HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

クローズ就労とパワハラ、退職トラブルの末に、法テラスに行ってきた

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 前の会社を退職した際に起きた紛争に、ようやく終幕の目処が立った。長かった。

 和解が叶わなかったこともあり、このまま心の中にしまおうかとも思ったのだが、クローズ就労トラブルの一例としての情報的価値を考え、経緯を記事にすることにした。完全解説ではなくざっくりであることをご理解頂いた上で気になる人は読んでほしい。

 事の発端は去年の九月、一年と三ヵ月ほど勤めた工場を辞めた事から始まる。自分に対するパワハラ問題に対し、会社がその解決に積極的になってくれなかった事が、退職を決定づけた理由だ。工場長に話しても解決せず、最終的に社長が出てきたが、社長は退職を天秤にかけた異動の約束を守る事ができなかったのだ。

 先に退職に至るまでの経緯を話そう。
 社内のパワハラ問題に対する対応を始めてから三ヵ月、必要な対応はやり終えたと判断できる段階まで進めたので、私は退職を決めた。
 体育会系だという点は受容していたので汚い言葉をぶつけられるのは平気だったし、合理性のない判断や理不尽な点もこっちの業務力でカバーできた。しかし、障害の事を社長に打ち明けようとしたら「面倒なことになるからやめろ」と止められ(就労から一年経ち、業務の習得も問題なくできたら話そうと決めていた)、一年経っていろいろ意見を言い出したら「後から入ってきたくせにごちゃごちゃいうな」と意見や提案することを止められ、その上パソコンできないわ、新人教育できないわ、工場内で喫煙するわ、遅刻しても謝らないわ、一日中アプリゲーしてるわ、嫌になった仕事を正式な引継ぎもなしにおしつけてくるわ、そんで口癖は「俺は一人でやってきた!」だなんて、そんな頭の中ワンピースな厨房社員の指示はもう聞けなかったし、私はここじゃなくても生きていける生活力を持っていた。

 彼が年上である私に対してそこまで偉そうになったのは、勤め始めたころ私が彼に障害者である事を打ち明けた事から始まる。直近の教育係だったので誠意のつもりで伝えたのだが、どうやら彼は私が障害を理由に努力を諦めて生きてきた奴と、思い込んでしまったようなのだ。「お前は考えが浅い!」「甘えるな!」という決め台詞かかった罵声は今も記憶に残っている。私は他の現場で仕事をした際は「今まで教えてきた中で一番筋がいい」と言われるし、工場長からも業務の習得に問題はないと言われている。

 それでも私は、彼が自分の仕事をやりやすいようにと両方が生き残る案を考えた。それが、私or彼の異動だった。工場長は社長に話をしなくても良い形の対応、つまり異動無しでの解決を考えていたようだが、どうあっても彼の横暴は変わらなかった。そりゃ、そういうコミュニケーションの取り方しかできないんだからどうしようもない。

 そして、最後と決めた話し合いでも解決しなかったので退職願いを出し、ここでとうとう社長が出てきた。社長は月に1~2回しか工場に来ないので現場の事は何も知らない。私は順を追って経緯を説明した。なんとか現状を理解してもらえた。「こんなことになってるなんて知らなかった。貴方は大切な社員だから、私が解決する」と社長は宣言し、異動を約束してくれた。この時は嬉しかった。辞めずに済むし、異動さえ叶えてくれれば、彼との関係修復の為の時間も作れるだろう。

 ただ、別の部署に異動する前に一週間だけA業務の仕事を覚えてほしいと言われ、そこはパワハラ社員の指示管轄の範囲だったが、一週間だけならということで了解した。

 しかし、一週間だけの約束が、完全習得へと、私の知らない内に勝手にかわり、その場所で業務をする期間が二ヵ月~三ヵ月と伸びたのだ。やっぱりこうしてくれと席を設けた話し合いがあったわけでもなければ、社長が直接伝えにきたわけでもない。その業務中に事務のおばちゃんが社長からの伝言として、ぽんと伝えてきた。

 もちろん約束を破られたので即退職を決行。すぐに退職届けを提出した。

 翌週に設けられた最後の話しの席で、私がパワハラの内容としてまとめた書類を手渡そうとしたとき、社長は「読むまでもない!(えっへん」といったウキウキとした様子で、これまでの人生と苦労話を始めた。この時の社長は本当に子供みたいな奴だった。工場長や他の社員から聞いていた通りだ。ここは幼稚園で、社長は幼稚園児だと、皆からそう言われている事も、この老人は知らないんだろう。ちなみにその苦労話は社長が工場に来た時に何度か話している内容で、正直聞き飽きていた。内容も別段、関心する事は何もない。社会の中で仕事をしていれば誰もが向き合う苦労を武勇伝のように語られても、反応に困るだろう。

 その昔話を聞いてやったあとに書類のタイトルと内容を見せた。そして私は強引に話を始めた。その話を目を丸くしながら黙って聞く社長。ようやくパワハラであることを理解した。この時に私は障害者手帳を持っている事も伝え、彼の横暴はこれが関係していると思うと、その事も伝えた。社長は「もうこりゃ解決は無理だなぁ」と言った。

 こうして私の退職が決まった。自己都合となった点は腑に落ちないし、パワハラの件は民事として扱うこともできたけど、パワハラ問題の件は引継ぎとして書類にまとめて社長に渡したし、困っていた時に雇ってくれた事に対する感謝とその温情はここで使うべきだと思えたし、何より個々が尽力した結果なんだと受け止め、私は新しい人生を歩むつもりだった。

 その後、退職に伴い書類一式の中に手紙が同封されていた。これが今回の紛争の元凶だ。

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 給与締日が切り替わる事を伝え忘れていた件はヒューマンエラーとして仕方ないとしよう。ちなみに、タイムカードは正社員になった後も20日締めのものを継続して使用していて、給与明細書には「○月分」としか書かれていないので、社員が気づけるタイミングはなかった。いま働いている社員たちの中にも知らない人がいてもおかしくはない

 私は最後の2行に怒ったのだ。パワハラ問題の末に辞めていった社員に対し、「お気に召さない事が多々おありのようですが」とは、どういうつもりだ、と。しかも社長からではなく、奥さんから? 奥さんが経理をやってるとかどこかでチラっと聞いた気がするけど少なくとも見た事はないし紹介されたこともない。

 後味の悪い辞め方をしていったのだから、もっとこう丁寧な内容で伝えようと思わなかったのだろうか。ていうかこの手紙、社長は目を通してないだろう、恐らく。

 その後、クールダウンの期間も兼ねて、私はずっと考えていた。この件にどう後始末をつければいいのか。ただただ、私が嫌な思いをして我慢して終わり、という事になっているのが気に入らなかった。
 三ヵ月ほど前から、これはやっぱり怒らなくちゃいけないことで、怒ってもよいことだと考えるようになった。

 そして先月、副業アルバイトを探し始めたタイミングで、この件の行動を起こす事にした。

 まず労働監督署を頼る事にした。手順に沿って、慰謝料50万の通知書を内容証明で送った。しかし、応答は一切なかった。

 そしてこれを紛争として、斡旋へと話を進めた。しかしこれも、相手から出席しないと断られてしまった。

 そして、今日法テラスに行って他の手段について意見を求めた。慰謝料請求の可能性、少額提訴の可能性、調停の可能性……、大事な事は私の怒りがすっきり晴れる事で、慰謝料請求なのか謝罪要求なのか、現実的に達成できそうな提案を求めたのだが、残念ながらどの方法も実現的ではなく、割に合わないというのが結論だった。

 私の訴えがあくまでも、この手紙の2行から受けた怒りに集約されている事が選択肢を狭めていた。ただ、パワハラの件も丸ごと含めた慰謝料請求にするとしても、相手の主張によってはこちらがその都度証明をする必要が出て、裁判は長引く上、実際に私がパワハラによる通院などをしているわけではないので、大きな金額がとれるわけでもないという。それは退職後、すぐに行った別の無料法律相談でも同じ事を言われた。その時はまだ書類が届いていなかったので、別件での相談だった。というのも、私は副業で開業届を出していたので、失業者として認められず、失業保険の申請ができなかったのである。しかし退職の理由は会社の環境難なのだから、その点でなんとかできないか、という相談をしていたのだ。


 まとめると、行動を起こす事はできなくないけどこのままでは判決文が書けないので不適(訴えが受理されない)となってしまう可能性大。訴えの幅を広げればその点はクリアできる(法の中で争える形になる)だろうけど、慰謝料はとれたとしても少ないこと、証明する際にかかる労力、などを考慮すると今の仕事に専念したほうがいいのでは、ということだった。

 それだったら法の力は借りずに、個人からまた通知書か何かを送ってやり取りしたほうが良さそうだと思った。

 しかし、実際のところこれ以上時間も労力も割きたくない。そんな余裕はないのだ。でも嫌な思いを受けたまま終わるというのは、「どうせなにもしてこないでしょ」という、相手の思う壺にはまってしまうような感じがあって嫌だ。私には妻がいて、生活の為に勤めていた職場から受けた侮辱なのだから、私だけの問題ではないと思っている。

 ハローワークの障害者雇用枠の担当の人もこの手紙をみて絶句した。そして怒った。「なんなんですかこれは(怒」と。友人の社会福祉士の人も「酷い」と言った。労働監督署の人も、相談で話を聞いてくれた法律家の人も、みんなが首を傾げ、この手紙の内容に呆れた。とりわけ最後の名前が社長の奥さんの名前になっている点は失笑を生んだ。私の怒りは間違ってないのだ。

 というわけで考えた末、今回の紛争の元凶となったこの呪いの手紙を、本社に送り返すことにした。残された手段の中で、誰にも邪魔されずに実行できて、私が確実に一定量のすっきり感を得る方法、つまり精神的優位に立つには、これしかないだろう。

 明日にでも送り返してやるさ。もちろん内容証明で。この手紙を読んだ人達の反応と、反省しなさいという一筆を添えて。


 ちなみに、工場の業務は楽しかったし、何より、やりやすかったです。オフィス業務のような書類作成業務との一番の違いとして、製造する品物の成功の形が決まっているので、そこから逆算する形で仕事のやり方を覚える事もできました。またそれは別の記事などでお伝えできればと思っています。

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