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言葉は嘘をつきません

生き辛い界隈に言及する活動を始めないことにした理由――交流という概念が成す「障害」


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【図解】発達障害攻略マニュアル――生き辛い境遇からの脱出
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 今回は、生き辛い界隈に言及する活動を始めないことにした理由をお話しします。

 現時点で非公開設定にしている記事の内容に触れる為、私のブログを読んでくださってる人向けの記事とします。

 

 発達障害攻略マニュアルを書き終えた私は、自分が向き合っていた最後の課題と決着をつけることにしました。

 

 それが、『生き辛い界隈のもやもやに言及する』という活動でした。

 

 私は空のとびかたプロジェクトのコンセプトで、「理解だけではなく慣れることが必要」だと宣言しました。

 

 この「慣れる」という言葉の解釈は各々がご自身の考えを基準にしてくださればいいと思います。

 

 その上で、私がこの言葉に込めた考えは、「必要な話を遠慮せず言い合えること」という理想でした。

 

 私は中学2年生の頃から障害特徴を自覚していましたが、発達障害の診断と障害者手帳を得られたのは31歳の時でした。

 

 診断を得てから最初にやったことが、「他の当事者に会う」という行動でした。

 

 それから私は自分の生活を良くする為に、ネット上のコミュニケーションを通して、他の当事者と関わり続けました。

 

 でも、主に当事者会への参加を中心とした関わりを通して、私が体験したことは、おかしなことばかりでした。

 

 そのおかしなことは、記事にしたこともありますし、記事にしなかったものもあります。(ぶっちゃけ、記事にできなかったことの方が多いです)

 

 その「おかしい」という感覚の奥に、私の知らない重大な答えがあると察知した私は、その感覚と真正面から向き合うことにしました。

 

 私はまず試験のつもりで、生き辛い界隈の人たちの活動に言及することから始めました。 

 

 いろいろ記事にしましたが、その中で、とんでもない人とやりとりできたり、ご家族の方から謝罪の連絡を受けたこともありました。

 

 そして、今年8月半ばに試験活動を終えた私は、これまでの体験を振り返り、改めて「他の当事者の言ってることはやはりおかしい」という結論に達しました。

 

 でもなんだか掴みどころがない感じで、それでも「おかしい」という感覚は絶対的なものでした。

 

 試験活動を終えてから、ずっとこのことを考えていました。

 

 そして先日掲載した、私が発達障害と「依存症」を関連付けて考えている理由という記事を書き終えてから、頭の中の整理ができたせいか、「おかしさ」の正体がやっとわかりました。

 

 私は「自分のリアルの生活の質を向上させる為」に他の当事者と交流していたのです。

 

 それに対し、他の人はリアルの生活よりも「交流を通して何かを起こすこと」を進路としていました。

 

 どうりで、誰とでも話が合うのに合わないはずです。

 

 その答えを得て、私は生き辛い界隈に言及する活動を始めないことにしました。

 交流を通して何かを起こそうとするのは、別におかしなことではありませんから。

  

 「おかしい」という感覚もその中に隠れていました。

 

 私がずっと感じていた他の当事者のおかしさは、その交流の姿勢そのものが、ある種の「障害特徴」を成していたことから感じ取れていたのです。

 

 交流。

 他の言い方なら「協力」「協調」などがあるでしょうか。

 

 他の当事者が重視していたその感覚から、私は確かに、「障害の型」を感じ取りました。

 

 多くは語りません。ただこの私の答えは、私が他の当事者たちと関わってきた証として、ここに残しておきたいと思います。

 

 

追伸

 NPOと某ジャーナリストの記事だけは自分の体験ですので、復活させようかと検討したのですが、掲載中のアクセス数からみて、私の体験記は多くの人の記憶に残ったと考えられ、その点で既に目的を果たしているということと、私はこの問題の在処を「個人」に置いていないので、私自身が再掲載する理由はないと考えました。何卒ご理解ください。