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言葉からは、逃れられない。

グレーゾーンとクローズ就労の時に起きた職場でのトラブルの話


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 警備士になってから一年と少し経ちました。今までとは比較にならないほど平穏に仕事ができています。お給料も一番多いです(笑)

 私は31歳になるまでグレーゾーンでした。障害の自覚はあったけど、診断がついていなかったので、その間は、普通の人として一般雇用で就労していました。

 その時はトラブル続きで大変でした。今回の記事は特に発達障害と関わりが深かったトラブルの話をします。

親の飲食店

 17歳〜23歳の頃です。

 人間関係の失敗と家業の都合が重なり、高校を二年で中退した私は、親の飲食店に入社しました。しかし、そこでも発達障害あるあるの特徴が猛威を振るいました。

  • 非定型言動を度々してしまい、お客様を不快にさせてしまいました
  • お酒の用意の仕方など、特定の仕事だけがどうしても覚えられませんでした
  • ケアレスミスが頻発し、お皿を割ったり、注文を取り間違えたりしました

アルバイト

 平日は他のお店へ副業アルバイトをしたのですが、そっちでも家業と同様の問題が多発しました。特に自分の失言による人間関係の悪化は深刻で、職場に居辛くなって三ヵ月か半年くらいを周期にアルバイトを転々としました。

デバッグのバイト

 24歳の頃です。家業が自己破産した後は住むところもなくなることに伴い、一人暮らしをしました。その生活では発売前のデジタル製品などの動作をチェックするデバッグという仕事をしました。

 仕様書と説明通りに簡単な操作を行い、その結果を記録するだけなのですが、その回数と結果が覚えられなかったり、自分の担当を無視して他の人の担当部分を気にしてしまうなど、自分をコントロールできない状態が度々ありました。

 基本は影キャラを意識していたので、実家にいた時のように日常的に人間関係で問題を起こすといったことはありませんでしたが、異性として意識した職場の同僚にストーカー行為をしてしまいました。

 それをきっかけに精神科へ診察を受けに行きました。

デバッグのバイト2

 25歳の頃です。一人暮らしのあと放浪旅をして、その後、また同じデバッグの仕事に戻りました。

 今度は仕事がちゃんとできるようになり、多少の非定型的トラブルはあったものの尾を引かないレベルで、チーフからリーダーへ順調にキャリアアップできたのですが、自分を社員に誘ってくれた尊敬する先輩が事故で亡くなり、それをきっかけに退職の道を選びました。

 今もそうですが、当時もビジネスマナーは全く身についておらず、仕事はできる範囲とできない範囲が明確に分かれていました。

 なんとか続けられていたのは事故死した先輩と話がよく合ったので、手探りながらもわからない時は相談したり教えてもらうことで仕事ができたのです。あとその彼は私にとっての通訳役でもありました。私がわからないことを他の人に相談しても、何がわからないのか理解してもらえませんが、その彼はちゃんと汲み取ってくれて、意思疎通ができたのです。

 彼がいれば仕事の習得も順調に進んだと思うのですが、先輩は私の契約社員の研修が終わり、正式に社員としての勤務が始まる前日(だと思われる)に亡くなってしまいました。

 事故死のあと私の周りに残ったのは、私がどれだけ仕事ができるのかをさっぱり知らない上、特に親しくもない上司と先輩社員だけでした。

 おまけに最初に与えられた仕事は、事故死した先輩の担当していた案件で、引継ぎもないままに中途半端な状態のパチンコチェックの引継ぎでした。私はスロットの知識はあったけど、パチンコの方は全然詳しくありませんでした。周囲にわからないことを聞いても、周りもわからない状態で、上司に聞いても「俺も知らねーんだ!」と怒鳴り返されました。

 とにかく資料を見直して一から理解するしかなく、朝5時頃に出社して業務を開始する日々が続きました。

 しかしどれだけ業務と向き合ってもさっぱりわからず、発達障害の診察をもう一度受けて、なぜ理解できないのかをはっきりさせたいと思うようになりました。

 先輩の事故死は当初伏せられていました。私は虫の知らせがあったことで、なんとなく察していました。事故死から翌月に新入社員の歓迎会の時に上司から告知されました。その席で上司から、「この件で俺に触れないでくれ」と皆にお願いがありました。私はその先輩から誘われて社員になったのであり、先輩がいないなら社員を辞めたいと言う話が、なんとなく言い出せなくなってしまいました。

 それから今後のことを悩んだ末、やはり自分が発達障害であるなら社員は続けられないと考え、再診察を受けてはっきりさせることにしました。そこで、精神科への通院を考えている、代わりのリーダーを考えてほしいと上司に相談しましたが、上司からは「ふざけるな!」「どうせそういう診断が出ればいいんだろ!」と怒鳴られました。上司は私の話に聞く耳をもってくれませんでした。でも自分自身の話は、私が一生懸命に聞いてくれると思っていた様子でした。

 それからも何度か退職の可能性のことで話の場を設けてもらいましたが「きみ、年金とか払ってるの?」「おい、小僧」「クーズ!」「坊や」「お前に期待した俺と〇〇(事故死した先輩)が情けないわ!」など、その話し合いの場では毎回、馬鹿にされて誹謗中傷を聞かされ続けるだけでした。

 どうしても私の退職の話に積極的になってくれないので、電話で退職の意思を告げて、怒らせるという手段をとりました。

 電話で「もう限界です」と伝えたところ、案の定、こいつ電話で退職の話をしやがった的に受け取ってくれました。「会社で話そう。……失礼だろぅ!!!」と切れ気味で返事があり、その後、会社で最後の話し合いが行われました。

 上司は個室で席に座るなり、「なんなんだお前は! 神か!!!」と発狂して口からよだれをまき散らしながらぶち切れました。その隣には、あぁもうおしまいだという様子で、下を向いたまま何も言わない上司Bがいました。上司Bは最後まで何も話しませんでした。

 私はもうこの人のこういう話を聞くのは最後にしたいと思い、わざと怖がった振りしながら聞き、確実に「あぁこいつダメなんだな」と思ってもらうように仕向けました。

 結局、その話し合いで年内に退職することが決まり、残りの一ヵ月は雑用やわかる範囲での引継ぎをしました。

 最後の出社の日、退社の前にネームプレートを上司に返した時、「お世話になりました」と言いました。上司は「お前もっと人頼った方がいいぞ」と目を合わせず、吐き捨てるようにいました。

 私は心の中で、「お前のようなクズが社会をダメにしているんだ。いつか発達障害の認知度が上がった時、俺のことを思い出して、死ぬまで苦しめ」と心で念じました。

工場

 31歳の頃です。妻と暮らし始めた後、二年ほど自営のネットショップをしましたが、売り上げが思うように伸びず、就職の道を選んで工場に就職しました。

 その就職にあたって、ハローワークでは発達障害の再診察を勧められ、発達障害の診断を得ていたのですが、障害者手帳の取得まで数カ月かかることわかり、結局一般雇用での就職をすることになりました。

 仕事は手探りながらも習得できたのですが、仕事を教えていた先輩に障害のことを打ち明けたことでパワハラ的教育が始まりました。どうやら私はなにも努力してこなかった人らしく、俺様が正しく教えることでちゃんとした人間に育てられると思い込んでしまったようでした。実際には、彼の仕事の教え方は隣で喚き散らすばかりで、私は自分の推理力や洞察力を頼りに仕事を習得していました。

 ある時、仕事が嫌になった彼がそれまで担当していた工数計算などを全部押し付けてきました。それも含め、私は彼の押し付けや要求を全て引き受ける形で業務をする日が続き、そして一年が過ぎました。

 私は就労当初から、一年勤めたら障害の事を社長に話して、障害者雇用での雇用に切り替えてもらうことを考えていたのですが、そのパワハラ先輩が「面倒なことになるからやめろ」と言い、口止めをしてきました。

 工場の社員たちの間での社長の扱いは、幼稚園児並みの馬鹿という存在で、何がどうなるかわからないから言うんじゃねぇ、というのがその理由でした。

 その後、先輩の判断で、頼んでもいないのに事務のおばちゃんも私の障害を知ることになりました。そのおばちゃんは以前、社会保険に妻を扶養に入れる手続きをお願いした時、私がしつこく聞いた?ことが気に入らなかったらしく、「(扶養に)入りたくても入れない人もいるんだからね!」と説教をしてきた人で、正直いい感じがしない人でした。ちなみに私は、扶養の手続きをお願いした後、しばらくしても続報がなかったので、手続きがどうなったかを聞いただけです。その時は工場長でさえも、「めんどくせえからお前がFAXで本社に送れ」など言ってくる始末で、私は前々からこの職場の人たちの人間性に強い疑問を持っていました。それでも続けていたのはそもそも期待してなかったからで、なんとなく働けてなんとなく約束通りの給料が貰えていれば良しとしていました。

 残業もほとんどないので仕事は気に入っていたのですが、全く向上心の無い職場に嫌気も差していました。だから、この障害のカミングアウト云々の騒動が綺麗に片付かなかったら、退職するつもりでいました。

 その後はパワハラ先輩に加え事務のおばちゃんからも弱者扱いを受ける形となりました。パワハラ先輩は事務のおばちゃんという味方が増えたせいか、余計にパワハラ感が強まった気がしました。

 私は考えた末、まず第一段階として、工場長に異動のお願いをしました。そしてその異動が叶わないなら退職する、という話をしました。

 そのやりとりを三ヵ月程かけてじっくり進めましたが、やはり話の落しどころが定まらないので、社長に伝えました。

 社長は私の話を積極的に聞いてくれて、異動の願いを叶えてくれたのですが、二週間後に異動だった話がいつの間にか一ヵ月後に代わっていたので、もうここは誰も信用できないと見限って、退職届けを出しました。

まとめ

 グレーゾーンとクローズでの就労で課題となるのが、いざトラブルが起きた時に、強い姿勢が取りにくいということです。やはりどうしても、自分ではなくて普通の人だったらこんなことは起きないんだろう、って考えてしまいます。

 だから、障害者手帳が申請できる段階にいる人は、オーブンでの就労をする為にも、手帳の申請をする方向で考えましょう。取得しても、使わないという選択肢もあります。

 私は非定型の自覚が早かったこともあり、職場にさえ恵まれていれば、グレーゾーンのままでも社会の中で生きていくことができました。でも、私は妻との生活、その維持を最優先に考えて、障害者手帳を取得することにしました。

 

 今は35歳。仕事は底辺と言われやすい警備士ですが、出勤する曜日は選べるし、時間きっちり追われるし、残業代はとても高いし、障害者手帳を会社に提示しているから日給にプラス千円つけてくれるし、配属された場所が合わなければ変えてもらえるし、今度の入院では見舞金もでるし……正直、今まで務めた仕事の中で一番まともな仕事です。