予告編の映像を見るとあちこちのアングルからゴジラを捉えているように思えた。そりゃゴジラの姿はいろんなアングルから見たいけど、誰もいない地点からのアングルからの映像ををみた時、現実に戻される事がある。

■女性語台詞について
 いまHuluでちょくちょく過去のゴジラ作をみているんだけど、古い作品だからCGや特撮技術からも古さを感じるのは仕方ないとして(技術屋はそこでまた楽しめるのだろうが)、見てて一番萎える瞬間が女性役者の女性言葉だ。どういうものかというと「~~~よ」「~~~わよ」「~~~だったわ」と、語尾に「よ」や「わ」をつける言い回しだ。これが聞こえると一気に現実に引き戻される。『彼らは演技でこれは台詞なのだ』という事を嫌でも意識しなくちゃいけない。自分はデストロイアまでしか観てなかったので、これを書いているいま、2000ミレニアムを見ているんだけど、この頃の作品でもまだ女性語がつかわれている事に驚いた。

■フルCGと監督について
 いま見ているゴジラ2000ミレニアム、はっきりいって特撮やCGが酷い。これが公開された頃って洋画ではアルマゲドンマトリックスが話題だったんだけど、ゴジラの方ははっきり言ってTVOAレベル。あれれ? デストロイアまでは純粋に特撮の可能性を追求してた気がするのに。

 いや、技術に見劣りを感じるとしても、総合的な良し悪しはそれらの見せ方、演出にかかっていると思う。でも2000ミレニアムからはそこに対する追及精神が全く感じられなかった。

 映画の演出、その見せ方の部分は監督にかかっているものだと思う。今回のシンゴジラは、総監督・脚本には庵野秀明、監督・特技監督には樋口真嗣。これなら安心だと私は思った。

 先に樋口監督についての印象を話す。彼は日本を代表する映画監督で、この人が関わった作品はどれも丁寧に作られている印象がある。2006日本沈没に限っては、一色登希彦さんの『日本沈没』に対する想い入れが強かったこともあり、全く楽しめなかったのだが、それでも映像面のリアリティはちゃんとあったし、他、ローレライ巨神兵進撃の巨人など、どれも一定の満足感を与えてくれた。でもどの作品からも、大きな衝撃を受けた事がないというのが正直なところだ。

 wikiで、特殊技術で制作に加わったタイトルをみると、自分も見た事がある作品が多い。思い返してみても、どれも確かな技術を感じさせてくれた。そういう意味で私は樋口監督は、特殊技術面での監督の方が向いていると思っていた。

 シンゴジラに対する期待感はかなり大きい。初代ゴジラからデストロイアまで、小学生の頃からビデオレンタルや映画館で見てきた。
 もし樋口監督が総監督だったらがっかりしていただろう。でも総監督が庵野監督で、樋口監督が本来の特技に専念する立場なら安心できる。期待感もぐんと上がった。
 しかも、「シン・ゴジラ - Wikipedia」にはこんな事は書いてあった。

当初、庵野は自身が総監督を務めるアニメ映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』も控えていたうえ、その前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の制作後から精神的に不安定な状況におちいっていたために一度は断ったが、東宝の誠意と樋口の説得を受けて「一度きりの挑戦」として承諾した[4]。

 撮影期間中の庵野監督の精神状態がどうだったのかは定かではないが、これはもしやつまり、一番美味しく出来上がるコンディションだったのではないだろうか。いや、庵野監督の作品=病んでいる、という考え方は偏向的だけど、そのカラーに魅了されている人は多いと思う。

 


 ざっといま思っていることを吐き出せた。
 あとは公開日を待ちたいと思う。

ゴジラバンク

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