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言葉は嘘をつきません

空のとびかたプロジェクト 映画制作とこれまでの活動

 私はいま、発達障害と就労をテーマにした『空のとびかたプロジェクト』という映画制作活動をしている。

 映画の制作は最終チェックをする段階に入り、なんとなくだが、もうすぐ終わるんだなという実感も湧いてきた。

 これまでのことは、ブログの制作日誌の記事で伝え続けてきたが、活動が長くなってしまったので、後から知った人は追いかけるのが大変だと思う。

 映画だけではなく活動全体のことが知りたくなった人の為にも、これまでの流れをまとめてお伝えしようと思う。

 

 過去記事へのリンクも引くが、読まなくてもわかるように書いていく。

 もっと詳しく知りたいと思った人だけ開いてくれればいい。

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2013年 自伝書を書こう

 2013年、それは私が30歳になった年だった。その頃、私は自身の発達障害的人生を自伝書にしてまとめようと思っていた。

 2012年の夏から妻との生活を始め、生活もなんとく落ち着いてきて、これからの新しい人生をスッキリした気持ちで歩む為にも、今までのことをまとめて吐き出したいと思っていたのだ。

 会話の仕方や人間関係を考える為に小説やらなんやら物書きをしてきたから、長い文章を書くことは苦にならなかったのだが、どうにも進まなかった。少し書いては消し、また書いては消しを繰り返していた。

2015年 工場を辞めた

 発達障害的事情で工場を辞めた。まぁ、人間関係の軋轢である。

 その時の出来事は下の記事にまとめたが、うまく書けてないと思う。またいつか書き直そうと思っているので、お暇な人だけ読んでくれれば。

 んで工場を辞めた後、私は副業にしていた自営を本業に戻し、自伝書の執筆も再開した。

 自営の方は少しずつ進んだが、自伝書の方はさっぱり進まなかった。その内にはっきりとわかった。自分は自伝書では満足できないのだ、と。もっと社会を巻き込みたいのだと。

 ちょうどその時、『スーパー・サイズ・ミー』という低予算映画を観ていた私は、こういう映画ならiPhoneでも自分でもつくれそうだと思った。あと、「映画」は「本」よりもシェア力が高いだろうと。

スーパーサイズ・ミー 通常版 [DVD]

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 活動サイトや、スマホで映画を制作するなど、活動全体の構想がある程度まとまってから、発達障害繋がりや創作活動で知り合った人たちに会って意見を聞いてきた。

   あと映像編集の練習で、自分の小説をPV化してみることにした。

 こういう動画をいくつか作った。

2016年 活動スタート

 映画を作るといってもプロ活動ではない。あくまでも生活が最優先だから、活動サイト内のコンテンツを育てながら出演者を募集し、一年かけて映画で使うインタビュー映像を収録して完成させる流れで考えていた。

 改正障害者雇用促進法は2018年4月に施行されるから、2017年4月に映画が完成し、一年後になんたらかんたらといったメッセージ性を含むドキュメンタリーにするつもりだった。

 でもやっていく内にもやもやとした感じが大きくなっていった。

 映画の内容は、自分と他の発達障害者のインタビュー映像と実際の生活の映像で構成するつもりだったのだが、「さすがに、それだけで映画と言い張るのは無理がないか」と思うようになったのだ。

 映画はiPhoneで撮る。編集もパソコンは使わずにiPadを使う。「スマホ映画」というキーワードを基盤としているが、スマホタブレットを使い「iOSアプリ」で映画を制作するということ。細かく言うなら、データーのバックアップや、画像など素材の制作はパソコンを頼るわけだが、「スマホでも実現可能、制作可能」と考えることができればありとした。そこは自分なりに考えてルールを緩めたというわけだ。 

 1つ1つに理由がある。ただ、映画だと言えるものが自分の作品の中でつかみ取れなかった。

 映画ってもっとこう、わくわく、ハラハラしたり、笑えたり、悲しくなったり、共感したり、観ている内に感情が揺さぶられて、劇場から出た後は面白かったなぁって思って、友達になんて話そうかって考えたりしてさ。

 できることは限られているよ。自分はプロじゃないし、出演者だって役者じゃない。でもそれと、映画的要素がないことは関係がない。

 この映画は、元は「自伝書」である。そのDNAがネックになっていたのだ。

2016年8月 『日本沈没』との思い出

 そして私は、この映画にかける想いを根っこの部分から掘り返すことにした。そうして思い当たったのが一色登希彦先生の『日本沈没』だった。

 私が妻と歩んでいる今の人生は、2008年にやった発達障害克服の放浪旅から始まったと言ってもいい。その決意の後押しとなってくれたのがこの漫画だった。いつか漫画の作者である一色先生に、ファンレターを手渡ししたいと思っていた。それは自分の中ではある種の「夢」のような位置づけだったのだが、それを今こそ実現させる時じゃないか、と思えたのだ。

 映画の内容を考えた後、私はFacebookから一色登希彦先生にコンタクトをとってみた。自分でつくる映画の中でファンレターを手渡ししたいという相談、というか、お願いをすることにしたのである。

 普通は断られるだろうが、実はここに一本の道があった。

 一色先生のSNSアカウントは前からフォローしていたので、これの前から知っていたのだが、実は一色先生はこの時、三重県にある道瀬食堂というお店の店主をしていたのである。

 つまり、お客として来店し、その時に手渡しさせてください、ということだ。

 この相談に、一色先生は快く了承してくれた。

 この時のやりとりで条件等々、もろもろやりとりがあり、全てが叶えられる形ではなかったけど、お店をゴール地点に設定して、当日手渡しするという一番大事なところは了承をいただくことができた。

 よっしゃ、あとは旅の日程をまとめるだけだ、と喜んだのもつかの間、この8月に、私のリアル生活の方でえらいことが起きた。

 ネットショップで生計を立てていたのだが、市場事情が大きく変わったことで、それ以上の経営続行が難しくなったのだ。資金的に無理をして進めてきたこともあるが、売り上げは想定通りに伸びていた。今月でやっと目標の軌道に乗れると思えた矢先のことだった。

 生活の立て直しをすることになり、映画制作はおろか、活動自体をほぼ休止することになった。

 

 それから活動が再開ができる2017年5月までの間に、いろんなことがあった。リンクを引こうかちと悩んだが、私はこの映画に「今の声」を残すことを目的としているから、ここでも見せることにする。

 

 楽しい話はあまりなかった。しいて言うならこれだろうか(笑)

2017年4月 活動再開 

 ようやく活動が再開できると思ったのが4月の半ばだったと思う。旅の日程に当てを付けてから、改めて一色先生へ連絡を取ろうとしたところ、タイムラインにこのような書き込みがあった。

 またどこかに引っ越しをしたようで、この情報を頼りにネットで調べたところ、引っ越し先が四日市で、その理由はお料理の修行であることがわかった。

 その時の私の心境は「嬉しい!」と「超困った」だった。

 東日本大震災の影響だったが、一色先生が東京から三重県に移住したとブログで知った時はちょっと嬉しかった。私も三重県出身だからだ。なにかの縁を感じることが出来たのだ。

 それが今度は四日市である。で、私の生まれ育った町は「桑名市」というところで、四日市とすごく近い。どれくらい近いかというと、名駅から四日市駅まで車で30分、電車で10分少々の距離である。

 自分の好きな漫画家が自分の住んでた街と近いところに来るってどうよ!?

 嬉しいでしょ!? そう思うところじゃん!

 

 でも私はここで困ってしまった。

 映画が撮れないからである(笑)

 

 この時の私の映画の計画は、2月にやったクラウドファンディングが失敗に終わったことで、埼玉から三重県まで行く旅ではなくなり、自分の出身である三重県桑名市から、三重県北牟婁郡にある道瀬食堂のお店を目指すという旅を考えていた。移動方法は車、一般道のみで、およそ5時間程度である。

 映画のメイン映像はその移動中に収録するわけだが、少なくとも2時間以上はほしい。それが30分では、すぐに終わってしまう(笑)

 

 撮影時間確保の為に、徒歩で四日市を目指す旅にする線も考えたが、なんか無理やりすぎるし、それはそれとして別の課題があった。

 この映画の企画では、一色先生にファンレターを手渡しする部分に了承はいただけているとはいえ、あくまでも、私が一色先生のお店にお客として来店した場で行うという関係であり、一色先生が出演者として積極的に協力を申し出た上での関係ではないのだ。

 だからここで引っ越し先のお店に行くとなると、その勤め先を教えてもらうことになるし、そこにお邪魔する形になるし、しかも貴重な修行の最中に私の為に時間をとっていただくということになる。

 それでも言えば、一色先生は了承してくれたかもしれないけど、私の中の常識観や社会観など、あらゆる観点から脳内議会を行った末の結論は「無理」だった。これは流石にお願いできない。

 

 そこで考えて決めたのが、「一色先生にファンレターを手渡しする旅だったけど、一色先生はもういない元のゴール地点の道瀬食堂のお店に行って、お店の方にファンレターを預ける」という旅でなのある。

 ファンレターの手渡しは叶わなくなるが、人の手(お店の方)を渡って届くのであれば良し!ということにしたのだ。

 一色先生にはその線で改めて了解をとり、旅の収録は無事に終わった。

 それが5月の半ばのことだった。

 

 その後は月一回の空のとびかたプロジェクトのリアルオフ会を開催しながらインタビュー収録を行、11月の収録で6人分の映像が揃ったところで収録を終えた。

 旅の収録が5月13日、最後のインタビュー収録が11月5日なので、撮影期間は5カ月半ということになるのかな?

2017年11月~ パンフレット制作と映像編集

 最後のインタビュー収録の後はパンフレット制作に着手した。やはり映画と言えばパンフレットがあるものだと思う。

 パンフレット制作は年末年始を跨いで、1月の末にはその制作がほぼほぼ終わった。

 そして2月頭から映画の映像編集に入り、2月26日に、出演者と制作協力者の方たちに、最終チェックのお話ができる段階まで作り終えた。ほぼ完成である。

 

 そして今、高田馬場にある『発達障害BAR The BRATs』さんのところで試写会をする計画が進行中だ。

 お店の人たちにはもう話してあり、まだ確定ではないが実現に向けて動いているというところである。

 

 ここまでが活動の全体的な流れである。一部、私個人の生活事情に関した部分もあるが、発達障害と関わりがあると思えたことだから、この記事の中に含めることにした。

 

 では最後に、活動サイトのことを紹介をしよう。

活動サイトのこと

 元々はGoogleホームページで立ち上げたが、あっちこっちと引っ越し末にはてなブログに落ち着いた。

 映画をつくっても、活動のことを誰も知らなかったら、誰も見に来ないだろうと思って活動サイトを作ったのだ。

 低予算映画で有名な『ブレアウィッチプロジェクト』も、ウェブサイトでのアピールが成功したよね。

 メインコンテンツは下記の通り、動画、漫画、インタビューと、実際にありそうなメディアサイトを想定してコンテンツを揃えた。

 マスコットキャラである「雪くじらくん」のイラストや漫画は、絵描きである妻が描いてくれている。日常生活の合間にコツコツと描いてくれた。漫画だけでも読んでほしい。

告知(公開予定日など)

 あくまでも予定だが、告知をしておく。

 映画は今年4月1日、世界自閉症啓発デーと同じ日に、YOUTUBE上にて公開予定です。

 パンフレットは3月末からAmazonKindleで販売予定です。

 試写会は実現すれば恐らく3月末に発達バーさんのお店でできると思います。

 

 公開をぜひお楽しみに!