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【後編】24歳の時に大学病院へ発達障害の診察を受けに行った時の話をしようじゃないか

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 また若い医師 

 予約を取ってから数ヵ月後(たしか三ヵ月程)に、私は無事知能テストの日を迎えることができた。

 実は最初の予約だけを取った診察日からこのテストの日までの間に、私は合宿で運転免許証を取得しにいっている。記憶があやふやだが、次の予約日が少し先になるけどどうする?的な会話があって、それなら先の方にしてその間に免許をとってしまおうと考えたんだっけかな。6月か7月に診察、7月~8月に合宿(無事、免許取得)、10月に知能テストという流れだったと思う。「悩みまくる人生を終わらせてやる!」という気持ちの熱が冷めない内に、やろうと思ったことをどんどん予定に組み込んでいった。

 

 自動車合宿の話はこの次の番外編で書くとして、話を戻そう。知能テスト当日だ。

 この時は友人には頼らず、一人で病院に向かったと思う。電車を使ったと記憶している。「電車くらい一人で乗れる」と、意気込んで切符を買って、改札を通ったのだ。

 病院で案内された部屋は、前回の診察の時とは違うまた別の診察室だった。そこはなんというか、当時の時代感覚からみても、一世代か二世代ほど古びた感じの診察室だった。

 壁はなんかセメントっぽくて、所々にヒビや経年の汚れがあった。真っ先に連想したのが閉鎖病棟的な印象だった。記憶違いかもしれないが、天井に近いところにあった窓は、格子付きだったように思う。飾り気も全くなく、学校の職員室にありそうなスチールデスクに書類と薬品棚、診療ベッド。

 あと、時計の針の音がとても響く部屋だった。

 針の音というのは分針ではなく秒針のことである。しかも1秒間に2針刻むタイプで、1針刻む度にかなりしっかりとした「カチ」という音を鳴らすタイプだった。それが室内に響き渡る。つまり、その部屋にいる間はずーーーーーっと、『カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ――――』という音が響きっぱなしであった。

(なんの嫌がらせだよ、俺はこんなところで運命と向き合うのか……)

 そんな心境の中で私はテストの説明を聞いていた。知能検査の後、心理テストもあるので、その間に一度休憩を入れるとのことだった。
 長時間に及ぶことを念押しされたが、むしろ私は望むところだった。パズル系の問題が好きなので、知能検査が楽しみな気持ちも大きかった。

 相手は若い医師だった。研修生のような印象で、ここでも、私の問題は大真面目に受け止められていないんだなという感想をもった。

 

 どんなに頑張っても頭を使っても上手くできなくて、

 ただ馬鹿正直に何も考えず言われた通りにやってもできなくて、

 誰かに相談してもその話すらうまくできなくて、

 なんかおかしなことが起きているとしか思えなくて、

 これが原因かと思えた唯一の情報が発達障害で、

 その診察に行ったのにまともに話を聞いてもらえなくて、

 テストを受けさせてもらえると思ってちょっと安心したら、

 医者は研修生だったりして

  この診察とテストには、人生の行く末がかかっているんだよと、私は大声で叫びたくなったのだった。

 WAIS-R 

 まず初めに「WAIS-R」という成人知能検査を受けた。これから受ける人の為にも、ここでテストの内容を具体的に説明することはできないが、簡単に言うと、多種多様な問題やパズルのテストを行い、その結果を項目別に数値で表すというのがこのテストだ。数値は0~20の間で、平均値は10である。つまり、10に近ければ近いほどその能力は平均的であり、離れていれば離れているほど平均的ではないということだ。

 この数値をみれば、自分が得意としていること、苦手としていることを考える上で大きな参考になるだろう。特に私は自分がどれくらい普通から外れているのかを知りたかったので、平均から逸脱した能力がどれくらいあるのか、そういうところにも注目していた。

 私はこのテストに一番の期待を込めていた。その理由は、私にとって医者という存在は、『定型生活』の中で生きてこれた『普通の人たち』だからだ。この考えはこの当時ほど極端ではないというだけで今もあまり変わっていない。

 自分が育った環境のようにおかしな家庭の中で育った人は、勉強だってろくにできなかったはずだから、医者になれるということは、どちらかと言えば普通の人たちだろうという、脳内統計的な話なのだが。
 なにが言いたいかというと、医者という職種の人達は、普通からずれた人達があちこちにいるということを、(私に言わせれば)本当はこの社会の中で一番よく知っているはずの人たちなんだけど、自分がそういう世界の中で生きていることを肌身で感じとれていない医者もいるはずで、私がいま来ているこの病院も、そういう観点から考えることができる医者が少ないのだろう、と。
 
 自分が適切な診察を受けられなかった理由はそんなとこだろうと、この時は考えた。だから、数値で結果が得られる知能検査の方を信じることにしたのだ。そして、これからの生き方のことも、自分で考えて判断しようと思ったのだ。

 そして、テストが始まった。









 超楽しかった。パズル問題大好き~ヾ(´∀`)ノ

 ロールシャッハテスト 

 記憶違いでなければ、先にWAIS-Rを受けて、次にロールシャッハテストを受けたんだと思う。
 で、その前に昼食をとる時間を含む1時間ほどの休憩を入れたと記憶している。

 この頃はもう生活費と収入の釣り合いが取れていない状態で、とにかく金がなかった。どこかの飲食店に入るなんて豪勢なことはできず、私は売店でパンとコーヒー牛乳程度のものを買って、病院の駐車場近くの外壁だったか、どこかにもたれながらもそもそと一人で食っていたと思う。そこは人気がないところを探して辿り着いた場所だった。院内のベンチはどこも満席で、落ち着いて食事ができそうな場所はどこにも見当たらなかった。
 その時の自分は、WAISを受けていた時の自分の様子について考えていたと思う。普段の自分の調子で受けることができていたか、何かいつもと違うようなことは言わなかったか、自分が受け答えしている様子を想像で回想していた。テストの結果が当てにならないものになったら困るからだ。

 診察室に戻ると、テスト再開の前に今の気分や調子を聞かれた。私は大丈夫ですと答えた。

 ロールシャッハテストはインクの染みがなにに見えるかを答えるテストだ。その時の様子や回答内容から心理状態を考察するもの、だと思う。

 なにに見えたかを正直に、自分の言葉で説明するだけなので、別に難しいことはない。「悪魔っぽい顔」とか「魔術の儀式みたい」とか「蟹の顔っぽい」とか、そんな回答をした記憶がある。見たまま思ったことを正直に答えた。
 ただ、医師の方からは具体的な回答を求められたので、このテストも結構時間がかかった。絵は10枚くらいだったと思うが、淡々と進む感じではなく、1枚1枚やりとりをしながら、慎重に進められる。

 聞くところによると、人によってはこのテスト中に感情が大きく変動したりしてしまうんだとか。私は最後まで楽しく取り組めたが。

 バウムテスト 

 紙に木を描くというテストだ。その木の形状についてや、そう描いた理由などの回答も含め、これもその時の様子や回答内容から心理状態を考察するもの、だと思う。
 これはすぐに終わった。私はさっと、一本の大きな大木を描いた。予め決めていたわけではない。1本の木と聞いて、すぐに浮かんだイメージがそれだった。

 これからの人生に対する意気込みと、今まで頑張ってこれたことに対する自信。それだけ、大きな不安を抱えていたともいえるかもしれない。

 テスト終了 

 ――WAIS-R、ロールシャッハテスト、バウムテストと、一日で三種のテストを受けた。記憶違いでなければ、テスト開始が午前の10時頃からで、終わった時には15時をまわっていたように思う。

 医者は「お疲れ様でした」と言い、私が最後まで無事テストを受けれたことに少し驚いているようだった。
 と言っても、別に私のことを褒めているわけではない、それは理解できた。まぁ悪い気もしなかったが、私がどれだけのものを込めてこのテストに挑んでいるのか、そこはやはり伝わっていないんだな、と思った。今までのことを思えば、こんなもん負担でもなんでもない。いやまぁ、これを受けることすら困難な人がいるってだけのことなんだろうけど。

 テストはたしかに長かった。けど、終わってみればあっけないものだった。

 帰り道、一人帰路に着く私は人生について考えていた。
 なるべく早く、これからの生き方を定めなくちゃいけない。それも、普通の人以上に、かなりのことを自分の力で乗り越えていかなくちゃいけない。漠然としていたが、そういう課題が私の中で形成されていったのだった。

  発達障害とは言えない 

 二週間後くらいだったと思うが、私はテストの結果を聞く為にまた病院へ行った。この時も病院へは一人で向かった。

 診察室にいた医者はまた若い医師だった。テストの時の医師の顔や名前は憶えていなかったので、同じ医師なのかどうかまではわからなかったが、同じ日に3つも検査を受けたことに驚いていた様子を振り返ると、やっぱり違う医師だったと思う。「よく受けれましたねぇ」みたいなことばは実施した医師なら言わないニュアンスの言葉だと思うので。

 私はこの時もその反応に違和感を感じていた。あんなに楽しいテストのどこか大変なのかがわからなかった。毎日考えているようなことを、テストという形で受けただけなのに。

 

 それから医師はテストの結果を淡々と述べた。話している時間は5分~10分程度だったと思う。
 能力は、総合的には平均レベルだけど、一部の能力がかなり低いということを指摘された。それが「知識」だった。

「自分の思ったことが上手く言えなかったり、人の話がよく理解できないことが多いと思いますが」

 まさにその通りだった。数値からそういう分析が出せることに安心した。やっぱりテストを受けて良かったと思った。

「でも総合的なIQが高いので発達障害とは言えないですね」

 たしか、そういうことを理由に障害疑惑は否定されることになったと記憶している。数値を参考に言えることを言っているだけなので、その判定を疑う必要はないと思った。でもじゃあ今までの出来事は何だったのか、精神面が原因なのか?と、発達障害の疑惑は別の形に変化することになった。

 最後に私は聞いた。

発達障害相当の人が、努力で、普通の人のようにできる能力を得ることも、あるんですか?」

 若い医師は笑顔で言った。

「ありますよ。〇〇さんも、相当な努力をされてきたんだと思います」

 その言葉で私は満足できた。密な発達障害診察を受けることはできなかったが、恐らく今の自分の状態から受けられる診察の中では、かなりマシな結果に辿り着けただろうと、今日までの経緯を評価することができた。

 すぐに諦めてしまったようにも感じられたかもしれないが、実はこの心境変化の背景には、もう一つの事情が関係している。
 両親の自己破産の後を機に私は一人暮らしを始めたのだが、実家に残る父母も住むところを失う為、別のアパートに引っ越しをした。で、日を分けて引っ越し作業をしていたところ、“家の中のものが全て何者か処分された”という事件が起きていたのだ。
 今の言い方で読者に伝わったか自信がないので、もうちょい単純な言い方をすると、まず一番最初は最優先で貴重品を新しい住まいに運ぶ。んで、数日後また家に行って家具を運ぶ。んで、数日後にまた……を繰り返すわけだ。である日、またいつものように引っ越し作業の為に家に行ったら、家の中が空っぽになっていたということ(らしい)なのだ。

 私が学生だった頃の通信簿や卒業証書などはもちろん、母も親の形見がなくなったということにショックを受けていた。そして、もともと変だった母は余計に頭がおかしくなってしまい、「隣のおばさんが盗んだと思う」とか、わけのわからないことを仄めかすようになってしまった。
 警察や弁護士などに相談したらしいが、荷物が見つかる可能性は低いなどと言われて具体的な対応はしなかったらしい。

 私が母からこの話を聞いたのは、一人暮らしを始めてしばらく経ってからと記憶している。なぜこんなにも不運が重なるのか、その時は本気で自分の人生を呪いたくなったものだ。

 本編に話を戻そう。つまり私は、自分が子供の時の様子を伝えられえる記録を、全て失っていたのである。その上で、成人の発達障害診察は子供の時の記録が重要になると聞いていたから、私は初めから『自分がちゃんとした診察を受けるにはかなりの幸運が必要だろう』と思っていた。だからこそ、この結果は十分に頑張った方だと思うことができたのだ。一回目の診察の時、ろくに話すら聞いてもらえなかったことには驚いたけどね。

 武者震い 

 病院から出た私は、わくわくとした気持ちが急速に膨らんでいくのを感じていた。
 テストの結果と医者の話は、だいたい予想や想定の範囲内だった。自分を診た医者は私のことをなんと評価するだろう――その答えが得られたのだ。同時に、発達障害の診察を受けたいという積年の願いも、ほぼ解消することが出来た。

(さて、これからどうやって生きてやろうか?)

 それまでにないほどのクリアな気持ちでそう考えることができた。やはり私の予想通り、私の精神に最も負担をかけていたのは"医者に診てもらえていない"という状態にあったのだ。その枷を外すことができた。

 もうこれからは"もしかしたら障害が原因かもしれないから"という可能性と向き合う必要もなくなったのだ。

(これから起きることは全て、自分の意思と選択によるものだ)

 武者震いだった。なんでもやってやろうと思った。ただし、精神的負荷が解消されたというだけで、全体の能力が上がったわけではない。コミュ障特徴がなくなったわけでもないし、知識の低さもテストをもって明らかになっただけのことだ。

 今まで考えて考えまくってなんとかしようとしてきたけど、無理だった。良い方に向かったこともあるけど微々たることで、大きな改善は得られなかった。
 今のすっきりした状態で同じようにまた挑戦しても、また同じような結果になるだけだということも、感覚的に理解できた。
 だから、考えてなんとかするんじゃなくて、もっとその前の部分――思考ではなく感覚的なところに変化を生じさせる必要があると私は考えた。

(感覚の性質を変える為に、脳に最高の刺激を与えよう。その為にもっとも良い方法は?)

 それは、自分のやりたいことをやりたいようにやる――それが、最も脳への刺激になることだと思った。このある種の答えは生まれつき理解していることで、信憑度を検証する必要はないと思えた。初めて考えたことなのに、前から知っていることになっていた。
 だから私は、子供の頃から一度はやりたいと思っていた『放浪の歩き旅』に挑戦する事にした。その体験を通して、ねじ曲がった人生を大きく変えてやろうと考えたのだ。

(もしかしたら、途中で死んでしまうかもしれない。もしかしたら、ものすごい借金をしてしまい、一生死ぬまで貧乏かもしれない。でも別にいいじゃないか。今の俺はこれをやり終えないと、他のことが考えられないのだ。これが、俺の人生なのだ)

 それから半年後、私は思いつく限りのものだけを持って、本当に放浪の旅に出発した。
 アパートも退去して、住むところも手放した。

 その日食べるものや寝る所も定かではない、そんな何が起こるかわからない日常に身を投じたことで、やっと、自由になれた気がした。

⇒番外編

 

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