HyogoKurumi.Scribble

私はこの社会が省略した事柄を言語化している人です。

【番外編】24歳の時に大学病院へ発達障害の診察を受けに行った時の話をしようじゃないか

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本編 24歳の時に大学病院へ発達障害の診察を受けに行った時の話をしようじゃないか

【前編】 【後編】

自動車免許合宿に行く!

 本編でも紹介したストーカー事件を通して私は、これからはちゃんと社会的ステータスを身につけて行こうと考えるようになっていた。ファッションや流行、常識も、なんだって意識して、そして、スーツを着て会社に出勤する、普通に仕事ができる人を目指していこうと考えていた。となると、やはり車の免許は最優先に思えた。社会人の基本的なステータスだと思えたからだ。

 私はこの時の気持ちを『人生の復興』と呼んでいる。少しずつでいいから、人生をあるべき軌道に調整していこうと考えていた。


 免許の取得は合宿が良いと考えた。絶対に取得しようという気持ちも高まるだろうし、それに合わせて能力が少しでも引き出しやすくなればと思った。通いだと、だらだらやってしまい、途中で諦めてしまうかもしれないと思えた。

 自動車学校は、コンビニにあった合宿のチラシやネットの検索を参考に、国内最安値のグループの中から一つを選んだ。そこは静岡にある自動車学校で、富士山が見える事と美味しい食事を売りにしてた。

 後に知るが、そこは行ってはいけないブラック教習所だったのだ…。

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恐怖の自動車合宿! その1

 低予算を基準に選んだ合宿地は静岡県にあった。住んでいたA県の街から近すぎず遠すぎずの距離感だったし、教習所からは富士山が見えるということも魅力に感じられた。富士山の存在感が感情面のスケールをさらに広げてくれたせいか、人生のレールを切り替える場所としても、相応しい場所だと思えた。

 新幹線の乗車券を買う時は『みどりの窓口』を利用したと思うが、それだって新鮮な体験だった。この時の私はまだ、バスの乗り方さえもよく知らなかったのだ(実は今もよく知らない)。

 それ以前に普通の電車の利用の仕方だってよく知らなかったのだ。この頃は「あのホームの電車に乗るにはここで切符を買う」くらいの理解度で、それだって自分のことをよく連れまわしてくれた友人の行動を参考に真似していただけだったし。

 だから乗車券を買った時の窓口でも、駅員に自分が集合場所として向かう駅名を話し、自分が向かいたいところと降りる駅名を話して「~なので、ここで降りればいいですか?」という感じで、認識の再確認をした記憶がある。まるでドラクエで、なんでもが『冒険』という感じだった。

 電車に乗車し、座席に座ったところでもう、やっと一息つけた気持ちが膨らんだ。まだ始まってすらいないことはわかっていたが、乗車券を買うこと、正しいホームをみつけること、乗車する電車を確認すること、何もかもが難易度の高いことで、ここまで進行ことすら大変だったのだ。

 ボストンバッグには、着替えや参考書、書類、お金や携帯電話の充電器や洗顔用具といった日用品など、合宿中の生活に必要なものを詰め込んだ。金は現金で2万円ほど持っていたと思う。費用に充てることができたお金のほとんどは、国民年金を支払わなかったことで貯めることができた金だった。それでも総預貯金は10万円もない状態で、この合宿費用も24回のローン払いだった。費用はたしか一括だと14~15万円のコースだったかなぁ。
 合宿プランの案内には、合宿中に遊園地などに遊びに行くこともできる的なことが書いてあったけど、自分は全くそういう気分が沸かなかった。最短で帰る――そのことだけで頭を一杯にしていた。この緊張状態を維持したまま挑まないと、卒業できる自信が維持できなかった。
 ぱんぱんに膨らんだボストンバッグが、頼もしい相棒にみえた。

 

 数時間後、集合場所となる駅のバスロータリーに着いた。同じ合宿の参加者と思しき人たちがバス停付近にたむろしていた。山が近いせいか空気が透き通っている気がした。(この場所の駅名は忘れてしまった)

 しばらくして、教習所の係員だか案内員だかが現れて、集合確認が始まった。もうすぐバスに乗って教習所に行くことがわかった。
 ここでいきなり出鼻をくじかれた。交通費は返してくれるとのことだったのだが、それには乗車券の領収書が必要で、しかし改札を通った後では発行できないものだということがわかったのだ。

(どこかにその手続きや注意書きのこと書いてあったっけ? 見落としたのかな? 俺以外にも1~2人、気づかなかった人いるから、俺だけじゃないようだけど……)

 いきなり不安のどん底に突き落とされた。これから自動車という精密機械の操作方法を教わりに行くというのに、たかだか「交通費を請求する為に領収書をもらっておく」ということすら上手くできなかったのだ。

 領収書がなくても大丈夫と後で言われたのだが、バスに乗車してもこの失敗のことで頭が一杯になってしまった。申込時の案内書類やメールなどを読み返して、自分がどこでなにを見落としたのか、どうだったら防げたのかを考えながら、その情報を探していた。でも結局、その情報は見つからなかった。

(改札を通る前に領収書をもらうことはわざわざ事前説明するようなことではなく、常識として知っておかなくちゃいけないことなんだ)と、そう結論付けだ。


恐怖の自動車合宿! その2

 合宿所に着いてバスを降りた。そこはもう教習所だった。駅から1時間くらいか、それ以上はあった気がする。
 記憶違いでなければ、初日は適性検査と入校に関する説明だけで、教習所に着いたのも15時頃だったと思う。

 今更だが、わずかな記憶を頼りに書いているので、多少正確性に欠ける内容だということはご了承願いたい。感情面のことはよく覚えているんだけどね。

 

 バスは、教習コースの一部でもある敷地内道路の隅を通り抜け、教習所の建物に横付けてして停車した。参加者は案内に従って順々にバスを降り、そのまま建物内に進んで教室へ向かうよう案内された。私も(やっと着いたかやれやれ)と思いながらバスを降りた。この時、すぐに建物内に進んだから屋外の様子は5秒も見ていないと思うんだけど(げっ、不良だらけだ)と思ったことを覚えている。
 この時は、安いプランだから集まってくる人もそれ相応……という、当たり前の想定ができなかった。ただの不運だと思っていた。

 金髪の人間、ピアスをつけた人間、ベンチを全占有して寝転がっている人間、目と耳と顔が尖がっている人間――

 周囲の人間、そのほとんどが『自分と関わったらトラブルを起こす人種の人間』にしかみえなかった。教室に向かうまでのわずかな移動時間の中で、私はもうビクビクとしていた。ここには乱暴な人種の人間がいて、そういう人間を断らずに受け入れてしまう施設に自分が来てしまったのだと、その現実を受け入れることを強いられた。どこかで選択肢を誤れば、最悪の場合、トラブルを起こしてしまい、合宿は中断となって、きっと帰される……そんなシチュエーションのイメージを膨らませていた。

 案内された教室では着席後、入校に関する説明を受けた。パンフレットや案内書類に記載されていたこと、あと注意事項や利用ルールに関することで、特に難しい内容の話ではなかった。それよりも私はやはり、"不良の多さ"のことで頭が一杯だった。何事もなく14日間を無事に過ごし、最短で卒業するには何が求められるのか、何が問われるのか――その頃はそんな感じで、漠然とした考え方しかできなかった。あの頃の自分はつまり「達成の条件」を求めていたのだと思う。でも「こうすれば大丈夫だ」という回答は得られなかった。

 説明の後で適性検査が始まった。これがまた大変だった。視力検査などの他に、自分の性格や精神状況を計るアンケート形式のペーパーテストがあったのだが、適切な選択項目にチェックを入れることが難しかった。

 テスト用紙には、通常の精神状態ならまず選ばないであろうアレな人が選んでしまう用の選択項目も書いてあったのだが、知識として「普通はこれでしょ」という適切な選択項目がわかるのに、意識や感情、感覚が“正直"に答えようとしてしまうのだ。この時の自分はまだ、前編でも紹介したストーカー事件で負った精神面のストレスを完全復旧できたわけではなかった。

(たぶんこれが正解、でも今の感覚だとこっち……どうしよう、正直に答えたほうがいいのかな? でも今の一時的な心境で回答するものじゃないと思うし……嘘はよくないよな……あとでばれて困ることになるかもしれないし……)

 結局、私は嘘をついた。その時の自分の意識を当てにせず、知識を基準に回答したのだ。
 そして、無事に教習を受けることができた。
 あとで知ったが、適性検査の結果がおかしい人は、そのまま病院に連れていかれるんだとか。

 ――それから十四日間、毎日が地獄だった。生きた心地がしない日々だった。
 私は高校に入学してすぐに行われた三泊四日のオリエンテーション合宿の時も、初日からホームシックのような症状に見舞われ、帰りたくなってしまったという経験があるのだ。その高校もこの合宿のように周囲は不良だらけだった。別に誰かとトラブルを起こしたというわけではないのに、とにかく、体中がパニックを起こすのだ。

 この時も高校生の時ほどではないが、心と体が怖がっているのを感じていた。
 不良の存在そのものが怖いんじゃない。そういう単純なことではないのだ。
 対人関係で問題が起きた時に、自分が受けるであろう誹謗中傷の言葉が、常に自分を襲ってくるのだ。

 教習所から宿泊施設まではまたバスで移動する。大体20分くらいかかる。
 宿泊施設でも初日は何らかの説明を受けたと思うが、記憶には残っていない。

 まだ何もしていないのに、初日からくたくたになってしまった。その場で息をしているだけで心身が削られていくのを感じていた。

 就寝時、私は心の中でこう強く思った。「あと、13日の辛抱だ……」

恐怖の自動車合宿! その3

 まず前半七日間で起きたことからつらつらと書こう。

 予算の都合で相部屋にしたのだが、自分と同じ部屋になった高校生くらいの若者がバリバリのヤンキーだったことが最初のストレスだった。私のほうが年上ということもあってか、喋る時は敬語で気を使ってはくれたのだが、宿泊施設の門限を守らず、部屋に戻ってくるのは深夜で、その上、部屋の鍵を開けっ放しにしたままということが早々にあったので一度注意をした。あと、勉強する気のない彼は仲良くなった同類を招いて部屋で談笑をするということもあった。そんなこんなで、部屋で自習をしたくてもできそうにないとみた私は、教習所の廊下にある長机など、別のところで自習をすることにした。部屋に戻るのは寝る時だけにした。

 ある時は朝起きて合宿施設の一階に行くと、共有リビングの床一面にトランプが撒き散らされていたことがあった。ぜんぶ不良たちがやったことだ。なぜこういう奴らを退行処分にしないのか、この頃はさっぱり理解できなかった。

 不良が多すぎるせいか、教官の態度も荒々しかった。教官に頭を叩かれた、教官から死ねと言われた、大人しい女の子が教官に怒られまくってMTからATに変更した――など、そういう事件の話が毎日耳に入ってきた。

 自分の場合、技能教習中に苛立たせてしまったことはあった。他の教習所がどうなっているかは知らないが、この教習の合宿は教室で受ける学科教習と、車に乗って受ける技能教習の進行内容が、ぜんぜん一致していなかったのだ。てっきり同じだと思っていた私は教官の出す問題や指示に答えられないことがあった。「さぁやってみて(予習してきたかな?)」と言われた場面で、「わかりません(学科でまだ習ってないところなんですけどなぜ聞く?)」という感じの反応をしていたというわけだ。
 3~4日目にそのことに気が付いて、かなりのショックを受けた。気づかなかったこと、勝手に決めていたこと、また思い込みを基準にしてしまったこと、全ては自分が悪いのだ、と思った。

 合宿4~5日目くらいだったと思うが、シングル部屋で合宿に参加した大人しい感じの若者と仲良くなれた。その日の教習が終わって宿泊施設に戻った後は、寝る時間までその彼の部屋で勉強をさせてもらうことになった。落ち着ける時間をつくることができた。

 大学生くらいの女の子に急接近されたのもこの頃だったと思う。授業の時は自由席なのだが、ある時突然「隣に座っていいですか?」と声をかけられたのが始まりだ。当時の私は女の子と仲良く喋る感じのキャラでもなく、正直女子耐性も低かったのだが、そんなこと抜きに目がハートマークになっていたことは感じ取ることができた。声のトーンや表情も何かを感じさせた。
 それからのことは記憶が曖昧なのだが、相手から積極的に話しかけてきて、合宿中は気軽に雑談ができるくらいの仲になったと記憶している。それでも、私の方は一定の距離を置くことにしていた。今の精神状態で親しい異性の存在は刺激が強すぎた。すれ違っても基本は軽い会釈や挨拶をする程度にとどめ、雑談をする機会があっても「自分のこと」ではなく「この合宿中のこと」に話題の幅を制限するように意識した。他、1つの話題を長く話すのではなく、1つのやり取りの中で短い話を重ねていくような話し方も意識した。返事は単純な相槌を基本として、相手が自分のことを話しやすくすることも意識した。今更思えば「それ普通の会話」って感じなんだけど、当時はそれまでの人生の中で習得してきた会話のテクニックを総動員する感じだった。ちなみに、かなり可愛い女の子でした!

 あと細かいこと。
 食堂の食事は想定以下であり、期待を大きく下回るものだった。味も見た目も、不味くはないが美味しくもない程度のもので、ホームページに掲載されていた豪勢な料理は一度もでてこなかった。冷凍食品を突っ込んだお弁当のほうが間違いなく美味しい。
 財布はどこへ行く時も必ず持ち歩き、大浴場での入浴時は宿泊施設の受付から管理人のおじさんに預けるようにした。自室に置いておくなんてことは絶対にできなかった。

 後半の七日間は教官から怒られることが増えた。といってもある一人の教官からだが。
 この頃はまだ教わった通り、言われた通りのことを再現するだけで精一杯だったのだが、一人、圧迫するような口調で言葉をぶつけてくる教官がいて、とても相性が悪かった。
 路上教習では一度こんなこともあった。「もうお前なんなんだ! ちょっとにそこ止めろ!」と言われ「なぁ!」「おい!「お前さぁ!!!」とねちねちと、思い通りの運転をしてくれないことについて何十分も怒られた。

 その出来事の翌日、自信を無くしかけていた私は慎重になりすぎて大事故を起こしかけてしまった。
 路上教習で、うねるようなS字型の道路を走った時のこと。その道の先に見えた交差点の、交差してる側の信号は青だったのだが、それを自分の進行方向にある信号の色だと思い込んだまま、ノーブレーキでバイパス道路の交差点に突っ込みかけてしまったのだ。
 遥か手前でたまたま目撃した信号の色を基準にしていることがおかしいし、うねりが終わった後に改めて目の前の自分側の信号を確認するということもしていなかった。慎重を意識しすぎて逆にいろんなアンテナがマヒしていたんだろう。教官が補助ブレーキで止めてくれなかったら間違いなく大クラッシュ。最悪死んでいた。

「……ちょっと、なにやってんのーーーー!ヽ(`Д´)ノ」

 ついさっきまでフレンドリーだった教官からガチギレされて、用紙にたくさんの×印や注意書きを書き込まれてしまった。

 その次の技能教習の時は、また別の教官だったのだが、引継ぎ内容を読んでから口数が少なくなった。
 教え方も優しかった。元々の人柄なのかもしれないが、どこか恐々としている感じもあった。死にたくないと思ったのかもしれない。

 また別の高齢の教官はその引継ぎと私の様子をみて「お前もしかしてどこか悪いのか? ん?( ̄ー ̄)」と言いながら私の表情などを窺ってきた。見透かされたと思った。見た目からして50歳~60歳台くらいの教官だったから、さすが長生きしてる人だなぁと思った。

 この事故未遂の出来事は私に大きなショックを与えた。でも逆に、これ以上ないと思えるくらいの出来事を体験したことで、気持ちを軽くしてくれる効果に向いてくれたのである。運転に関しては「怖いものなし」になれたのだ。

 その後も高速道路教習や卒業検定などで難所はあったが、どちらかと言えば楽しく取り組めたと記憶している。

生還

 自分の精神状態の事だけではなく、雨や曇りなど悪天候が続いたこともあってか、富士を気にする余裕は全くなかった。13日目くらいにとても晴れた日があって、その時に少しだけ富士を見ることができたと記憶している。

 いろいろあったが、私は無事に最短で卒業することができた。効果測定は6回受かる必要があって、2回だけ不合格となった時があったが、その他は全て一発合格だった。

 合宿中、空いている時間は全て予習復習に当て、頭の中は全て運転に関する知識で一杯にしていた。それはそれできつかったのだが、そうしていた方がパニックを意識せずに済んだ。キツイ方が楽だったのだ。

 それでも結局、合宿が終わった後も軽いパニック状態は解けなかった。理由はわかっていた。合宿を卒業できても全て終わったわけじゃない。運転免許試験場での本試験に受からなきゃ意味がないのだ。日常や仕事に支障があるほど強いものではなかったが、とにかく自分はストレスに弱いことを痛感した。

 その感覚を早く終わらせたかった。だから、合宿から帰ってきた私はほとんど日を空けず、すぐに本試験を受けに行った。
 そして、本試験も見事一発で合格できたのだ!

 でも、車の運転はできなかった。どういう意味かというと、そもそも車を買うほどの金を持っていなかったわけだが、私が覚えたのは"車の操作方法"と"交通ルールの一部"であって、『公道で他の車と一緒に走る上で必要な感覚』は理解できないまま卒業したからだ。教習中も他の車の考えていることはわからず、そのことで生じた判断ミスで、よく教官から注意を受けた。

 そんなわけで、一発合格で無事免許を取得できたというのに、私は全く嬉しい気持ちにはなれなかった。というか、車の運転が嫌いになっていた。免許取得の為に必要なことが全て終わった後も、ねちねちと圧迫教習をしてきたあのmixi厨の教官の影が、私の頭の中に居ついていた。

 嫌な記憶が増えたことは不愉快だったが、こういう合宿中に受けた精神的苦痛やストレスは、時間経過で自然消滅していく性質のものであることは感覚的に理解できた。あまり意識せずその感情は放置が得策だと考えることができた。だから、大きな負担として圧し掛かることはなかった。
 本編でも紹介したストーカー事件で、自分が迷惑をかけた異性はこの合宿中に職場を去っていた。その事実も、真正面から受け入れることができた。

 人間関係も生活もズタボロの状態だったが、ここまでの2つの大きな体験を通して、私の中には一つの芯のようなものが形成されつつあった。
 そんな新しい感覚の存在を意識し始めた頃に、Xデーがやってきた。

 いよいよ、知能テストの日がやってきたのだ。

※ここから後編へと繋がるのです