HyogoKurumi.Scribble

人は、言葉からは逃れられない。

私がカラオケに行く為には儀式が必要

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 世の中には「カラオケなら毎日でもいい」という人もいるだろう。毎日とは言わなくても、大多数にとってはカラオケ=楽しいことであり、人に誘われたり自分から誘うとなれば、それはある種のイベントであり、とても楽しい気分になれる事らしい。

 私はそうではない。

 カラオケに行くとなれば、意識の面で様々な準備や儀式が必要である。例えば、発達障害関係の茶話会やオフ会に参加した時も、「二次会でもしかしたら、カラオケに行くかもしれない」と、あらかじめ予測しておき、当日本当にそうなっても、その時につまらない顔をしてしまわないよう、何日も前から心構えを準備をしておく。カラオケ中、少しでも本当に楽しい気分に浸れるよう、楽しく上手に歌えている自分をイメージするなど、たくさんの妄想を繰り返し、当日は気持ちだけでも最高の状態で歌えるよう、精神コンディションを整える。

 ここまでしてやっと私は2時間程度、カラオケをしている間はなんとなく楽しい気持ちに浸れる。

 私がカラオケを楽しめない主な理由は、「ほとんどのミュージシャンの歌声や歌詞に何も感じないから」「人の歌声を聴いていると恥ずかしい気持ちになるから」「自分の歌声を聞かれる事も恥ずかしい気持ちになるから」という、この3点の感覚的な要因が大きいのだが、準備や儀式を通して「カラオケを楽しめている自分」という使い捨ての疑似人格をつくり、これらの楽しめない理由を封じ込めるのだ。

 学校の音楽の時間は、ただただ地獄だった。カラオケは友達や仲間と一緒だ。でも学校の授業だと、クラスメイトというだけで、ほぼ他人同然の者たちと一緒に歌う事を強要される。私はとにかく歌うことが嫌だったからいつも口パクだった。人の歌声も自分の歌声も、とにかく気持ち悪くて、聞いているだけで体中がぞわぞわしたからだ。

 別にカラオケの事は嫌いではないのだ。繰り返すが、歌詞からは何も感じないし、人の歌声を聴いていると落ち着かなくなるし、自分はオンチだから、どちらかといえば進んで歌いたいとも思わない。

 誰もいないところで一人で鼻歌とか、お風呂で歌うとかは全然平気。ヒトカラもたぶん平気だろう。年に一度か二度くらいは大声で歌いたくなる時がある。結局行かないが。
 とにかく「人に聞かれる」という事に、とてつもなく大きな羞恥心を感じるのだ。歌ってる最中にカラオケ店員が注文した食べ物を持ってくるなんて想像しただけで落ち着かなくなってしまう。
 こういう感覚は昔(思春期時代)ほど大きくはないが、今も少しだけ残っている。

 カラオケで楽しい思いをしたことがないのか、と言われればそんなことはない。いい感じにお酒に酔って、気持ちよく歌えた時もある。
 仲間と楽しい一時を過ごせているという事実、その時間は貴重なものだと思っているよ。

 それでも私がカラオケが苦手だ。この感覚は死ぬまで覆る事はないだろう。