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人は、言葉からは逃げられない。

メンヘラjpに思うざわざわ感――つながりよりも、一人が大事

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 メンヘラ.jp(http://menhera.jp/)というサイトがある。障害当事者からの投稿記事がメインコンテンツで、日本中から寄せられた多数の体験談やコラム、ライフハックなどの記事を読むことができる。既に精神や発達障害界隈でも名の知れた有名サイトである。

 多くの当事者から人気サイトとして認知されていると思うが、私はこのサイトの存在を知った時、期待感以上にざわざわ感を覚えたというのが正直なところである。その気持ちは6月に、スタンフォード大学がメンヘラ.jpの記事をアーカイブ化するという話を聞いて一層大きく揺らいだ。

 今回はそのあたりの心境について語ろうと思う。

期待感について

 期待感を持った理由は、私自身が全く情報のない中で、障害特徴と向き合いながら半生を歩んでいたからである。

 私は中学生の頃のいじめ体験を通して、障害特徴の自覚をもっていた。しかし、親に病院での診察をお願いしたが聞き入れてもらえなかった。24歳の時も診察を受ける機会があったが、適切とは言えない診察内容で、障害特徴は否定された。やっとまともな診察と診断を受けられたのは31歳の時である。診断名は自覚していたとおり、アスペルガー障害だった。

 ずっと、自分は何かの障害者だと思いながら生きてきた。10代の頃は、自分が他の人とは違うと思えたことを手探りで特定し、克服する方法を模索しながら日常を送っていた。毎日が自殺や殺意に通じる願望と隣り合わせの日常だった。23歳の頃に発達障害のことを知った時はそりゃぁもう驚いた。自分がずっと考えてきたことが「発達障害」という知識の中にそっくりそのまま書いてあるのである。

 私は自助努力の甲斐あってか、ケアレスミスやコミュニケーションなどいくつかの障害特徴を克服した。しかしそこに時間を費やしたせいか、一般知識や社会常識など、誰でも知っているようなことを知らない、わからないという特徴を抱えている。

 だからそのことで思うことがある。もし自分が10代の頃に障害情報が認知されていれば、私が手探りの探求に費やした時間の何割かを通常の勉強に使えたのではないだろうか、と。心境に余裕があれば高校も中退しなくて済んだかもしれないし、大学にだって行けたかもしれない。

 もちろんそれはそれで別の問題を抱えることになったかもしれない。精神医療は多剤処方や誤診などの問題を無数に抱えているわけだが、自分もその被害者の一人になっていたかもしれないし、今のように自分の意思による克服は叶えられなかったかもしれない。

 追い詰められている人が簡単に詐欺や宗教勧誘の被害にあってしまうように、情報は時として人を惑わし、不幸へと導くこともある。"たられば"の話をすればきりがないが、情報はあればいいというものではないのだ。

 でもやはり死と隣り合わせだったあの日々を思えば、やはり選択肢はないよりある境遇の方が生きやすいと思う。私が今こうして生きているのはただの運だとしか思えないからである。情報の共有や設置個所の充実はそれを叶えてくれるわけだから、メンヘラ.jpのようなサイトはやはりあったほうが良いと私は考えるし、そう言いたい。

ざわざわ感について

 この気持ちはネットで見かけた当事者の言動や、実際にリアルで会った時に感じたことが根底にある。個人に対してというよりその集団に対して、と言った方がいいだろう。

 一応補足をしておくと、私は精神疾患の診断は受けていないが、発達障害界隈にも精神疾患の診断を受けている人が普通にいるので、わりと接点があるのだ。まぁ、発達障害精神障害は社会的にほぼ同じポジションにいると言っても過言ではない。

 

 自分以外の発達障害精神障害者に対する印象だが、ほとんどがおとなしい人だと感じている。日常の問題と向き合うことで精一杯だったり、今の生活を維持する人がやっとという人が8割くらいで、1割~2割はわりと安定した生活を送っていたり、仕事も生活も充実していて、アグレッシブに様々な活動に手を付けているという印象だ。

 当事者たちは社会的不利な状況に立たされているということもあり、力を合わせようという共通意識が広く浸透しているわけだが、地割れのような光景をみることもある。大きく印象に残っていることをいくつか話そう。

 

  • 2年前の事だが、発達障害の方面で有名なフリータイムのある某カフェに足を運んだ際、浮浪者風の統合失調症の中年男性が客として利用していた。その後も何度かフリータイムに足を運んだ際、いつもその人がいたのだが、その男性が若い女性ばかりに声をかけていたことに気が付いた。声をかけて雑談に誘っているだけのようだったが、お店の中で大声を出すこともある人で、内心はひやひやした。何かしなくちゃいけないのではと思ったが、お店側がその人に注意などをしている様子をみたことはなかった。自分に見る機会がなかっただけなのか、相手が客である為か、それとも問題視していないのか、スタンスはわからなかった。他の常連と思しき客は気にならないというより、見て見ぬふりをしているようだった。その内に、私はこの店の安全性を疑問に思い、行かなくなった。
  • 某ソーシャルサービスで当事者グループに入った際、固定で提示されていた利用時の注意書きに私は目を丸くした。項目だけでも10か20かそれくらいあり、文字数で言えば1500文字ほどもあった。その場所で書き込む際はその内容に注意しなければならないのだ。普通、常識的なことや特に気を付けてほしいことを数項目書いておけばよく、あとは個別対処していくもんだと思うが、そこは恐らく、これまでに発生した全ての対人トラブルについてルールを追記していったのだと思えた。さらに別ページにはその注意書きに対する管理人の意識まで綴られていた。一生懸命考えて作ったらしいが、そんなもん覚えきれるわけがないし、そんなガチガチの場所で円滑な交流が叶えられるわけがない。
  • 以前私が所属していた活動でも、メンバー同士の交流に関して細かくルールを設けようとした方がいた。その人も精神疾患を抱えていたわけだが、活動を通して知り合った他の当事者とトラブルをよく起こしていた。あと、他の活動を通じた交流の幅も広く、当事者同士のトラブル談をよく聞いていたらしい。

 

 このように精神疾患発達障害界隈には、どうにかして繋がりを維持したがる文化が浸透しているわけだが、それについて私は百害あって一利なしだと思っている。同じ障害を抱えているというだけで、誰彼構わず仲良くなれるわけがないだろう。

 障害繋がりをきっかけにいろんな人との出会いがあるのはいいとして、その後は気が合うなら交流を続ければいいし、そうでないならあとは社交辞令的な関係にとどめておくか、もう連絡を取り合わなければいい。ルールやマナーを掲げ、気を付けてコミュニケーションを取り合いましょうだなんておかしな話だ。

 精神界隈の交流文化は後先考えず繋がり、さらにその関係をルールで固めるというかなり偏った形で育ってしまった、というのが現状に対する私の見方である。

 気が合う相手なら別だろうが、相手の障害特徴に気を使いながら誰彼構わず交流の幅を広げたりなんかしたら、そりゃあ疲れるに決まってる。そうやって積み重なる気疲れと、メンヘラ故の生き辛さから抱える疲労の分別はできているのだろうか。一緒くたのおにぎりになっていないだろうか。本当はかなり疲れているはずなのに、上手に交流することについて、中毒的になっているような印象さえ私は感じている。

 向精神薬の副作用で布団の上から動けない、スマホでネットをするばかりの日常、副作用に苦しみながら向精神薬をぼりぼりと服用し、その場にいないどこかの誰かが傷つく言動に激しく攻撃的になり、ネットでもリアルでも顔も知らない同じ当事者からの人生相談を受け続ける。過去にそんな滅茶苦茶な日常を送るメンヘラが知人にいた。その人は自殺してしまった!

 ネット上でも書き込みの内容からして、この知人と似た境遇にいるのではと思える人を見かけることがある。メンヘラ同士が繋がり合うと、合体スライムならぬキングメンヘラが誕生するというわけだ。そして色んな当事者との交流の末に出来上がったメンヘラ元気玉なる言葉を、今日も社会に向けて放っているのである。

 このように、ネット上で安易に交わされる"互いを認め合う言葉"が基準となってしまい、ボロボロになっていく自分の心身を自覚できていない境遇に陥っている人は少なくないと私は睨んでいる。

 

 ではここからは メンヘラ.jpの内容について話していこう。

 私がなぜこのサイトを知った時にざわざわ感を覚えたかというと、この類のサイトは決まって、当事者同士が繋がり合うことに対し、肯定的すぎるスタンスをとるからだ。実際にサイトにアクセスしてみると、そういう運営主旨が書いてあるページを確認することができた。

メンヘラ.jpとは(http://menhera.jp/2241)

  • 心の問題を抱える『仲間』とのつながり
  • 生きるために役立つ『知識』とのつながり
  • 信頼できる『支援者』とのつながり

 上記3つの項目から、「つながり」に関する考え方が丁寧に書かれている。二度三度読み返したが、一言で言って「正論である」というのが私の率直な感想である。もし同様のサイトでこういう項目の文章を書くとすれば、自分もだいたい似たような内容で書くだろう。

 ただやはり期待感を煽りすぎである。つながりは大事だが、私の体験上、100人と会ったとしても、現実的に力を合わせられるような運命的出会いは0人か、1人いるかいないかである。

 私が今の社会に対して思うことは、人同士の距離感をもっと広げようということだ。で、特にメンヘラ界隈はその観点を大事にしたほうがいいと思っている。

 その点、メンヘラ.jpは同ページの最初に「つながり作りを目的としたメディア」と書いてあるくらいなので、それが「主」なのだろう。私はつながりについては「副」くらいの重要度で考えている。正直、「主」にはなってほしくないな。

 

 私がメンヘラ.jpに対して思うざわざわ感とはそういうことである。具体的に言うなら、「メンヘラ界隈の平均疲労度を上げてしまうことにならないか」ということだ。

 障害者だからこそ、人とのつながりから解放されるべきだと私は思っている

 なかなか感じ取れないことだが、文章を読んだり言葉を聞いたりと、人との交流は心身をかなり疲労させる。協力し合うことも大事だが、そればかりではなく、週に一度か二度は、なんにも気にしなくてもいい、一人で過ごす日を作るべきである。その日を大事に、維持していこう。

 

 所詮、私たちは障害者であり、メンヘラである。このことを私はいつも念頭においている。どれだけ当事者同士のつながりを広げても、その先には疲労の沼が広がっているのだから(笑)