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『絶歌』読書感想文:その5――神戸連続児童殺傷事件の元少年Aは発達障害なのか?

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 その5の掲載から五ヵ月も経っていた。前回も同じことを言った気もするが、このまま読み進めていこうと思う。

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それぞれの儀式 29p~34p

 本項では池に通っていた頃の記憶と、当時を振り返って考察した自分自身の精神分析が綴られている。

 池の描写に対しては豊かな言葉がしつこいくらい続く。三大聖地、セピア色の腐葉土、陽の光のシャワー、小粒のダイヤを鏤めた、僕の網膜を愛撫、そよ風に嘗められ子機材に痙攣する水面、わんぱくな木洩れ陽たち、サイケデリックな光の帯……と、冒頭部分だけでもこんな調子である。

 でもなぜかこの文章からは自然の温かみが感じられなかった。書かれていることのほとんどが、目で見た情報だからなのかもしれない。

 読めば読むほど、少年Aがこの池に対して真剣だったことが伝わってくる。でも私にはこの文章からは透かしを見たような、別の姿を感じ取れてしまった。少年A個人の感性というより、やはり殺人鬼への憧れが支えているような、つまりこの池は少年Aにとって、その役になりきれる舞台だったのではないだろうか。

 少年Aはそれに見合った動作をとることに固執していたのではないだろうか。例えば「告白をする場所は校舎の裏」「黄昏る時は河原の土手で山座り」など、特に漫画などでみかけるお約束の展開を、実際にそうしなければいけないもの、という認識があったように思える。

 連続猟奇殺人犯達の境遇に対する憧れ、どれだけ願っても得られない人生、それらは通常、青春の一コマとして流れていくものだ。そういった特殊な意識が突出して膨らんでいくには自分の世界に没頭する為の環境が必要だ。少年Aにはその条件が整っていた。

 孤立。

 そして、この池。

 この池さえなければ、少年Aは生まれなかったのではないだろうか。

 

 僕は淳君の遺体の一部を、アエダヴァームの根元の洞に一晩隠した。

 今思い返すとどうにも解せない行動だ。取り調べでは「人目につかない場所でゆっくり鑑賞したかった」と供述しているが、殺人現場となったタンク山から入角ノ池に行くには、一旦山を降りて町中を歩かなければならない。まだ事件は発覚していないものの、公開捜査は始まっており、街じゅう至るところで警官や機動隊、PTAや学校関係者が「行方不明」となった淳君を探し回っていた、現に遺体の一部を持ってタンク山から入角ノ池へ向かう途中、池を囲む雑木林で僕は三人組の機動隊と出くわし、言葉を交わした。「人目につかない場所で」などと冷静に考えて行動したなんてありえない。たと無意識であったにせよ、どうしてもアエダヴァームの根元の洞に向かわなくてはならない切羽詰まった理由があったのだ。

 

 女性器と男性気のイメージを重ね合わせたアエダヴァームは、僕にとって”生命の起源”だった。その生命の起源を象徴する樹の根元の洞に、僕は遺体の一部を隠した。僕は心のどこかで淳君を”生き返らせたかった”のではないか。

 

 憐れなほど必死だった。

 

 行動分析の下りには松任谷由美氏やドフトエフスキーの作品の一節が引用されている。大人になっても少年Aらしい幻想よりの思考回路だと感じられる部分だと私は感じた。

 

 次節は『ちぎれた錨』。

 

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暗い森―神戸連続児童殺傷事件

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絶歌

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