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言葉は嘘をつきません

【前編】発達障害の発症原因について考える――後天性は深層意識に潜む中毒か


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 発達障害の発症原因について、自分の今の考えを記事にしてまとめようと思います。発達障害のことに詳しくない人でも内容が理解できるように書きます!

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発達障害の定義の設定

 まずは本記事において「何を発達障害とするのか?」、その点について設定します。「脳の状態」基準なのか、「診断の有無」基準なのか、「症状の有無」基準なのか、ということです。

 ウィキペディア発達障害 - Wikipedia)によると、広義的にはダウン症や知的障害なども含まれるそうなんですが、日本においては"発達障害者支援法が定める自閉症スペクトラムADHD学習障害を、狭義の発達障害としている"、とのことなので、本記事でもこの3つの診断を基準に考えることとします。

 ただ、医師による「診断の有無」は問わず、この障害特徴としてよく挙げられるの「症状の有無」を基準とします。コミュニケーションに著しい難がある、集中維持が困難である、勉強や仕事の習得がとても苦手など、発達障害の特徴とされている症状のことです。

 つまり「その症状に困っている状態なら発達障害とする」ということです。

症状の有無を基準とする理由

 発達障害の特徴と言われている集中困難やコミュニケ―ション難などの症状は、誰にでもあることだと思える部分がありますよね。

 今の時代でこれらの特徴について悩むということは、同時に発達障害を疑う状況であると言えます。これを障害相当であると判断する上でポイントとなるのが、発症時期や持続期間です。

 例えば、誰でも疲れている時はケアレスミスをしてしまうものです。でも疲れていないのにいつ何時も、まるで疲れている人であるかのようなミスの仕方を繰り返してしまう場合は、何らかの異常が疑えます。「DSM-5」という、精神疾患の診断や統計に関する国際診断基準のマニュアルにも、「6ヶ月以上持続」や「症状のいくつかが12才以前より存在する」など、期間が診断基準の一つになる旨が記されています。

 集中困難やコミュニケーション難など、そういう症状が子供の頃からずっと続いていたと言える場合は発達障害。長期間持続しているが子供の頃からとは言えない場合等は精神障害の診断が疑われる、というイメージで簡単な話をしている時ならだいたい通ります。

 生まれつき以外の理由で発達障害の特徴を抱えた場合は、発達障害とは呼ばない、というのがよくある意見です。

 ただ、その個人の半生が完全な形で記録されているわけがなく、ほとんどの場合は当事者や関係者の証言、他は知能テストや心理テストの結果を参考に診察が進められます。

 脳のどこに他の人との違いがあるのか、何が原因でいつからそういう症状が表れているのか、本当のところはわからないまま、脳に異常があるとされる障害の診断を受けているわけです。だから、症状の有無だけを基準にこの話を進めても、発達障害当事者の境遇に沿っていると言えますから、問題ないのです。

先天性について

 発達障害は生まれつきの障害「先天性」であることが定説となって浸透しているわけですが、私は常々、これを変な言葉だと思っています。
 この言い方が適当だと言えるなら、それは同時に、生まれつき集中維持が困難であるとか、生まれつきコミュニケーションに難がある、なんていう言葉が作れるということです。でも、まだ何の経験もしていない赤ん坊の状態に対して言える言葉でないでしょう。言うとしても、「生まれつき、脳の〇〇〇が□□□である為、将来は集中維持が困難な人になるだろう」と、最低でもこれくらいの言葉が必要です。

 ただその場合、成長過程における育て方や学習の仕方次第で、その障害特徴は解消できるのではないか? という課題が浮上します。となると、「後天性」の見方の話と干渉することになるでしょう。

 集中困難やコミュニケーション難、習得困難といった特徴を抱える要因が実際に脳にあるとしても、生まれつきその特性を抱えている状態を「先天性と呼ぶかどうか」という話は避けられないのです。

脳の状態を基準にした場合

 ここまでは、発達障害のことを日常の様子から実際に確認できる症状を基準に考えた場合の話です。では一歩下がって、「脳の状態」を基準に考えてみましょう。その場合は「生まれつき、脳の〇〇〇が□□□だから発達障害である」という言葉が作れます。しかし未だ、発達障害の原因とされる脳の仕組みは解明されていません。研究途中であり、未解明の事項ですから、その言葉は作れないんです。せいぜい「生まれつき、脳の〇〇〇が□□□だから発達障害の特性を持つ人になるかもしれない」までです。これではさっきと同じです。

先天性説はやはり推測に過ぎない

 言葉も組み立てられませんし、医学的根拠もありませんし、実際に決定打と言える研究報告も未だ上がっていません。むしろ現状は後天性説の研究報告ばかりが増えています。
 というわけで現時点で先天性というのは、あくまでも説であり、考え方の一つであり、推測に過ぎないと言えるわけです。

 ではなぜ、ここまで先天性説が広く浸透してしまっているのか?

 私は10年以上前から、発達障害の情報を他の当事者との交流を通して追ってきたつもりですが、当事者や福祉側、支援者側が勝手に広めっていったと言わざるを得ません。

 まずどこかの誰かが、現時点の研究結果から考えられることとして「生まれつきの可能性説」を唱えたんでしょう。医師ではないかもしれません。そしてある時、親を安心させる為にどこかの医師が言ったんでしょう。「生まれつきと考えられています、育て方は原因ではありませんよ」なんてことを。

 実際、育て方に問題はないと思われる家庭の子供にも発達障害特徴が表れていますし、大人の発達障害の人の中にも、子供の頃から違和感があったと証言している人は大勢います。

 そういう情報が当事者や関係者の間で共有されてく内に、どこかから伝言ゲームみたいになってしまい、「ただの説」だったことが「絶対的なもの」に変化してしまったんだと思います。

知的遅れの見られる発達障害者は先天性か

 巷で浸透している「発達障害の発症原因を生まれつきのみに限定する考え方としての先天性説」は伝言ゲームだと考えられますが、「先天性としての発達障害はアリだ」と私は考えています。

 それは発達障害の当事者会やオフ会などで、知的遅れの見られる当事者と会った時です。

 ストレートに言いますが、視線の動きや表情、目や耳、顔面のパーツなど、外見特徴だけでも何らかのハンディが感じられ、一言二言会話すれば、もう話し方やその様子で知的障害的な何かが感じられる人です。挨拶や雑談といった通常の意思疎通や会話はできますし、じっと座って話を聞くこともできる人たちなんですが、全体的に不自然なのです。

 自己紹介の場面では、他の人が1分程度で話を終えているところ、ニコニコしながら何分間も喋り続けたり、頻繁に頭や体を動かしてボディーランゲージをしたり、「感動詞」(感動詞 - Wikipedia)や「オノマトペ」(オノマトペとは (オノマトペとは) [単語記事] - ニコニコ大百科)が言葉の中に多すぎる人など、個性を表しながらでないと話せない人です。

 同じ診断を受けている私や他多数の当事者とは、明確な違いを感じざるを得ないのです。私の感覚で言わせてもらうと、発達障害者というのは厳しい境遇の中で羞恥心や社交性を手探りで学習し、不器用ながらも普通の人を装っている人たちだからです。

 だから「発達障害は先天性」という基準による診断は、こういう知的遅れがあるタイプの人に対してなら適当と言えるのでは? と、私は思うのです。

発達障害の分類について

 このように、発達障害の先天性説については、どこかで必ず「発達障害は知的寄りとそうでないタイプの2種類に分けられる」という考えに至ります。実際、発達障害の関係図をみてもほとんどがそのように記されています。(発達障害 図解 - Google 検索

 まず大枠の「発達障害」という概念があり、そこから大きく3つに分かれます。自閉症スペクトラム(コミュ障とか)、注意欠陥多動性障害(集中困難とか)、学習障害(習得困難とか)ですね。

 このうち、自閉症スペクトラムと注意欠陥多動性は知的な遅れを伴う場合もある、というのが多方で基準となっている考え方です。なぜか学習障害だけ知的障害と干渉していない関係図が多くみられるのですが、その背景となる発達障害とは干渉しているので、結局は学習障害も知的障害との干渉関係にあると考えていいと思います。

自閉症スペクトラムという診断名の統一

 少し余談を挟みますが、2013年にアメリカ精神医学会の診断基準が改定され、「アスペルガー症候群」「広汎性発達障害」といった診断名が統合されて「自閉症スペクトラム」という診断名が用いられるようになりました。どれも社会性やコミュニケーションに関するグループの発達障害です。

 実は統合前は、知的に遅れがある自閉症、知的に遅れがない高機能自閉症、知的にも言葉にも遅れがないアスペルガー症候群と、知能や言葉の遅れの有無で診断名が分かれていました。それが自閉症スペクトラムという名称に統一されたことで、診断名だけでは知的遅れの有無がわからなくなってしまいました。一応、支援の必要度で1~3のレベルがつけられるので、これが重いほど知的に遅れもあるという見方はできなくもないんですが、あくまでも支援の必要度のことであって、知的の遅れを意味しているわけではありません。まぁ、会って話せばわかりますけどね。

言葉のすれ違い

 発達障害の話をする時、知的遅れがあることを前提に話している場合と、今の私の話のように、知的遅れがない前提で話している場合があるかと思います。でもそれをわざわざ前置きしてから話す人っていないですよね。まず自分の境遇が基準になってると思いますし、ましてやTwitterだと文字数制限があるから文章に含める候補に挙がらない。

 そこんところをはっきりさせないまま、先天性説のあるなし説で言い合いになってるケースもあるかと思います。知的遅れのあるタイプの発達障害の家族がいる人が、私の様に先天性の可能性を感じていて、その上で「発達障害は先天性だ」と言っても、その家族の事情を知らない人からみれば、その言葉は医学根拠のない説を信じている様子に見えてしまうわけです。そういうこともあると思うので、やっぱりこの部分ってちゃんと明確になっていたほうがいいと思いますね。

 ちなみに私はアスペルガー障害の診断を受けています。診断を受けたのは改定後なんですが、今まで使っていた診断名の方が障害者手帳の申請が通りやすいという理由で、アスペルガー障害の診断名で手帳取得となりました。

 

後編へ続く