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人は、言葉からは逃れられない。

【中編】いじめは「いじめた方が悪い」だけで終わらせてはいけない理由――貴方はいつまでいじめ被害者を盾にポエムを吐くのか

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前回:【前編】いじめは「いじめた方が悪い」だけで終わらせてはいけない理由――貴方はいつまでいじめ被害者を盾にポエムを吐くのか

中学生の頃にいじめられた話

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 中学生になってから私の日常は一変した。クラスメイトには言葉が乱暴ですぐに暴力をふるう奴らがいて、私はそいつらのおもちゃにされてた。毎日が地獄のように思えた。
 何度怒っても、笑うばかりで止めてくれない。耐えきれなくなった私は、毎日先生に提出する連絡帳に今の心境を書いた。短い言葉で、「いじめられているかもしれない」とか、そんな感じのはっきりとは主張していない言葉で書いたと記憶している。
 翌日、ホームルームの後に先生が私を呼びつけた。まだ人がまばらな廊下に出て、こそこそとした声で話しをした。いつもなにをされているのか、どんな気持ちなのか、といったことを、先生は私のしどろもどろとした返答のペースに合わせてゆっくりと聞いた。「いじめられてると思うの?」と聞かれたけど、私は言葉を返すことができなかったと記憶している。考えがまとまらないというか、言葉がつくれなかったというか。その私の様子をみて「向こうが遊びのつもりでも、〇〇君が嫌な思いをしているのなら、それはよくないことだ」と先生は言った。私は「僕もそう思います」とか、そんな返答をした。話は数分程度で終わった。

≪一回目の学級会

 次の日には授業ひとつ分を使って学級会が開かれた。どうしてそういうことをするのか、といった先生の定型的な質問に対し、面倒臭そうに答えるいじめる奴ら。でも回答は「〇〇は冗談がわからない!」とかそんな言い訳ばかり。いじめる奴らの不真面目な返答にムカムカとした。そして仕舞いには先生さえもが苦笑の笑みを浮かべるようになった。私はその場にいるだけの空気のような存在で、授業の時間が終わる頃にはぐだぐだとした空気を感じ取れた。
 最終的にいじめる奴らは私に謝って、もうしないことを約束したのだけれど、煮え切らない雰囲気のまま学級会は終わった。笑い声交じりのいじめ学級会だった。

≪二回目の学級会

 学級会からひと月と経たない内にまた地獄の日々が始まった。元に戻ったのだ。私はまた連絡帳に心境を投稿した。そして、再び学級会が開かれた。私の記憶が間違っていなければ、今度は事前に先生と二人で話した時間はなく、授業の時間でもなく、朝のホームルームの中で先生が突然話を切り出す形で学級会が始まった。
 しかし、その二回目の学級会は変だった。いじめる奴らを追求する時の先生の反応が、一回目以上に慎重で、まるで何かを探るような、考えながら聞いている感じで、私は頭に浮かぶ疑問符と向き合ってた。「先生が怒る→いじめる奴らが反省して学ぶ→解決する→なぜこの学級会はその流れにならない?」と思いながら進行を見守った。いじめる奴らの受け答えは一回目の学級会の時とあまり変わらなかったと思う。
 学級会は十数分で終わった。先生といじめる奴らが会話をした、それだけのように思えた。

 そのあと、授業が始まる前に私だけが先生の席に呼ばれた。騒がしい教室内で、私は先生が描いた図をみていた。先生は文字で「私」と「先生」と「生徒」と紙に書いて、「私」と「先生」を円で囲んだ。そして言った。
「〇〇くんはこうなっているよね。でも本当はこうなっていないといけない」
 そして先生は「私」と「生徒」を円で囲い直した。
 私にはその話の意図がわからなかった。

 私がどう理解したかの確認はなかったので、「今はまだわからないかもしれない」という前提での話だったのだと思う。
 それから私は「何も言わない子」になった。授業中も休み時間もただ静かにしていて、たまに後ろの席の子とちょっと雑談を交わすだけの日々。
 そのまま二年生に進級した。

≪二年生

 進級初日、廊下に貼り出された座席表をみて、私は飛び上がりたくなるほど感激した。小学生の頃からの友達と同じクラスで、しかも一年生の時に好きだった女の子とも席が近かったのだ。
 中学一年生の時は、小学生の頃からの友達がみんな別のクラスに編入されたことで、一人ぼっち状態からのスタートだった。人間関係が上手くいかなかったのはそのことも影響あると思っていた。だから二年生ではもう大丈夫だと、心の底から嬉しい気持ちになれたのだ。
 それなのに、私の日常はまたすぐ「地獄」に戻ってしまった。一年生の時に自分をいじめてきた奴と似た人格の嫌な奴らが、私に対して嫌味を言うのだ。彼らは私の言うこと成すことに対してだけその行為を行っていた。だから自分だけが目を付けられていて、これは私に対するいじめ行為であるとはっきりと認識した。

≪友達まで

 ある日、また何かの拍子に笑いものにされた。それはいつものことだったが、その笑っている相手には小学生からの友達もいた。それがたまらなく、悲しくて許せなかった。
 なんとかしたいと思った私は先生に相談をした。そして、先生同席の話し合いの場を設けることとなった。
 その日時を友達に伝えたのだが、彼は時間になっても来なかった。最終手段が断たれたと、私は現実をそんな風に受け止めた。
 翌日、友達に来なかった理由を聞くと、「行くわけないだろ!」という強い口調が返ってきた。友達は怒っていた。
 予想外の反応に私は困惑した。そのせいか、自分がその言葉にどう対応したのかを覚えていない。怒ったような気もするし、絶句してなにも言えなかったかもしれない。
 いま思えばこれが転機だったのかもしれない。

≪おかしいのは私だった

 呼び出しに来なかった友達との一件から、私の悩みによるストレスはピークに達した。もう死にたいという自殺願望までもが大きくなり、学校にいる時に涙が流れてきたこともあった。それまでは不愉快になって怒りを見せていたような場面でも、私は抵抗できなくなっていた。
 そんな日常が、人生が、二学期の半ばに起きたある出来事を境に大きく変わった。

 その日の授業中、私は友達に対して、「あいつはこんなことするやつじゃない」「もしかして自分がおかしいのか」と思った。私は、生まれて初めて自分を疑ったのだ。それまで外向きだった意識を自分自身に対して向けた。それも初めてやったことだった。
 それが脳にどういう刺激を与えたのかは今でも謎なのだが、その瞬間、私は自分の頭の中に浮かぶイメージを自分で認識できるようになった。それまでは「思うこと」しかできなかったが、自分の意思で過去の記憶を振り返ったり、「考える」ということができるようになった。

 そして私は1つの結論に至った。
 おかしいのは私だった。みんなはいじめていたのではなく、嫌っていたのだ。

 私が、みんなに、いじめをさせていたのだ。

▼次回【後編】いじめは「いじめた方が悪い」だけで終わらせてはいけない理由

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