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言葉は嘘をつきません

私は一色登希彦先生の『日本沈没』が大好きだ!


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 私はいま『空のとびかたプロジェクト』(http://www.soranotobikata-project.com/)という発達障害と就労をテーマにした映画制作活動をしている。

 その映画は、私がある漫画の作者様にファンレターを届ける旅の映像と、出演してくださった他の当事者の方達のインタビュー映像で構成されている。

 本編でもそのことは伝えているが、「なぜその漫画が好きなのか」「なぜファンレターを届けたいと思ったのか」など、私と漫画を結んだエピソードの部分には触れていない。

 なぜ本編の内容に含めなかったのか。

 それはもう10年も前のことであり、10年にも渡ることであり、どれだけわかりやすく、コンパクトに言葉でまとめて伝えたとしても、私はその説明に納得できないだろうし、何よりも、その気持ちは一番最初に、漫画の作者様に伝えたかったからである。

 収録の間はファンレターを届けている最中なのだから、そこで話してしまうと一番最初にならないという理屈である。

 まぁ、今までブログに書いてきた記事の中で、この漫画に対する想いを小出ししてしまった(笑)ことはあるのだが、今はもう映画の収録を終え、ファンレターも渡して想いを伝えたのだから、この漫画に対する想いをブログでぶちまけようと思う。

 

 その漫画とは、一色登希彦先生の『日本沈没』である。

 

日本沈没との出会い

 日本沈没を初めて読んだのは、高校を中退した後の、両親の飲食店で働いてる時だった。今から12~3年前のことだったと思う。お店用の本として定期購読で届けられる雑誌の中に、本作が連載されていたビッグコミックスピリッツがあったのだ。

 昼飯の時だったか休憩の時だったか、細かい状況は覚えていないが、なんとなく雑誌を開いて読んでいた時にこの漫画が目に留まったのだと思う。初めて読んだ話数ももう覚えていないが、私はパニック系やサバイバル系のジャンルが好きだったから、気になる漫画があるということでこの漫画の存在を覚えたのだ。

 私は学生の頃から漫画が大好きで、当時一番多い時で1000冊近くの漫画を所有していた。少年コミック系から青年コミック系の漫画まで、人気になった漫画はだいたい手を付けていた。

 その頃、好きでよく読み返していた漫画は、『寄生獣』(作:岩明均)、『機動警察パトレイバー』(作:ゆうきまさみ)、『プラネテス』(作:幸村誠)あたりだったと記憶している。

 たまに読み返す漫画の中に『日本沈没』はすぐに加わった。雑誌の連載で読んだあと、コミックもすぐに買いに行ったと記憶している。まずジャンルが好きだったし、絵も好きだった。その画力にいつも驚かされた。

 

 日本沈没との出会いから数年後に、私は昨今話題の「発達障害」を知ることになる。そして、日本沈没に対する想いはより具体的なものになっていった。

 「私の人生」と、この「日本沈没」と「発達障害」が、三角形で結ばれていったのである。

 これからそのエピソードを語ろうと思う。とても長いが、どうか私の話に付き合ってほしい。

障害者のような自分

 私は31歳の時に発達障害の診断を受けた。障害者として生きていく為の診断を受けたのだが、別に驚きはしなかった。中学生の頃から、自分は障害者みたいなやつだという自覚があったからである。

 自分の特徴を上手に活かして生きることができればよかったのだが、私にはそれができなかった。勉強ができなかったし、運動もできなかったし、人間関係も上手く築けなかった。

 すごくガキの頃、親父が冗談めかして「俺は金星人だ」とか言ってたもんだから、自分は本当に宇宙人ではないかとわりと本気で悩んだこともある。

 

 高校中退だって、両親の飲食店の経営状況がよくなったという背景もあるが、元々のきっかけは私自身の人間関係の失敗である。

 中学生の頃に受けたいじめ体験を通して、私は自分が普通じゃないことを認識することができた。周りが嫌がることや怒ること、気味悪がることを、自分が積極的にとっていたことを理解できたのだ。いじめではなく、嫌われていたのだ。

 異常な自分をなんとかしたいと思って母に精神科へ連れて行ってくれと頼んだが、母は取り合ってくれなかった。

 それから言動に注意を払うようにして、比較的平穏に過ごせるようになった。それでも、人間関係をやり直す為に、高校は自分しか進学しないところを選んだ。でも調子にのってしまった私は、また周囲の感情を逆撫でするようなことをしてしまった。

 私は自分がなんにも学習できない奴だと悟って、高校を辞めることにした。普通は親や先生から説得されるが、両親のお店は人手を求めていた。就職先があるということで学校も強くは止めなかった。

 中退の話し合いの席で、校長は「きみは五歳児のまま大きくなったんだね」と言って笑みを浮かべた。当時の私は、その言葉と笑みの関係さえもよくわからなかった。

 

 どうやら自分のように普通がわからないまま育ってしまった人が自分以外にもいる、と、当時の認識はそれくらいだったのだが、両親の家や外でアルバイトをするようになってから、現実はもっと深刻であることを知った。

 私は仕事の覚えが酷く悪かった。さらにどれだけ気を付けていても細かなミスをしてしまった。それは致命的なことだった。学校では嫌われるだけで済んだが、仕事ではそれだけでは済まなかった。なんでもないはずの日常が、自分のせいでぐちゃぐちゃになる。自分のせいで周りは狂い、鬼や悪魔になっていく。

 学校の教室と違って、仕事ではそこにいる人達と嫌でも関わらなければならない。どこにいても、とにかく居辛くて息苦しかった。その辛さは学校でいじめられていると思い込んでいた頃以上のものだった。

 

 高校を辞めた直後の私は、このまま蝉の幼虫のようにひっそり生きて、大人になったらすぐに死ぬんだ、と思っていた。でも友人との交友を通して、もう一度頑張ろと思えた。

 人間関係の築き方と、コミュニケーションの取り方を再習得する為に、私が選んだ方法がオンラインゲームだった。他のプレイヤーと、ゲームという共通の話題の中で、画面に表示される文字を通して行うコミュニケーションは、私にとって最高の学習機材となってくれた。

 私はその環境と取り組みの中で、自分の成長を実感することができていた。

 対人トラブルの頻度は減り、バイト先の人間関係も少しずつ安定していったと記憶している。仕事の出来はぐだぐだだったが、少しずつ人並みに近づいていった。

両親の自己破産

 高校中退して家に就職してから6年後。自転車操業状態だった両親の店がいよいよ自己破産することになったのだが、その選択の前に、最終手段として私が5000万以上に膨れ上がった親の借金とお店を引き継ぐ方向で話が進んだ。

 私が発達障害を知ったのはその最中だった。

 

 まだもろもろの手続きをする前、これからは自分が店主のつもりにならなければと、お店のことや、父と母の仕事の仕方を細かく見るようになったのだが、母の仕事のやり方に違和感があった。たまったお皿や調理用具を洗う段取りがとても下手だったのだ。よくみると調理場も、母が担当するスペースだけいつも散らかっていた。細かい作業が多いから仕方ないとは思っていたが、それをなんとかしようとする工夫も感じられないことに違和感を覚えた。

 

 そこでふと思い出したのが「片づけられない症候群」という言葉である。いつだったかは思い出せなかったが、テレビのワイドショーかなにかで、そういう病気があると言っていた。

 まさかね、と思いつつパソコンで調べてみて、私は驚愕した。片づけられない症候群というキーワードを頼りに調べて辿り着いた、「発達障害」という障害の説明には、それまで考えてきた自分のことがほぼそのまま書いてあったのである。

 それから私はすぐに本屋に行き、関連書籍を何冊も買って貪るように読んだ。

 原因や治し方はまだ研究中で、まだなんにもわかっていないことがわかった。

 ただ、このおかしな症状と、それに困っている人は存在する。それはたしかだった。

 

 それから私は考えた末、お店を引き継ぐ選択を断った。もし自分や親がこの障害に該当する存在なら、これからどれだけ真面目に真剣に生きたとしても、普通とはズレた選択をしてしまうだろうから、5000万強という借金に挑むには無謀すぎると判断できたからだ。

一人暮らし

 借金の為に、店舗兼住宅だった家がなくなることに伴って、私は一人暮らしを始めることにした。

 非定型的だった両親から離れられることで、やっと自分は普通の人生が送れるのではないかと密かに思っていたのだが、ダメだった。

 自信たっぷりで入った夜勤の仕事(デバッグ業務)はろくにできないばかりか、勤め先の異性にストーカーまがいの迷惑行為をしてしまった。その人は職場から去っていった。自分のせいだとしか思えなかった。

 そんなぐちゃぐちゃな日常の中にも私の手には漫画があった。実家にいた頃1000冊近く持っていた漫画は自己破産騒動の前に一度手放して金にしたのが、どうしても自分の空間に置いておきたいという気持ちで、一人暮らしをした後から唯一買い戻したのが『日本沈没』だった。

 あの頃の自分は、とにかく元気がほしかったのだと思う。上手くいくと思っていた生活が、なんにもうまくいかなかった。オンラインゲームでの人間関係学習も行き詰まりを感じていた。将来に対する不安が日に日に大きくなっていった。

 そんな日常の中で、とにかく、また読みたいと思ったのが『日本沈没』だったのだ。

 

 いつからそう思っていたかと言えば、たぶん最初にこの漫画を読んだ頃から、薄々感じていたことだと思う。それは、この漫画の主人公「小野寺俊夫」が、自分に似てるということだった。

 見た目や雰囲気も少し似てるような気がしたのだが、それ以上に主人公の人格や考え方が似ていると思えたのだ。

 だからこの漫画を読んでいると、自分の活躍をみているようで、嬉しくなれたのだ。

 

 当時の私は24歳だった。そんな歳にもなって、漫画のキャラクターが自分に似ているからとか、読んでいるとわくわくしちゃうとか、それが一般常識からみれば笑われるであろうことは理解できていた。だから読んでいる時は、一人暮らしで自分しかいない部屋で読んでいるのに、なぜだかこっそり隠れて読んでいるような気持ちになっていた。

 

 自分に似ていると感じた理由はそれだけじゃない。

 主人公たちの特徴に、発達障害を連想させることがいくつもあったのだ。

 

 小野寺だけでみても、ノイズキャンセリングヘッドフォンをつけている、感覚が研ぎ澄まされていて普通の人が気づけないことを察知できる、日本社会に呆れている、女性に対してコミュ障なところがあるなど、とても親近感が湧くのである。

 あと、変人で天才な登場人物もいる。

 過去の偉人が発達障害だったという説があり、それについて私は全くバカバカしい話だと思っているのだが、漫画のキャラクターとして連想する分にはとても楽しく思えるのだ。

 当時はまだ発達障害が今ほど認知されておらず、発達障害を知っている、発達障害について書かれた書籍、書かれたページがある、というだけで貴重だった。それが、私が『日本沈没』に、他の漫画にはない魅力を感じていた理由の一つでもある。

 

 つまりこういうことだ。

 その頃、この『日本沈没』という漫画は私の中で、発達障害関連の「漫画」としてカテゴライズされていたのだ。

放浪旅へ

 ストーカー云々の件で、私は自分の意思で、精神科で診察を受けることにした。これ以上、頑張ってはいけないと思った。

 何よりも発達障害のことをはっきりさせたかったのだが、適切な診察は受けられなかった。医療現場であってはならないことだが、これは専門家が少ないせいである。私はろくに説明する時間を与えられないまま、見た感じの様子が統合失調っぽいという理由で、精神薬の処方を提案されたのである。

 私はそれを拒否し、自分から成人用知能検査(WAIS-R)を受けさせてほしいと言った。それが唯一参考にできる診断だった。

 医者から言わせると、私の数値は総合的には高いので障害者とは言えないとのことだった。その理屈はどうかと思ったが、障害特徴があっても努力で克服できますか?という私からの問いに、医師は「できますよ」と答えてくれた。それまでの自分の努力が妄想ではないと思えたから、その回答は嬉しかった。

 とりあえず私は診察を受けられたことでかなりのスッキリ感と、満足感を得ることができた。

 ただ生活の現実は何も変わっていなかった。それから私は考えて、「普通」を基準に生きるのではなく、「自分の感性」を信じて生きることにした。周りの大人たちから教わったことを基準に生きても、自分の場合、上手く生きられる気がしなかったし、それは今までの人生が証明してくれた。

 そこで、最初にやろうと思ったことが、放浪の歩き旅である。

 

 男なら、誰でも一度くらい、思いつくだけのものを持って、何かを求めて放浪したいと思うだろ。そこに理由なんて、いらないだろ。私も漠然とそう思っていた一人の男だった。

 ただ、私にはもう一つ理由があった。それが、発達障害特徴の克服である。

 医者は私の障害疑惑を否定したが、自分が発達障害者と同じ特徴を、少なくとも言葉で言い表したら同じ言い方になる特徴を、数多く抱えているのは事実だった。

 この特徴は、自覚するだけではどうにもならず、意識してもどうにもならず、自分なりに分析しても駄目で、ともかく、日常の中で思いつくことをやり尽くしても、この特徴は私の本性として君臨し続けてきた。

 考えても治せないなら、もっと感覚的な刺激の力じゃないと通用しないのではないか、と思ったのだ。それしかもう思いつく方法がなかった。

 今まで自分が見たことがないものをたくさんみて、やったことがないことをやって、脳に新鮮な刺激を与えまくって、脳の性質を変えてやろうと思ったのだ。

俺ってありじゃん

 それから私は放浪旅の準備をすることにした。大きなリュックや地図などをネットで購入した。

 ただ燃え上がった感情はいつかは下がっていく。その頃の私はまだ、それが心の働き方であることを知らなかった。

 旅への熱意、憧れ、期待感が日に日に冷めていった。

「そんなことして、障害が治るわけないじゃん」

「また厨二病みたいなこと考えてる」

「誰かがとっくにやってる。自分が知らないだけだ」

 決意から一ヵ月か二ヵ月くらいしてからだと思うが、そんな言葉がたくさん頭の中に浮かぶようになった。

「このまま家賃36000円のアパートで静かに暮らして人生を終える道を探った方がいいのだろうか」

 それは別に間違った考え方ではなかったと思う。日常を維持しようと思う考えは大事だろう。それでも、

 

 旅か?

 生活か?

 私はすぐに答えが出せなかった。

 

 そんな時でも私は『日本沈没』を読んでいた。どんなけ好きなんだと思うくらい読んでいた。読んでいる間は何も考えずに済んだ。ただ内容に没頭してその世界観に魅入られていた。

 あの頃はなんというか、日本沈没の漫画を無意識に手に取っていた気もする。悩み疲れを感じたら読んで気持ちを切り替えるような、そんな感じである。

 

 そんな時にふと思った。「俺ってありじゃん」と。

 

 日本沈没の主人公たちは、そこらの人とは違った感覚で生きている。周りからは理解されない行動だってとる。

 でも自分を信じて生きている。

 私はこの漫画の主人公たちのように天才ではないし、何かの専門知識や技術を持っているわけでもなかった。

 でも自分と何が違う?

 

 そう、自分に問いた。

 

 私は、違うところが言えなかった。

 

 その瞬間、消えかけていた放浪旅に対する熱意が膨らんだ。いや、膨らんだというか、確かな自分の目標として、再構築されたのだ。

10年後

 あれから私は、自分の意思で迷わず人生を歩むことができた。旅のあとの日常でも、漫画喫茶に入った時や、時間潰しに古本屋に入った時は、日本沈没の漫画を手に取ることがあった。

 新しい目標ができるにつれて、流石に手に取る頻度は減っていったのだが、その代わりに膨らんでいった気持ちがあった。それが「いつかこの漫画の作者にお礼が言いたい、ファンレターを送りたい」という気持ちだった。普通ファンレターというものは出版社に送るのだろうが、私の感情はもっと特別なものだった。手渡ししたいと思っていたのだ。

 だから人生の中でもし会える機会があるなら、その時に渡そうと思っていた。

 

 そうしてこうして30歳を過ぎた頃、私は、これまでの人生を自伝書にまとめることにした。妻との新しい人生を送るにあたって、今までのものを吐き出したいと思ったのだ。

 でも、自分の求めているスケールは本ではなく、映画であることに気が付いた。そんで映画制作活動を始めたはいいが、映画の内容がなかなか決まらなかった。いや最初は「発達障害者のインタビュー映像のみで構成した映画」という内容で考えていたのだが、活動をやっていく内に、それだけで映画と呼ぶには流石に厳しいと、考えを改めたのだ。

 そして私はこの活動にかける感情や想いを根っこから振り返ることにした。その時にはっと気が付いたのが、日本沈没と暮らしたあの一人暮らしの思い出である。

 妻とは放浪旅をした先で出会えた。今の暮らしだってあの放浪旅を選択していなかったら実現していなかっただろう。

 その放浪旅は自分の覚悟と決意だが、消えかけた火をまた灯すきっかけとなってくれたのが『日本沈没』だった。それは紛れもない事実だ。

 だからこう思った。

「いまこそファンレターを渡す時じゃないのか!」と。

 

 これが、空のとびかたプロジェクトで制作する映画と、一色登希彦先生と日本沈没への想いが融合した理由であり、「ファンレターを届ける旅映画」が生まれた経緯である。

 

 この漫画との出会いと馴れ初め(笑)の全てを、こうして書くのは初めてのことだ。かれこれ3時間ほどぶっ通しでタイプし続けている。たまに息してなかったような気もする。

 でも特にしんどいとかそんな気持ちはない。

 全くない。

 

 私はこの漫画の存在が、とにかく嬉しいのである。

 

 

 さて、このままだと一万文字を超えてしまいそうなので、ここらにしておこう。 

 

 最後まで読んでくれて、ありがとう。

 私はこの記事で、自分と発達障害との関わりから『日本沈没』を語ったが、それはちょっと偏っていて、この漫画の魅力は、人間ドラマや災害描写、SF要素など、そっちの方がメインだと言っておく。少なくとも発達障害を題材にした漫画ではないので、そこだけ誤解しないでほしい。

 

 この記事を読んで、『日本沈没』が読みたくなったという人がいてくれると私も嬉しいです。

 

 最後に余談。

 一色先生はもしかして、『日本沈没』の登場人物設定を考えるにあたって、発達障害の特徴を参考にしたのではないか?と密かに思っている。そう思えるほど連想できてしまうのだ。

 だから発達障害界隈の人で、読んだことがないという人もぜひ読んでほしい!

 そして、感想を語りまくってほしい!

 

空のとびかたプロジェクトについて

 空のとびかたプロジェクトは、発達障害と就労をテーマにした映画制作活動です。

 本記事を書いている時点では、既に収録を終えていて、映像編集も最終チェックの段階に入っています。

 映画は4月1日にWEB上で公開予定です。

 ぜひ活動サイトに御アクセスください!

紹介

日本沈没 1巻

日本沈没 1巻