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私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

【第4話】毎日12時間パチスロを打っていた中毒状態の私がスロを止められるまでの話

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前回 【第3話】毎日12時間パチスロを打っていた中毒状態の私がスロを止められるまでの話


 これまでのあらすじ

 親の自己破産、一人暮らし、 ストーカー、発達障害の診察、放浪旅――などのエピソードを経て、私は都内でゲストハウス暮らしを始めた。そして、デバッガーの仕事に再挑戦した。旅を通して心境面の成長があった為か、仕事は以前よりできるようになっていた。しかし、やはり知識と経験不足がネックとなり、思うように業務を進められない時があった。そこで私は更なるスキルアップの為に、本腰を入れてパチンコを打つようになったのであった――

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【第4話】キャッシングに手を出した

 十月。ゲストハウス暮らしを始めてから五ヵ月――
 平日は仕事で8時間ほどパチンコやパチスロの筐体と向き合い、仕事が終わってからも週に1~3度はパチンコ店で"残業"をした。休日はウズウズした時に打ちに行くことがあった程度で、金が少ない時は一円パチンコを打った。打つ機種はエヴァ系がほとんど。この頃は使途再と約エヴァが大人気だったと記憶している。

 打ちにいかなかった平日と休日は、主に創作活動に時間を使った。自分の小説を書いたり、相方と一緒に創っている絵本のストーリーや文章を考えた。「相方」とは、放浪旅中に知り合い、恋人関係+創作仲間になった相手(現妻)だ。

 相方の住んでいる町はあぜ道や牛小屋があるような田舎で、会って何かをするとなると自分の住んでいる都内の方まで来る事になるわけだが、バスと電車で片道1000円ほどもかかるので、財布の都合で会うのは月に一度と相談して決めた。

 当時の日記と記憶を頼りに書くが、この頃の投資額は数千円から多くても2万円程度だったと思われる。勝つ時、負ける時もそれくらいで、たまに負けが続いて4~5万の諭吉を囚われても、ちょっと当たれば同額分の諭吉を救出することができた。この頃はそんな時代であり、そんな感じで翌月の給料日まで財布のお金はなんとなく回っていた。

 それでも確実にトータル収支はマイナスだった。数万円単位のプラスで連勝できればいいのだが、負け負け勝ち負け勝ち負け負け……という具合で、収支は常にマイナス寄りのイタチごっこ状態だった。

 


お金がない!

 ――また月日は流れ、年が明けた1月。
 その頃の日記によると、1月27日の休日に、初めて開店から閉店まで一日中打ったようだ。
 この日の日記にはこのような一文が綴られている。

『もううんざりだ。勝っても勝ってもどこかで吸い尽くされる。もうやめた!』

 一日費やして日給マイナス25000円という結果に相当こたえたようだ。

 なのに、1月30日にはもう打ちに行ってしまっている。

『行っちゃった。2000円で赤7…、その後は地獄。もういやだ。こんな悔しい思いしたくない。やめるやめるやめるやめる明日から真直ぐお家に帰るんだ。帰るんだああああ』

  それでもやっぱり止めたいという気持ちを抑えきないまま、パチンコと共に日常を過ごす日々が続いてしまっている。

 今思えば、本格的に中毒状態に堕ちていったのはこの頃からだったのかもしれない。

 2月20日は、実店舗でスロットの打ち方を後輩に教えている。やめたいという気持ちもあったし、こんな物の遊び方を教えていいのかと、そういう意味で複雑な心境でもあったが、人に教えられるようになったことを内心では楽しんでいた。
 余談だが、私は別の日に、この後輩を連れ打ち(勝っても負けても二人で折半)に誘った事があるのだが、折版するタイミングをちゃんと取り決めておらず、金を分けるタイミングの事で強引な話をして、嫌な思いをさせた事を申し訳なく思っている。彼だけが勝って私だけが負けていた状態で、彼はまだ打って増やしたいと言ったが、私はその時点での折半を要求したということだ。結局、折半をしたのかどうかは覚えていないが、この時の彼は困った様子で笑っていた。でも内心はムカついていただろうなぁ。


 そして4月――
 歩き旅に出てから一年が経った。その区切りに合わせて、私は職場でチーフになっていた。社員一歩手前の班長みたいな立場をイメージしてほしい。一般チェックスタッフと社員の間に立ち、全員に指示を出したり状況を報告をしたり新人の世話をしたりと、現場の事ならなんでもやる立場だ。

 相方との創作活動を通して、自分は物書きを目指すと決めていた。ただ、今以上に仕事ができるようになるには一般チェックスタッフの立場では厳しいと考えていた。検索できる資料情報に制限があったし、チェックをすることが仕事なので、資料検索といった事はチーフが代わりにやるのが常だった。でも、自分がチーフになれば仕事中いつでもその情報をみる事ができるし、仕事の組み立てだってある程度自分でできるようになる。

 ――自分の方がもっといい指示が出せるのに……
 ――自分ならこうやってだんどりを組むのに……
 ――自分ならもっといい仕事ができるのに!

 10月頃からだったか、そんな強気な感情がむくむくと膨らんでいった。意識の上では、いつも物書きを目指していたかった。でも私は、この衝動に従うことにした。

 一般チェックスタッフの仕事ができるようになったことは、もうそれまでの間に十分証明できたと言える。でも一つ上の立場から今の自分の仕事を管理する事ができれば、それが真の証明になるのではないだろうかと考えた。いや、気がついてしまったという感覚だ。できるという自信もあった。私はその証明の為に、次のステップへ進もうと思ったのだ。
 
 だから、もっとちゃんと打たなければと思ったのであった…………。 


もういやだ!

 仕事を覚える為……その一心で打ち始めた。それは間違いなかったのに、「打ちたくて打っている自分」を意識するようになった。

 ――ぶっちゃけただ好きな機種ばかり打っているだけじゃん

 ――結局勝てる側になれずに、金がなくなったらすぐやめるやめるとほざいている

 ――勉強の為ならいろんな機種を打つべきじゃないのか? なぜ今日も緑ドンに座っている?

 ――今は勉強中、負けて当然だ

 ――勝てるようになったら取り返せばいいのだ

 ――煙草をやめられない事も気にするな

 打ちながらなんでも考えた。
 創作活動の事も、仕事の事も常に考えていた。
 いつからか、打っている時の方がいろいろ考えやすいと思うようになっていた。

 放浪旅でついた自信が私を突き動かしていた。今更だが、そのエネルギーをもっと創作に費やすべきだったと思う。

 

 私がこんなにも意気込んだ理由は、中学生の頃に抱いた「夢」が深く関わっている。

「スーツを着て会社に行くこと」

 これが、中学生の頃に抱いた私の夢だった。私はずっと、普通の人を目指していた。発達障害の診察と放浪旅でその願望の呪縛からは解放されていたんだけど、それがもしかしたら手に届くかもしれない状況になって、私の心は大きく揺らいでいた。チーフの次の立場は社員だからだ。

 今の会社で認められるには、仕事ができるようにならなければいけない。それすなわち高いデバッグの能力を有していることであり、パチンコやパチスロにも詳しくなくちゃいけない。
 だから中途半端にやるわけにはいかない。どんな手を使ってでもパチンコに対して詳しくならなくちゃいけない。自分は打つしかないというなら打ってやると、そう心に決めたのだ。

 そんな勢いに任せて打ちまくった。財布の中は気にしなかった。家賃や光熱費、食費などの生活費分を使ってはいけないお金として分け、それ以外のお金はほぼつぎ込んだ。
 それでも他の浪費がかさんで生活費が足らなくなる事もある。そんな時は翌月の給料で返す事を理由に地元の友人から借りた。もちろん翌月にちゃんと返した。

 ある時は負けが続いて投資できる金がなくなり、これだけはしまいと思っていたのに、支払い関係の使ってはいけないお金に手を付けたことがあった。その金すらもなくなり、呆然としながら数百円を握りしめて1円パチンコに座ったらそれが8000円となり、その後、当時一番好きだった緑ドンに座ったらそれが7000枚(14万円)に増えた。

 なんとその勝ちで、それまでのマイナス収支をほぼ埋める事ができてしまったのだ。

 最高に興奮した時だった。それが頭のぶっ壊れた瞬間だったのかもしれない。数ヵ月打ち続けて収支マイナス10万まで行ったとしても、数ヵ月に一度の超ラッキーがあればほぼ取り返せてしまう。今までやめたいのにやめれないでもうたなきゃと思いながら悩んでいた自分がアホらしくなった。自分は心配性なのだ。放浪旅で100万円くらいの借金をつくるつもりだったくせに、数万程度のマイナスで何を今までびくついていたんだと。

 悩みは晴れた。それは間違いない。でも私の頭の中はいつも「お金がない」という感覚に囚われていた。

 それから半年ほどチーフを務めたあとで社員になれた。が、その頃が一番やばかった。仕事の後も休日もほぼ毎日打ちに行き、毎日3万~5万近くの金が財布を出入りしていた。創作活動は相方には了承を得た上で休止していた。今は仕事が優先という理由、創作は老後でもいいじゃないかという話をしたと思う。

 でも、相方とのデート中にもパチンコが気になるようになった。月に一度しか会えないのに、明日も仕事で早いことを理由に夕方頃には解散するようになった。相方が暗くなる前に家に着く時間を考えるとその時間でむしろ正しいんだけど、「もっと長く一緒にいたい」という気持ちが、「早く打ちたい」という衝動に覆い隠されてしまうことがあったのだ。初めの頃は相方の最寄駅まで一緒に行ったのに、そこまで付き添いをしなくなってしまった。その内に金が回らなくなり、月に一度のデートが、二カ月に一度となってしまった。

 キャッシングに手を付けたのはその頃だったと記憶している。

 パチスロのほとんどの機種には「天井」という仕様があり、ある回転数を超えると自動的に当たった状態になるのだ。例えば過去のエヴァンゲリオンパチスロなら、ボーナスを引けないまま1000回転に到達したら、その後は暴走モードに突入し、ボーナスを引けるまでメダルが減らない状態のまま打ち続ける事ができる。

 パチスロを知らない人からみれば「え? じゃあ999回転目の台を見つけたら1回転で当たるということ?」という疑問を持つだろうが、その認識であっている。

 あの時はたしか熱くなりすぎて、有り金を全てつぎ込んで、天井付近まで回してしまったのだと思う。流石に家賃には手を付けなかったが、それ以外の光熱費や食費すべてを投資してしまったのだ。
 金はない、でももう天井が目前、あと一万円あればそこまで届く状態……

 そういえばクレカのキャッシングってお金がすぐに借りれるんだっけ?

 それまで私はキャッシングを使った事はなかったしその機能すらも気にしていなかったのだが、その時にいらん知識を思い出してしまったというわけだ。

 私は台をキープしたまま近くのコンビニに行き、記憶を頼りにATMを操作した。
 そしてお金を得ることができた。たしか三万円を借りたのだと思う。

 

 その金で続きを打って、一万円投資して、ボーナスを引いて、2000円分のメダルを獲得した。


【第5話】止めれないよぉ……………………

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