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私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

【第5話】毎日12時間パチスロを打っていた中毒状態の私がスロを止められるまでの話

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前回 【第4話】毎日12時間パチスロを打っていた中毒状態の私がスロを止められるまでの話


 これまでのあらすじ

 親の自己破産、一人暮らし、 ストーカー、発達障害の診察、放浪旅――などのエピソードを経て、私は都内でゲストハウス暮らしを始めた。そして、デバッガーの仕事に再挑戦した。そこで私は更なるスキルアップの為に、本腰を入れてパチンコを打つようになったのだが、天井を目前に金がなくなった為、キャッシングに手を出してしまったのであった――

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【第5話】止めれないよぉ……………………

 ついにクレジットカードのキャッシング枠までもが、投資金の範囲に入ってしまった! もちろん翌月に返済したら二度と借りないと決めていた、決めていたのだが……。

 社員になってからというもの、頭の中は一日中パチスロのことで一杯だった。「打ちたい」という欲求と「仕事を覚えなきゃ」という義務感が入り混じった、とても危険な衝動だった。

 パチスロに詳しくなろうと必死で打つも、収支はイタチゴッコのままで確実に負けが増えていった。囚われた諭吉の数はもうわからない。どうしてもプラスにすることができなかった。

 しかも私を社員に誘った先輩は、入社早々になんと事故で死んでしまった!

 周囲の同僚は私のことをよく知らない人だけになった。

 この頃、まだ発達障害のグレーゾーンだった私には、この先輩のような気の合う理解者が必要だった。発達障害界隈でいう「当事者の通訳になる人」である。先輩は自分にとって、そのポジションに位置していた人だった。

 先輩がいなくなったことで、職場ではそれまで起きなかった意思疎通のずれが頻発。予想していた通りだった。それらは単に私の怠慢や能力不足として認知され、怒られる日が増えていった。

 一人で悩みながらも仕事だけは手を抜かないと、毎日残業のつもりでパチンコ屋に足を運んでいた。

 でも先輩はもう、会社にいないのだ。

アルバイトを転々とする日々

 その後、私は「転職」を理由に会社を退職した。自分を社員に誘った先輩がいなくなったことは精神的背景として誰にも言わなかった。

 自分がどこまでできるのか、それを追求したい気ももちろんあったが、デバッグはもういいという気持ちの方が大きくなってしまった。自分がどこまでできるようになったのか確かめてみたいという気持ちで戻った業界。一般スタッフからチーフになって、そこから社員に誘われた。当所の目的は十分に達成されたと言えるだろう。綺麗な終わり方ではなかったが、始めて自分のことを認めることができた。

 他にも整理しなければいけない気持ちが多々あったが、その中の一つに「もう打たなくていい」という安堵感もあった。

 自分は勝てる側には立てなかった。このまま打ち続けてもマイナスが積み上がるだけ。ここらが潮時でしょ、と思った。

 そう、もうこれで打つ理由はなくなったのだ。そのはずだった

 

 でも私はやめることができなかった。仕事を辞めてから数日後にはもうホールにいっていた。気晴らしにゲームセンターに行くような感覚で「あぁまた打っちゃった。まぁいっか」程度にしか思わなかったと記憶している。「自分はそのうち飽きて自然と行かなくなるだろう」と軽く考えていた。今思えば、止める方法や理由がピンと来なかったから考えることを放棄していたのかもしれない。

 その後、都内で暮らしている間は、漫画喫茶やコンビニスタッフ、イベント会場スタッフ、営業事務と、職を転々とした。創作活動も再開したが、この間もパチスロは連日通いこそしなかったものの、止められずにだらだらと続けてしまった。

 仕事、パチスロ、創作活動と、ある意味ではメリハリがはっきりした日常だったが、常に「お金がない」という気持ちに悩まされていた。

 プラスで終わる月なんてなかったから、毎月財布の中は生活費だけでぎりっぎりの状態だった。一時的にプラスになっても、結局、マイナスになるまで打ってしまうので、当然の境遇である。

 この頃は、仮に大負けしてもショックにさえ思わなくなっていた。打ち続けていればたまに大勝ちする時がある。いつかはわからないが確率的にそれが絶対にあるのだ。その時は、全額とは言わないがそれまでのマイナス分をだいたい取り返すことができていた。大勝ちする時は3000枚~6000枚(6万~12万円分)のメダルがでるので、それくらいの負けなら気にしなくてもいいと考えてしまった

 仮に一ヵ月かけてマイナス5万円~10万円になっても、その大勝ちが一回起こるだけでほぼほぼチャラになるのである。それが二日連続起こるだけで余裕でプラスになる。仮に金がなくてもキャッシングで金を借りればまた打てる。勝ち負けと金の出入りをリズムでイメージすれば、借り入れが10万くらいになるまでは余裕だと思えてしまった。仮に返しきれずマイナスが1~2万円残ったとしても、それくらいなら「服を買った」とか「遊びに行った」とか思っておけばいい、「パチスロに行ってなくても残らなかったお金の範囲」であると。

 今思えばとんでもないどんぶり勘定である。それが長い人生の中で本当にたったひと月だけの出来事ならいいかもしれないが、それが毎月のことでしかも一年~二年と続けばとんでもないことになる。もちろん、そういう想像はできていた。けど、当時は実感をもつことができなかった

 たまに大勝ちしても「あと一回、同じくらい勝てればプラスで上がれる!(引退できる」と考えてしまい、翌日に行ってしまうのである。2~3カ月に一度はそういう状況になったが、また深追いして以前よりも大きなマイナスを抱えてしまう。これが、ほぼ勘だけで打っているにわかスロッターがキャッシングで10万~20万の借金を抱えてしまう理由と言えるだろう。

 それが第一段階であり、この状況に陥ってしまうことがもう命とりなのだ。

 アルバイトでカツカツの生活をしている者にとって、意識せずに返せる借金額はせいぜい5万円までだ。それでも毎月5000円を一年間払い続けるということを重く認識しなければならない。

 20万なんていう借金額は、親に肩代わりしてもらうなど、緊急対策が必要な額であり、返済資金用に掛け持ちバイトでもしない限り、もう返せない金額でなのある

貯金の為、実家へ帰郷

 止めようと思っていたのに、止めることができなかった。その事実をもっと強く、ちゃんと認識するべきだった。 

 でもそこまで考えてない内に、私は一旦東京での暮らしをやめて実家に帰ることになった。アパートの初期費用を含め、相方と二人での新生活を始める前の貯金作りである。ゲストハウスとはいえ家賃や光熱費の支払いを考えるとどうしても支出がかさむので、実家で暮らしながら短期間で一気に稼ごうとしたわけである。毎月二人で貯金用の口座に入金していくことを相談して決めた。実家は関西のほうで、半年くらいで関東に戻る予定だった。

 実家に戻ったタイミングでは、たしか7~8万円近くの借り入れが残っていたと記憶している。10万は超えていなかったはず。この借り入れは実家に帰ったことで生活費の支払いが抑えられた為、初期の段階でほぼ返済ができたと記憶している。

 借り入れとの縁が切れたそのタイミングで、「あぁ、会社を退職した時点で止めていれば結構貯金できていたのにな。これからは心を入れ替えよう」と、ATMの画面を見ながらそんなことを思った。

 しかし、ここからが本当の地獄の始まりだったのだ。 


【第6話】二人の貯金に手を付けた

 執筆中。続きは後日。シェアしてくれると早まります!