HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

【前編】24歳の時に大学病院へ発達障害の診察を受けに行った時の話をしようじゃないか

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 今から10年ほど前の話だ。その頃の私は、生まれ育った町の隣、A県で一人暮らしをしていた。自営で飲食店を営んでいた両親が自己破産をして、それを機に始まった一人暮らしだった。

 歳は24歳。仕事は夜勤で、請負のデバッガーをしていた。デバッガーとは発売前のデジタル製品の動作を検証する人のことだ。

 非定型特徴を自覚しながらも、何が普通で何がおかしいのかと、そんな課題と向き合いながら生きてきた。人と機械とで対象は異なるけど、正常と異常について考えるその精神は、この仕事でも絶対に活かせると思って始めた仕事だった。

 発達障害についてはまだ未診断で、障害特徴のことについては、専門的な支援を受けた経験もなく、自助努力のみで生きていた。当時の日本ではまだ、発達障害の認知がぜんぜん進んでいなかった。今と違って、自分も他の当事者との繋がりはなかったし、発達障害に関する知識といえば、関連書籍とネットの検索で得られる程度の内容、それ以上の事はわからなかった。その中で語られる障害特徴とはたくさんの接点があったから、自分も発達障害のどこかに位置する可能性は高いだろうと思っていた。

 私は自身の非定型特徴の原因の大部分は、育成環境と生活環境にあると考えていた。親は宗教をしていたし、夫婦喧嘩ばかりだったし、非常識的な人達だと思っていた。だから、そんな親から離れて暮らすことで、多くは改善に向かってくと考えていた。

 でもその人生の復興と再起をかけていた一人暮らしに、私は失敗した。もう、限界だった。仕事はうまくできないし、金遣いのコントロールもできず、生計もぐちゃぐちゃだった。職場の人にも大変な迷惑をかけてしまった。

 もうこれ以上は一人で頑張ってはいけないと思った。だから発達障害の診察を受けることにした。診察とお医者様からのアドバイスを頼ることにしたのだ。


 これから話すことはこのストーカー事件の後に位置するエピソードである。お時間のある方はまずこちらの記事を先に読んでほしい。


 大学病院へ 

 診察当日、私は友人の運転する車に乗って、予約をした大学病院へ向かった。わざわざ車で運んでもらった理由は、今はもうはっきりとは覚えていないのだが、たしか「行ったことのない場所へ一人で行ける自信がないから送ってほしい」とか「大切な診察だからついてきてほしい」とか、そんな理由だったように思う。彼とは小学生からの付き合いで、いまもしょっちゅう連絡を取っている仲だ。


 友人は病院に着いてからドライブに出かけた。そこからは私は一人になった。

 子供の頃はよく熱を出すなどで病弱だった私にとって、大きな病院で診察を受けるという事自体に抵抗や緊張はなかったのだが、精神科に足を踏み入れたのはこれが初めてだった。流石に緊張した。
 精神科へ通じる廊下を歩いている時、鉄製の扉が目が留まった。開放されていたが、いざという時はここを封鎖して隔離する為だろうか。そんなことを考えてしまった。

 

 診察受付の窓口まで足を進めた。予約を取っていることを伝えると、初診の人はこれを書いてくださいと、問診票が挟まれたボードを渡された。私は待合ベンチに座ってせっせと記入した。私はその問診票の項目が気に入らなかった。「人に監視されていると思う」など、いかにも精神科の診察でありそうな質問が並んでいるもので、正確にどんな質問内容があったかはもう忘れてしまったが、『はい・いいえ・どちらでもない』と、回答として選択できる項目がとても限られていて「わからない」という選択肢がないことにとても苛立ったのを覚えている。

 診察を受ける前から私は(これでは嘘で回答することになるではないか)と、精神科の診察精度に大きな不信感をもったのだ。だから私はわざわざ「わからない」と追記して回答をした。あと「こういう回答選択肢も必要だと思う」などと注釈を入れた記憶がある。

 記入が終わってから私は周囲を見渡し、診察を受けに来た他の患者の様子をさりげなく窺った。目と耳が吊り上がっている子供、不自然なほど微動だにしない若者、髪の毛がぐちゃぐちゃでホームレスみたいなおばさん、付き添いの中年女性と来ている中年男性は小刻みに震えていた。

 しばらくして私は診察室に呼ばれた。室内に入った私はぎょっとした。そこは診察室というより、会議室のように長机が口の字型に並べられた部屋だった。壁にはホワイトボードもあった気がする。そして向かいには精神科の医師と思しき高齢の男性がいて、他の席には10名程の若い医師たちが座っていた。


 診察開始、だが…… 

 初めに、「今回の診察では学生医師の勉強の為に、彼らに同席の許可をいただきたい」と言われたので私は了承した。自分が診察を受ける様子が、誰かのプラスになるならそれは良いことだと思った。
 そしてすぐに診察が始まった。まずどうされましたか、といった感じで聞かれたので、私は、中学生の頃から自分は他とは違うという自覚があったことと、発達障害の診察を受けて明らかにしたいということを話した。そして、どういったことが発達障害だと思えたかと聞かれたので、本に書いてあることが当てはまることや、一度気に入ったものはとことんコレクションしてしまう収集癖があることなど、思いついたことをぽつぽつと話した。これまでのエピソードを紙にまとめて書いてくるとか、そういう準備はしていなかった。本の知識に影響を受けて妄信してしまっている人だと思われたくなかったからだ。

 すると医師はにこっとしながら言った。「私は発達障害の専門医師ではないんだよね」
 それを聞いた私は、とてもショックを受けた。電話で診察予約を入れた時に私ははっきりと発達障害の診察を受けたいと言ったのに、なんで今日その診察が受けられないのかと。お金を返してほしいと思った。

 医師はさらに続けた。発達障害の診察は子供が受けるもの。大人でも診断を受ける事例はあるけど、貴方はどちらかといえば統合失調ではないか。本物はもっと酷いよぉ?」と。子供をあやすような言い方だった。

 待て、待て待て待て――と思いながらその言葉を聞いていた。なんでそうなる。違うだろ、と。成人者の発達障害診察には子供の頃の様子とか、通信簿のこととか母親の証言とか、そういう情報も加味した上で考えなくちゃいけないじゃないのか。

 私は中学の頃から自覚があった。ピンポイントでその特徴部分の克服をかけて自分なりの訓練をしてきた。だから症状や特徴が余計に目立たなくなって外見上わかりにくくなったのかもしれない、そう考えることもできる。でもここに来たってことはそれでも困ったことが解消されないからであって、診察を受けて明らかにしたいってことだろ。

 「どうします? お薬出しますけど」

 ――こいつはなぜ何も聞いてこない

 「まぁ、あんまり納得いってないようだけどw」

 ――まず診察を受けて白黒ハッキリさせてほしい、それだけのことすら叶わないのか……

  私は視線を落としたり、また医師の顔をみたりして、きょどってしまった。
 本やネットで知ることができる発達障害診察に関することは、何一つ聞かれなかった。

 

 未診断のまま自覚有りで生きてきたグレーゾーンは、その悩みの歳月が長い。発達障害のことを知ってからは、診断を受けた方がいいのか、はっきりさせるべきかと、悩みながら生きてきた。毎日だ。それが心の中で重しとなって、それだけでも日常面で支障が起きているのに。

 とにかく、とにかく、とにかくだ私は診察を受けて明らかにすることを要としていた。仕事や人間関係で失敗をしても、それは障害特徴なのか、自分のただの性格なのか、その線引きがほしいと思っていた。
 医師に聞けばその点で助言などを教えてもらえると、そう思っていた……。

 

 私は頭を切り替える必要があると考えた。このままじゃ帰される。このままじゃ精神病扱いになってしまう。それはまずい、次に繋がる何かを言わなければ。

 そう考えて私の言った一言が「ヴァイスアールを受けさせてください」だった。(WAIS-R→ウェクスラー成人知能検査 - Wikipedia

 医師は軽い口調で言った。

「あぁ、ヴェイスね。よく知ってるねぇ~、いいですよ。じゃあそれ受けてみましょっか~」

 とりあえず受けさせてくれるようなので安心した。いずれにせよこの医師の診察は当てにならない、当てにするべきじゃない。もしかしたら他の医師もこんなんかもしれない。

 それなら……と、数値で結果がでるテストを頼ることにしたのだ。

 

 また予約をとっただけ 

 ――結局、それまでとこれからの人生をかけて挑んだ初の発達障害診察は、知能テストの予約だけをして帰ることとなった。

 帰る時のことはよく覚えていない。ほとんどというか全く記憶にないということは、当時の自分はそれなりにショックを受けていたのだろう。

 ただ一つ、診察が終わった後、病院内を移動中はずっと「これが現実だ」という気持ちと向き合っていたことだけは覚えている。「現実」を認識することで冷静でいることができた。

 診察を受けて白黒はっきりさせることも、容易には叶わない。ネットや書籍でも知っていたから覚悟はしていた。だから悲しみとか怒りの感情が膨らんでいくといったことはなかった。ただただ、底が見えないほどのでっかい穴を覗き込んでいる気分だった。

 携帯から友人に電話をかけて、また病院まで戻ってきてもらったんだと思う。車の中で「診察をしてもらえなかった」といった会話をしたような記憶がかすかに残っている。気を遣うように当たり障りのない相槌を返す友人の姿も。

 本当に、知能テストの予約を入れたというだけで、それ以外は何の進展もなかった。それだって私の思考回路の働き方次第では得られなかった結果だ。普通なら統合失調の薬をもらって帰ることになっていただろうさ。実際、似たケースに陥って統合の診断を信じて帰ったという人は少なくないだろう。そして多剤処方の被害者の仲間入り。

 

 診察に挑んだことで、それまで一歩距離を置いて向き合っていた課題――「俺は発達障害なのか?」という疑問と直接対峙することになったから、精神面の状況は一気に緊張状態に陥った。

 私は子供の頃から少しでもストレスを抱えると狂いそうになって何も手につかなくなるタイプだった。例えば、小学生の頃は土日しかテレビゲームが許可されなかったことから、平日はずっとゲームがしたくてそればかりが頭に渦を巻いて狂いそうになっていたし、何かをして怒られれば、怒られた時の感情の乱れがずっと頭を駆け巡って気持ちがぐちゃぐちゃになったし、人間関係で失敗した時もよくそういうことが起きていた。

 上手くいえないが、『体の中がパニックになる』感じで、それが起きることに恐怖していた。二度と味わいたくない感覚だった。

 診察の日からテストの日まで、一週間か二週間程度あったように思う。私はその間、自分がパニックにならないよう慎重に生活を行った。なるべく穏やかに過ごすことを心掛け、なるべく平常心の時の行動を意識して、爆発物を抱えているつもりで過ごしていた。特にえっちなことをよく考えた。時間が早く過ぎていくし、すぐに疲れて眠くなるからだ。

 早く寝て、考える時間を減らすことで、気持ちは落ち着いてゆくし、安定した日常を送りやすくなる。余計なことを考えなくて済むし、何よりの休息になる。

 そう、これ余談なんだけど、何をもって『休む行為』と言えるのかといえば、『頭の中から言葉を抜くこと』が一番効果が高いと思う。その為には寝ちゃうことだ。つまり言葉と向き合っていない時間を長くとること。ヒーリング効果があると言われているものだって、言葉が使われていないものが多いよね、うん。

 この界隈は心身の休ませかた方を知らないまま生きている人が多い。とにかく、休みたい時は言葉を頭から追い出そう。

⇒次回