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人は、言葉からは逃れられない。

おい、死んだぞ。発達障害仲間が精神治療薬に殺された。

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 一緒に活動していた発達仲間が自殺した。首つり自殺だ。

 最初にその訃報を電話で聞いた時、驚きや悲しみよりも、真っ先に「やっちまったか」という言葉が頭に浮かんだ。そのあとは「どうすりゃよかったんだ」という困惑と疑問。

 訃報の知らせを聞いてからもうすぐ半月経つが、私の脳裏にはまだ火種がくすぶっている。

 

 実行現場は風呂場だったらしい。彼女の住むアパートには一度行った事がある。"ADHDあるある"な汚部屋、風呂場はトイレと同じ空間で、経年劣化の激しいぼろタイルの床と黒カビ。「あんなところが最後の場所だったのか」と思った。そのあとでようやく、自分の中に沸き上がった悲しみを感じ取ることができた。

 

 彼女の人生は以前、食事の席で話に聞いた。自殺に至った理由は精神治療薬の多剤処方が原因だと、そう言わざるを得ない。彼女は多剤処方被害者で、薬物中毒状態だった。

 

 今更な話だが、私や他のメンバーはそのことを重く認識し、もっと違った形での関わり方を模索するべきだった。

 

 自殺実行前に何人かに送ったという、大量の殻の包装シートを写したオーバードース(OD、大量服薬)後の写真と、浴室のドアノブにひっかけたベルトの写メを見せてもらった。もしこれが私のところにも送られていたら、車ですっ飛んでいただろう。これはヤバイと、一目でそう感じ取れる。

 

 彼女をよく知る人曰く、精神治療薬を服用し始めたのは10年以上前の20歳前後からで、最終的に処方されていた薬はデパスマイスリーだという。いつのタイミングからなのかは不明だが、デパスに至っては頓服でMAX量、完全なベンゾ(ベンゾジアゼピン)依存症に陥っていたらしい。他にも複数種類の精神薬を個人で所有していた事をOD時の写真が示している。恐らくそれらは精神治療依存による禁断症状を抑える為に追加で処方されたか、個人で入手した薬物だと考えられる。

 

 気分が悪くなりました、じゃあこのお薬を出しましょう、それを飲んだら眠れなくなりました、じゃあ別のお薬を出しましょう、今度はいらいらするようになりました、じゃあ別のお薬を……と、薬物が次々と処方されていった経緯が目に浮かぶ。

 

 「デパス」とは商品名で、ベンゾジアゼピン系の薬であり、この成分は依存性、禁断症状が強すぎることで悪名高い。
 ベンゾジアゼピンの成分を含む薬は、ついこの間、使用上注意が改訂されたばかりだ。

https://www.pmda.go.jp/files/000217230.pdf

 

 彼女がこれを使用していたと私が知ったのは訃報の後だった。知っていれば、もっと違った接し方ができただろう。いや活動から外す事だって、もっと前から考えていたと思う。

 

 彼女が精神治療薬を使用していたことは、知り合った当初から本人のカミングアウトで聞いていた。減薬を頑張っているということも聞いていた。「今はこの活動だけが生きがい、これがなかったらとっくに自分は自殺している」とも言っていた。実際、活動だって一番頑張っていたと思う。

 だから薬の事には触れなかったし、"健康、精神上の弱者"という見方もしなかった。

 

 彼女は事ある毎に精神不調を訴えては動けなくなり、予定通りに物事を進めることができなかったが、そんなことをすぐに忘れさせてくれるほど、普段の彼女はメンバーの中でも一番元気で明るかった。彼女とはいつも意見が合わなくて、そういう意味で感情面にいちばん負担をかけたのは私だったと思う。でも発達特徴があるのは皆お互い様だし、よくないと思ったことは遠慮なしに指摘し合って、その度に揉めては仲直りして、一歩一歩進めていると思っていた。このチームで本当によかったと思っていた。

 

 ただ年が明けてからは些細なことで感情的になることも増えてきた。私の中では「本当に活動に加わっている状態でいいのか」という疑問を無視できなくなっていた。やっぱり治療や静養に専念するべきでではないのか、そうするべきであると理解させるよう努めなければいけないのではないか。そんな事を考え始めた矢先に今回の事件が起きた。

 

 そう、これは事件だ。どこかの馬鹿な医者の医療行為のせいで、彼女は薬物中毒になり、壊れた脳が彼女の意思に、自殺をさせたのだ。

 でもこれが今日の精神医療及び、精神疾患界隈の日常である。心の不調を治す為に病院で診察を受けて薬をもらい、それで調子が戻って良くなった人たちもいれば、不適当な医療のせいで、元の不調すらも治らなかったばかりか、薬の副作用を抱えてしまい、その後、それまでの日常を送ることができなくなった人たちがいるのだ。

 彼女は後者の方だった。

 

 既に葬式は終わったと聞いた。でも私の中ではまだ、終わっていない。終わらせ方がわからない。

 

 ただ一つ。いなくなってもその存在を認識している感覚がある事に気が付けた。これがきっと「感じ取る」ということなのだろう。

 

 私はこの新しい感覚を、大切にしたいと思う。