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人は、言葉からは逃れられない。

メンタルチェックと頭の休め方『頭から言葉を追い出せ』

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 自分はよくネット上の発達界隈のグループに出入りしている。その中でよく見かける話題が『不安と心労』に関する悩みだ。

 人生に悩みはつきもの。なぜ彼らはその「当り前」と上手く付き合えないのか。それは頭や心の休め方を習得しないまま成長してしまったからだと私は思う。

 そうなってしまった経緯は様々あるだろうが、その定番ケースとして、「家庭環境の苦労」があると思う。例えば『親がほぼ毎日夫婦喧嘩をしていた』『虐待を受けていた』『宗教など親がよくわからない事をしていた』など、親が与える影響は特に大きいと思う。自分が育った生活環境の事だけではなく、『旦那が精神障害に否定的』など、人間観の違いが負担の原因になる事もある。

 大人になってから実家を出ることでその問題から解放されても、今度は自活や職場での人間関係の負担が増す。私がコミュニケーションをとってきた中での経験談だが、どうやらそこで、対応力の限界を越えてしまったという人が多いのだ。

 『やっと自由になれた、"あれ"から解放された!』と思ったのに、頭と心が「定型環境」についていってくれないのである。これは大変なショックである。自殺を検討するのもこの頃だろう。体や心の回復方法、その感覚を習得する機会がないまま育つとこういう事が起きる。

 最初に『頭や心の休め方を習得しないまま成長してしまった』と言ったが、これを「解決の糸口」という意味で指摘したい。

 というわけで、私が自分のメンタルを保つ為に日常の中で意識している事を紹介しよう。

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■メンタルチェック編

 最初に大事なことを言っておくと『心労負担は常時回復できている状態が望ましいこと、限界が来る前に疲労を察知してなんとかすること』だ。気が付いたら心が疲れ切っていたなんてことは、あってはならないのである。

 しかし、この障害界隈ではこの時点から上手くできていない人がほとんどだ。彼らは疲れている事が普段の状態なので、生活や仕事、その中で蓄積される小さな疲労に鈍感なのである。
 定型生活者の場合なら、元気な状態から疲労状態に近づくにつれて自覚し、休日はその疲労度に見合った過ごし方をするだろう。対して彼らの場合は、その疲労状態がスタート地点であり、やっと休息を要とする疲労らしき感覚を得るのは、定型生活者で言う『かなり限界のライン』に来た時である。「今までに感じた事がない疲労度、体の不調、違和感。不安だから精神科で診てもらおうかな?」というレベルだ。

 私も鈍感な方なので、自分の疲労状態には常に気を配っている。頭と体、両方の面から見るようにしている。どのようにしているのかというと、朝起きた時の気分や体感気温、食後の満腹感など、日常の中にはいくつか『いつもと違う自分に気が付きやすいポイント』があると思う。そのポイントになる部分を自分で作ってある、ということだ。

■運動をする(ウォーキング・縄跳び・腹筋)

 毎日継続して自分の体の調子を掴んでおく。これが一番わかりやすいし、健康的だ。「これをやったら、これくらい疲れる、これくらいの気分になる」と、心と体、両方の面から情報を得る事ができる。平常時は「明日も頑張ろう」と思えるが、「明日はやりたくないな」という気持ちの方が勝る時がある。そんな時はだいたい、面倒なことを抱えていたり、未解決の問題と向き合っていたりする。それすなわち疲労の基を抱えている、ということだ。

 運動初心者にはウォーキングがお勧めである。いきなりジョギングをすると足を痛める可能性がある。そういう痛め方は治るまで数週間かかったりするのでほんとお勧めしない。最初は冷や汗をかく程度の軽い運動を毎日続けることから始めよう。運動をする時間を習慣で作れるようになるまで大きな運動はしなくてもいいくらいだ。あと縄跳びもおすすめ! 「飛べたら成功、飛べなかったら失敗」と、成功と失敗がわかるポイントがあるので研究しやすいぞ。

 ここ最近は仕事を言い訳にサボっていたが、ようやく状況が落ち着いたので、9月から再開予定である。

■お気に入り動画を観る

 いつみても楽しい気持ちになれるお気に入り動画をいくつか持っている。中でも私は料理系の動画をメンタルチェックに使っている。私はカツカレーが好きなのでこの2つの動画をたまに見ている。



 判定は単純で、『この動画をみてもカツカレーが食べたいと思えなかったら疲れている』だ。満腹度は関係ない。好物はいつでも食いたいものだ。
 あまり深く考えた事はないが、このように食欲と関係あるものは察知しやすいと思う。

■文章で表す

 私のブログ記事を熱心に読んでくれている人は、私が一気に書き上げるタイプであることを知っているかもしれないが、それが今の私のスタイルである。日中の間に書く内容を頭の中でまとめ、仕事が終わった夜に一気にタイプする。
 これができない時に私は疲労を感じる。文章がイメージ通りに作れない、休みながらやっても記事作りに集中できない時などは、気が付かない内にあれもこれもと、たくさんのタスクを作ってしまっている事が多い。そんな時は一番優先度の高いもの、低いものを見分けて、やることを整理するようにしている。


■頭の休め方

 疲労を察知するには、日常の中で察知できるポイントを上手に設置する事が要であり、その為には多少の知恵が求められる。
 ここからはその後の話だ。その疲労をどのようにして回復させるのか。

 最高の方法が寝る事である。体と頭、両方を休める事ができる。しかしこの界隈の人たちには「眠れない」という人が多い。虐待やいじめ、パワハラなど、過去の記憶に襲われているのだ。例えば、ぶん殴られた直後にすぐ寝ろと言われても、そんな状況からすぐ寝るなんて無理だろう。毎夜それに匹敵する心境状態に陥っているのだ。それは怒りだったり恐怖、不安だったりする。頭の回復ができない人は、体の回復もできないのだ。

 頭の休め方を考える上で要点としたいのが、手段ではなく条件である。つまり『どうすれば休んだことになるのか?』という話だ。先に話したように、彼らは疲労に鈍感であるように回復具合にも鈍感である。まずは回復したといえる条件を知る事、知った上で実際に体感し、これが回復だ体に理解させる事から始めなければならない。

■頭から言葉を追い出すこと

 頭を休める上で絶対条件となるのがこれ、「頭から言葉を追い出すこと」だ。順を追って話そう。
 例えば過去の辛い記憶があるとして、その記憶のせいで夜眠れないとしよう。しかし、過去に辛い記憶を持っている人の全てが眠れないわけではない。つまり過去の辛い記憶自体が眠れない状態に陥る条件を満たしているわけではないということだ。

 一体なにが、眠れなくしているのか。それはその記憶を認識する際に浮かぶ己自身の感情である。具体的にはその記憶への抵抗、その感情を表現した言葉である。

 頭の中に浮かぶ「やめろやめろ!」「もうしね!」「きえろきえろ!」といった、過去のエピソードに対する自身の絶叫が眠れなくしているのだ。これは心の中で大声を出しているのと同じである。そんなうるさい声を出しながら眠れるわけがないし、その絶叫を抑え込むにしても、また頼るのは言葉である。しかもそれより力強い言葉を当てようとするだろう。

 心の中で本気で叫び続け、やっとのことで眠気がきたのは朝方である。窓の外を見ると明るくなっている。

 もう仕事だ。

 まさに地獄なり。

 ここまでをまとめると、休むというのは、頭に言葉が浮かばない状態を維持する事と言えるのだ。これには「なるほど」と同時に「そんなん無理」と思った人も多いのではなかろうか。

 ずっと疲労状態の中で生きていた人にはピンとこない話かもしれないが、難易度は決して高くないぞ。
 条件としては2つに分けられる。一つは「言葉を出し切ること」と「言葉以外のものに注目すること」だ。

■言葉を出し切る

 例えば私がいま実際に行っているこの記事の作成がそうだ。文章創作で、頭の中にある映像や言葉を全部出してしまうのである。実際に取り出したわけではないが、これは表現と連想の話である。頭の中から休息を妨げているものを出す、というイメージと連動できるなら、カラオケでもOKなのだ。実際にカラオケがストレス発散になっているという人は珍しい話ではないだろう。

■言葉以外の物に注目する

 例えば、散歩をして、見て楽しむ事。私は創作の事で疲れた時は、よく上野から御徒町秋葉原、神保町まで歩く。何も考えずに歩く。周囲の風景やお店もみるだけで特別何も考えない。長距離だが、体の疲れはその日の夜に寝て落とす。これがかなり効く! 他に、映画鑑賞も良い。鑑賞自体は疲れるが、少なくとも頭の中に浮かぶ自分の言葉で疲れてしまう事はないし、疲労はその夜に寝て落とす事ができる。

 ちょっと奮発して喫茶店に入り、美味しそうなコーヒーを頼む。この時、必ず香りを楽しむ。美術館や展示会があったらそこへ入り、目で楽しむ。
 このように、なるべく言葉から距離をおけて、長時間言葉以外の物に意識を向ける行為を行うのだ。その為には肉体の疲労が増えてもいい。それは寝れば落とせるから。


 仕事でも悩みでもなんでも、一つのことを延々意識し続けているというのが最もヤバイ。この言葉を追い出すというのは、一旦意識を分断させる効果があり、人として生きていく上で必須スキルだと私は考えている


■まとめ

 ここまで読んで理解してなくちゃいけないことは、休憩はその前に準備が必要という事! 一手目「準備」、二手目「休憩」。いきなり「休憩」はできないようになっている。発達グループもそうだが、この準備ができていないし、その必要性がそもそも知識として習得できていない人が多すぎる。休息できる条件が整っていないまま日常を過ごしてしまっている。

 そして、疲労具合や回復具合が感じ取りにくいなら、条件をつけてそれを満たせばできたという事にすること。これができないと自分の不安定な思い込みに主導権を握られ、休める時だって休めないし、疲れていないのに疲れてしまう。

 「言葉を抜く」など、仕組みを見つけてしまえば、誰だって休憩をとる為に必要な状況を整える事ができる。「よし休めた!」と認識できる事が最終的な目標だ。特に慢性的な悩みを抱えた事のない定型生活者だって、無意識なりにも同様の事を日常に取り入れている。

 私はここ数日仕事の事のごたごたで同時にいろいろなタスクを抱えてしまった。それがようやく整理できて、土日はなるべく回復する事を意識したんだけど、ちょっと不安だったので今日思いついたこの記事を書いてみた。思い通りに書けたので、頭の疲労はとれているということだ。そして、体力の疲れは寝れば落とせるだろう。

 今回の記事はここまで。かなり好き勝手書かせてもらったが、何かの足しになれば幸いだ。