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HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

『絶歌』読書感想文:その2――神戸連続児童殺傷事件の元少年Aは発達障害なのか?

【読書感想文】

hyogokurumi.hatenablog.com


 前回から二ヵ月、だいぶ経ってしまった。創作活動をしているので、考え方も多少変化したところがあるかもれない。二ヵ月という期間はそれほど長い。
 そういったことも意識して、いってみたいと思う。

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夜泣き
 15p~18p

 この節は留置所へ移されたところから始まる。前回の取り調べと同日の事だろうか。既に家族から一週間分の着替えが届いており、その事について少年Aは「こんな状況で家族と繋がっていることがたまらなく辛かった」と、心境を表している。

 少年Aは受付で身長や体重を計られ、所持品リストにサインをした後に独房へ通された。独房は六畳ほどの広さで、天井には監視カメラ、パイプ椅子、アクリル窓のあるトイレ。独房の前にはパイプ椅子が置かれ、係官が24時間体制で監視していたと書いてある事から、独房は小窓、または一面に檻があり、内部が見渡せる室内構造だと思われる。

 少年Aはこの日、つまり独房初日から「夜泣き」に悩まされたそうだ。この節は最後まで、その心境についての自己解説、分析が綴られている。

 彼は罪の意識に悩まされていたのではない。自分の〝非人間的〟なところに苦しんでいたのだ。それがわかる記述がある。

 僕は痛みに耐えられなかったのかもしれない。「痛みを感じられないことの痛み」に。人間としての不能感に。
 人を殺しても何も感じない自分が、怖くてたまらなかった。

 最後にはこのように記されていた。

 僕は病んでいた。とても深く。「精神病か否か」という次元の問題ではない。〝人間の根っこ〟が病気だった。

 使う言葉こそ違うものの、この節の心境解説には大きく共感できた。私自身の場合、発達障害特有の非定型言動の事でクラスメイトを困らせたりした際、自分の言動の愚かさを理解するのはいつも後になるのだが、実のところ、知識としてそれが理解できたというだけで、感情部分は全てが終わった後に至るまで、全く何も感じていないという点について、深く悩んだ時期があった。相手を傷つけた、怒らせてしまった、という想いにはいつも感情がかき乱されるが、その感情の背景で、「こういうと時はそう思うものだ」という意識の存在、例えるなら自分でミキサーのスイッチを押している、そんな感覚的イメージがあることを自覚できていた。

 今でも悩みの対象ではなくなったが、感情面の鈍さについてはかわっていない。そういう意味でも、発達障害はその感情や感覚に機能欠如があると私は考えていたのだが、この節の記述はそのエピソードを持つ人ならではの心境とほとんど同じか、いずれにしても共感できる内容だろうと指摘できる。

 この私の話の説得力について、私に人を殺した経験がない事はあまり関係がない。当時の私はなんでもやったのだ。「楽しい・正しい・良い行い」という価値観や感覚がぐちゃぐちゃに混ざっていた。楽しいと感じられる気分を途切れなく維持する事が重要で、それは自分だけではなく周囲もそうであるべきことで、誰かがみんなを笑わせたら、競うようにそれ以上の事をやろうとした。義務感とでもいうのか、そういう衝動に駆られたのだ。何もしないことはとてもよくないことで、責められる事だとさえ思っていた。だからやりすぎてしまい、怪我をさせてしまったり、太っている女の子に「妊娠」という言葉を使って茶化して泣かせてしまったり、自分の言動が原因でクラスメイト同士が喧嘩をしたりと、私を中心に、人間関係のトラブルが絶えまなく起きていた。

 その末に、私の言動が原因で、クラスメイトが死んでしまう事が起きていたとしても、全く不思議ではなかったと思うのだ。


 次節は『生きるよすが』。


暗い森―神戸連続児童殺傷事件

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絶歌

絶歌


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