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HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

【連載中】私が治療薬(発達/精神系)を使わずに生きてこれたわけ【後編:分岐点5~】

【発達障害】
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【前編】私が治療薬(発達/精神系)を使わずに生きてこれたわけ【分岐点1~3】 - HyogoKurumi.Scribble

▼分岐点4 ストーカーになりかけた時

 このエピソードについては過去に語っているので、時間を持て余している人はまずこちらを読んでほしい。 

hyogokurumi.hatenablog.com

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 大まかにあらすじを言うと、実家という生き辛い環境から抜け出し、やっと一人暮らしだと思いきや、自覚できているというだけで非定型特徴はしっかりと残っていて、それまで実家暮らしだったせいか自覚未満だった特徴が具体化した上、無自覚のまま統合失調やうつ病と思しき症状に見舞われていた日常の中で、職場の異性に恋をしてしまうというゲロピュアなお話しである。

 この出来事をきっかけに私は発達障害の診察に赴いたわけだが、この時、発達障害の診察をしてくれず、発達障害専門ではない医師がろくに何も聞かないまま、統合失調やうつ病の可能性を示唆し、薬を処方して帰らそうとしたのである。

 これを訝しんだ私は、発達障害の診察じゃないとこの問題は解決できないと判断して、自ら成人用知能検査を希望したわけだが、この時、もしすんなりと発達障害の診察を受けられていたら、そのまま治療薬を飲んでいた可能性が極めて高いのだ。あくまでも当時の心境をトレースした上での推測である。

 今でこそ個人事業主での収入を主になんとか妻と生きているが、あの頃はまだ自分の意思で頑張ってきたという心の支えがあるだけで、それが生活維持、つまりお金を稼ぐという事に結びついているものは何もなかった。

 もしもだ、医者が専門委で、とてもとても丁寧に診察をしてくれて、発達障害の診断を提示された上で治療薬を提案されていたとしたら、たぶん私はそれを手に取っていたと思う。

 そして、これは今だから断言できるが、私は物心ついた頃から特徴が出ていたタイプなので、治療薬を飲んでも良い方向には向かなかったと思う。やれ副作用だなんだのと、そんで薬がどんどん増えて行って、今の生活は手に入れられなかっただろう。

 

 発達関係の治療薬や、精神疾患関係の向精神薬についてもそうだが、当事者界隈の情報をみてる感じ、飲む意味を問う程度の変化or余計に悪化してるかという人が目立っている、それが私見である。薬と上手に付き合えていると思える人、使って良かったんだなと思える余地のある人は少数と言わざるを得ない。

 同じ診断を受けながら、どこで違いがでるのか。それは元々、現実の中で適応できる思考回路であったかどうかに分かれていると思う。おかしくなった状態を戻そうという意識、つまり「戻りたい状態」がきちんとイメージできる条件が整っていることだ。

 対して、その点が曖昧、よくわかっていないまま生きてきた者が治療薬を使ったところで、現実の規格にあう状態になれるかと言えば、なれるわけがないと思う。

 私は間違いなく後者だった。

 

分岐点4EP 2017/01/13

 

▼分岐点5 職場で唯一の理解者だった先輩が事故で亡くなった時

 ストーカー事件の後、発達障害の診察、一時帰省、そして、一ヵ月の放浪旅を終えた私はその後、都内でゲストハウス生活を始めた。仕事は一人暮らしの時にもやっていたデバッガーを選んだ。歩き旅を通して養われた感覚をぶつけようと思った。

 私はそこでよく評価された。元経験者ということだけではない。「普通の人は、こんなにも早く喋っていたのか」と思えるほどに、新しい感覚が機能したことで、仕事についていけるようになっていたのだ。

 その新しい感覚に戸惑いつつも、充実した第三の人生を歩んでいた。当時の私は「物書き」を目指していた。そして、心に決めたパートナーが絵を描く人だったので、「一緒に絵本をつくろう」と話していた。

 

 そんな中で、私は職場で「一緒に仕事をしないか」と誘われた。社員になって一緒にやろう、ということだ。その人が、尊敬していた職場の先輩だった。 

 私は長年、中学生の時から、「スーツを着て会社に通う、会社員になること」を将来の目標としていた。「夢」と言ってもいい。

 それが叶う。気持ちが揺らいだ。一般スタッフは請負だが、社員になれば雇用契約になる。雇用となれば今までのように好きな時に出勤を決めることができなくなる。確実に自分の何割かを会社に預けることになる。

 

 私は相方に心境を告白し、社員への道を選択した。創作はいつでもできる。

 しかしその先輩は、私の研修終了直後に亡くなってしまった。事故だった。

 それから私の日常は一転、地獄と化した。

 私のことを知っているのは、その先輩だけだった。皆、私のことを知らない。意思疎通に難があり、業務を遂行する上での基礎知識も一般スタッフ以下だということを知らなかった。

 

 先輩とはツーカーで意思疎通ができていた。酒の席で互いの人生を交換した後、彼はいつも手首に巻いていたリストバンドの下を見せてくれた。リストカットの痕だった。

 その先輩がいなくなってしまった。

 

 社員の仕事は何もできなかった。元々できていたことさえおぼつかなくなり、私は仕事の継続が難しいと考え、発達障害の再診察を受けようとした。しかし、それすらも叶わなかった。ちょうど発達障害の認知度が高まってきた時期で、有名病院はどこも予約で一杯だった。

 職場ではわからないことを先輩に聞いても、私がわからないと言っている話が理解できず、何がわからないのかを逆に聞き返され、上司には精神科へ行くことと社員の交代の必要性を訴えても「どうせそんな診察が出ればいいと思っているんだろう」と呆れ、怒鳴られた。

 精神不調や発達不全が理解できない人間を上司にしちゃう会社は、それだけでブラックだと今でもそう思う。

 

 最終的には強引な手段をとって退職を勝ち得たが、この時もし、診察を受けることができ、叱るべき診断を受け、向精神薬の提案を受けていたら、私はきっとそれを手に取っていただろう。続けるなら診断を受けた上じゃないと、続けられないと考えていたからだ。

 

▼分岐点ファイナル スロットがやめられない

 ギャンブル中毒との闘い。

 執筆中。

 

hyogokurumi.hatenablog.com