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言葉からは、逃れられない。

ことのはBOX第6回公演『見よ、飛行機の高く飛べるを』を観に行った!


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 今日2月18日は、妻がいつも応援しているはるかぜちゃんが出演するお芝居を妻に誘われて観に行きました。

 本記事には、物語の結末に触れる記述が書いてあるので、ネタバレが困る人は読まないでください。

 

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 こうして妻に誘われてお芝居を観に行くは10年ぶりくらいです。前回は観たのはリンクプロジェクトさんの『花札伝綺』というお芝居で、王子にある王子小劇場というところで観ました。

 当時の私は物書きを目指していて、その能力を高める上で、何かヒントになるものが得られればという気持ちをもって観に行きました。

 今回は純粋に妻と休日を楽しむつもりで足を運びました。あと、妻が大好きなはるかぜちゃんを一度生で見てみたいという気持ちもありまして。

 普段お芝居を観ない自分なんかがちゃんと楽しめるかどうか不安だったけど、最後まで楽しむことができました。

 

 私は最初はるかぜちゃんの登場に注目していたのですが、気が付くことができませんでした。開演から10分15分と過ぎていき、もう登場人物出揃ってる感じだけど誰がはるかぜちゃんなんだ?と、ちと焦りながら探しました。

 なんで自分が見つけられないのかと考え、そういえば自分ははるかぜちゃんの生の声を知らないということに気が付き、開演前にパンフレットを見ておくんだったと反省しつつ、一人一人をよく観察しながら探しました。で、声が声優っぽくて目立つ子が目に留まり、その子がはるかぜちゃんだと気が付くことができました。それから物語に集中することができました。

 

 中盤までは一人一人の個性的な演技を楽しみ、その後物語が正体を現しだしたあたりからは、私自身の過去の体験と重ねて、感情移入しながら観ていました。

 ストーリーは、社会が押し付ける女性の生き方に抗おうとする少女たちの戦いの記録なのですが、一人の言葉に周りが乗せられ、巻き込まれ、本意ではない状況に何かの影を感じつつも、仲間と正義を信じる心と真正面から向き合おうとする、そんな「光島延ぶ」(演:はるかぜちゃん)の姿が、過去の自分と重なりました。

 一人の感覚優位による言葉に周りが乗せられ……という点で、私は過去に理事を務めたNPOで似た体験をしているからです。

 

 物語は明治時代のお話ですが、これは現代社会でも起きているテーマの話だと思います。インターネット上での繋がりが大きな活動に発展することもありますが、集団であることから生じる圧力に頼りすぎていて、正当性や説得力に欠ける、健全性の薄い活動が目に留まることがあります。

 感情が昂っている時に決めたことを実行するには、昂っている状態が維持されていなればいけません。感情の温度は時間の経過と共に必ず冷めていきますから、冷えた人からついていけなくなるのです。回復より疲労が上回り、活動意欲を下げていきます。あと冷めた思考回路は必ず疑問や粗に気が付きます。だからその時に必ず、人対人での混乱が起きるわけです。

 昂っている時と冷めた時の思考回路の変化を比較整理して、次の状況について進路を検討するというコミュニケーションをとることが、今の時代においてもまだ当り前と言えるほど浸透していないからです。

 私は自分の体験を通してその「心の法則」を学んでいたので、物語の行く末もある程度推測しながら楽しむことができました。

 

 そしてクライマックス。「君が代」の場面は、偶然にも昨日、現代語訳を読んでいたので意図がわかりました。あれって恋愛感情の詩なんですよね。

  そしてラストシーンではるかぜちゃんが見せた表情に、私は大きな価値を感じました。テレビや映画といった映像では感じたことのない役者の魅力、あれはなんだろうか、なんと表現していいものか、なんかこう、胸に来るものがあったんです。

 私も過去の活動で別れがありました。会おうと思えばいつでも会えるし、話そうと思えばいつでも話せる間柄での「心の別れ」です。その想いにかける感情を、はるかぜちゃんは当時の時代の人の思考回路ではなく、現代人の気持ちで表したのではないか、と思いました。声ではなく感情表現を抑えてただ静かに主張するのは現代人らしいな、と思ったからです。

 ともかく私はあの表情の工夫について、「あぁ、これはお芝居じゃないと観ることができないものだ」と思ったのです。

 これを書いていて思ったのですが、映像になくてお芝居にあるもの、それはそこに人間がいることでしか感じられない「温もり」なのだと思いました。

 はるかぜちゃんが演技で見せた表情の温もりは、お芝居を観に行くことでしか感じ取れないのです。

 

 帰宅後、妻にその感想を話していると、このお芝居を観るにあたって購入したという、この物語の脚本を見せてくれました。 そしてラストシーンの部分がどのように書かれているか教えてくれました。

見よ、飛行機の高く飛べるを

見よ、飛行機の高く飛べるを

 

 読んでみると、「延ぶ、階段の手摺りによりかかる」としか書かれていませんでした。「え、あの場面が、あんなにあんな場面だったのに、たったこれだけしか書かれていないの?」と思いました。

 これが実際に脚本として活用されたのかどうかは想像するしかないのですが、お芝居の奥深さをまた一つ知ることができました。

 あと、「彼女たちは何と戦っていたのか」という点でも妻と意見を交わしました。ストーリーの観点で言えば「時代」や「社会」と戦っていたということになるのですが、意識のメカニズムという観点から私なりの解釈を言うと、彼女たちは「何も知らなかった過去の自分と戦っていた」と言えないでしょうか。

 彼女たちは学校に対し、とても強気の姿勢をとることができました。その強さは、団結から湧く力だけで作れるものではありません。

 人は誰しも、過去の自分に対してなら、無敵になれるのです。ただしその無敵の自分は、常に過去の自分と戦闘状態にあり、且つ完全勝利している状態でなければ、維持できません。

 だから彼女たちは、過去の自分ではなく、今とこれからの自分と向き合ったことで我に返り、考えを改めることになったのです。

 

 ……はい、人生二度目のお芝居の感想文はこんな感じで! これならはるかぜちゃんファンにも怒られないかな?(笑)

 自分の好きなものに、お芝居が加わりました(^O^)

 また観に行こうと思いました!

 

 あとこのブログは精神や発達系の障害者の人も読んでくれているので、お芝居を観る時ことについて、気になったことを書いておきます。

 お芝居を見るお部屋は、音や声が広がりやすいようにできているのか、大音量のBGMがかなり体に響きました。私みたいに情緒不安定な人は、私のように、BGMが流れただけで子犬の様に萎縮してしまうかもしれません。 それと、自分も自閉症的感覚があるので思ったことなんですが、役者の怒っている演技でも、自分が怒られているような気持になるような大きな音や怒鳴り声耐性に不安がある人は、念の為、出入口に近い席を選ぶのが良いと思ました。ちなみに自分は今回、二列目のど真ん中でした(笑)