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私が発達障害を治せるものと考えている理由


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 私が発達障害を治せるものと考えている理由について、過去を振り返りながらフラグとなるエピソードを中心に書いていこうと思います。

 まともに書くと書籍レベルの文章量になるのでフラグ部分が伝わる内容のみとご認識ください。

 

 

フラグ1:いじめ体験を通して、大人とメディアに違和感を覚えた

 22年前。中学2年生の時、私はクラスメイトに自分をいじめさせました。

 当時の私は非定型特徴故に、周囲の嫌悪感を逆撫でする言動を無自覚に繰り返していて、その末に嫌われていたのですが、自分に対するクラスメイトからの冷たい反応を、「自分に対する攻撃=悪い行い」と認識していて、鬼の首を取ったかのような挑発的な言動までしていたのです。

 そういう私の言動に対する周囲の抵抗や警戒を、自分に対するいじめだと思い込んでいたのです。

 

 状況はどんどん悪化してしまい、小学生からの友達にまで嫌われてしまったのですが、それがきっかけとなり、私は自分の言動のおかしさに気づくことができました。

 その後、私はこう考えました。

『本当に自分の言動が嫌われの原因なら、学校にいる時に一言も喋らず、何もしなければ、いじめ行為は収まるはずだ』

 そして、実際に検証を行い、誰も自分に対していじめ行為をしなくなったことが確認できました。予想通り、私がいじめ行為だと認識していた周囲の行動は、私自信の言動がトリガーとなっていたわけです。

 

 こうして私は自分の言動に注意を払うようになり、学校でいじめられない日常を得ることができました。

 自信をつけた私は、「学校で人間関係に失敗したのだから、失敗した理由をみつける為に毎日学校へ行こう」と思い、「一生をかけてでも普通の人になってやる」と心に誓いました。

 

 そして、このように自分の言動を見直すことは、いじめの原因を考える上で大事なことだと確信したのですが、テレビのニュースでは、いじめ事件をまるで不治の病であるかのように扱い、いじめられている側の要因について、全く触れませんでした。親に相談しても「誰がやったんだ!」と言うばかりで、いじめられた原因の話には取り合ってもらえませんでした。というか、いじめられた原因の話をしていることが認識できないようでした。

 

 当時の私は上手く言語化できませんでしたが、「普通の人になるには、大人や社会を頼らずに、自分でなんとかするしかないんだ」ということを感覚的に理解しました。

 

 この時に根付いた人生観が、フラグ2で私の原動力となってくれるのです。

 

当時のエピソードはこちら

 

フラグ2: 発達障害を知ったが、私が人生で得た答えと違った

 中学生の時に自分のいじめを解決できたのですが、高校生活では、やはり自分の言動が原因で人間関係で大きな失敗をしてしまい、自信を無くした私は高校二年の夏に中退しました。

 その後は実家の飲食店でバイトをしながら、廃人のような気持ちで生きていたのですが、月に何度か、小学生からの友達と会って遊ぶうちに、もう一度頑張ってみようと思えるようになりました。

 しかし実家のバイトは週6日朝から夜までの仕事で、同世代とコミュニケーションをとれる時間がなかなか作れなかったので、私はオンラインゲームの世界で人間関係を勉強しなおすことにしました。

 当時はまだネット環境の用意や接続設定には知識を要しましたが、そのへんは独学で勉強しました。

 

 数年の月日が流れる間に、私はオンラインゲームでも友達ができ、自分が住民となれる掲示板の数も増えていきました。最初の内はどこで発信してもトラブルになってしまったのですが、ネットの世界はハンドルネームを変更すれば別人になれるので、すぐ次の環境で人間関係訓練を再開できたのがよかったです。こうして文章が書けるのも、ネットの掲示板で鍛えられたからですね(笑)

 

 そして、高校中退から6年。私が23の時。今から13年ほど前のことです。

 ネットで成長できる範囲に限界を感じ始めた頃、ずっと経営難だった実家の飲食店に、破産する話が浮上しました。で、店を存続させる最終手段として、私が借金を引き継ぐという話しがあったのですが、そんな中、私は母の仕事の手際の悪さに気が付き、記憶を頼りにネットで検索をしました。

 そして、「発達障害」をみつけました。

 

 母のことについて調べていたわけですが、「これは自分のことではないか?」と思えた私は、友達の協力も得て、発達障害についていろいろ調べました。

 私は近所のブックオフや普通の本屋で、発達障害や精神学関連の本を買ってきて時間がある時に読みまくりました。家庭用の本から、ちょっと専門的なものまで、20冊くらいは読んだと思います。

 そうして発達障害は医学的に、『これは先天性の障害であり、治せる類の症状ではない』ということになっていることがわかりました。

 

 でも、私はその医療サイドの見解が不可解に思えました。当時の私はまだ未診断の状態でしたが、発達障害と同様の症状のいくつかを、改善に向かわせてきたからです。

 

 私はオンラインゲームをプレイしながら、自分が対人トラブルを起こしてしまう周期に気を払っていました。

 最初はひと月に最低一回は誰かを不快にさせたり困らせていましたが、それが二ヵ月に一回、三か月に一回と、だんだんとトラブルを起こす頻度が減っていったのです。

 そしてこの頃には、衝動的なトラブルを起こさなくなっただけではなく、周りで起きるトラブルの経緯が追えるようにまでなっていました。場の空気に相当するものが、認識できるようになっていたのです。

 まだ全体的に「もう大丈夫」のラインまで到達できていないことは確かでしたが、「障害だから治せない」という評価が飲み込めるほど、どうにもならないことだとは思えなかったのです。

 

 その上で、中学生の頃のいじめ体験の記憶も強く意識しました。「私の知ってる答えと違う」と思いました。そして「私は私で自分だけの道を進んでいるんだ」という実感を得ました。その感情は私にとって自信をつけてくれました。

 

 この時に自信を得たことが、フラグ3で私を諦めさせてくれるのです。

 

当時のエピソード

 ※この頃のエピソードはまだ記事にしたことがありません

 

フラグ3:自分の考え方は当てにならない

 結局実家は破産して、それを機会に私は一人暮らしをすることになったのですが、その後の生活の中で、私は勤め先の同僚の異性にストーカー的な感情を持ってしまい、大変な迷惑をかけてしまいました。

 

 その出来事で、私は自分のこれまでの自信は全て妄想で、努力だと思っていたことも全て無駄だったことを理解し、本気で死にたくなったのですが、なんとか立ち直ることができました。

 でも、私が迷惑をかけてしまった相手は、職場を去っていきました。

 私は「これ以上自分の力だけで頑張ってはいけない」と判断し、精神科へ行きました。発達障害の診察を受けることにしました。

 

 精神科では初診時に適切な診察をしてくれないなど、緊張の走る場面もあったのですが、WAISIIIのテストや他の精神鑑定を受けさせてもらえることになりました。

 テストの結果、発達障害ついては「否定」となりました。私の生い立ち等から幼少時の様子を探るやりとりはしなかったので、「否定」という結果については納得できませんでしたが、知能テストの数値や、精神鑑定結果の内容については大いに納得できました。

 

 診察を受けられたことで気持ちがすっきりした私は、「今の自分の思考は当てにならない。これからは考えて導き出した考えを当てにするのではなく、もっと直観を信じて、本能的に生きよう」と思いました。

 

 自分の意志で自分の自信を砕くことができたから、この決断ができたんだと思います。だからここまでの話でフラグとした体験がなかったら、この決断はできなかったと思います。

 

 そして最初に決めたことが「放浪旅をしよう!」でした。

 

 男なら一度はやってみたい放浪旅。

 思いつくものだけを持っていざ出発。

 

 毎日知らない街で、見たことがないものをみようと思いました。それは脳にとっても新鮮な刺激となるはずで、発達障害の症状の改善にも通ずると、直観的に思えました。

 子供の頃から憧れていた生き方を本当に実行することに、ワクワクが停まりませんでした。

 だから放浪旅は、私にとって一石二鳥な行動だったのです。

 

 この放浪旅が、本当に私の発達障害症状を大きく改善させることになりました。

 

当時のエピソードはこちら

 

放浪旅と症状改善の関係

 放浪旅がひと月を迎える頃、私は自分がベストコンディションだと思えたので、社会の日常に戻ることにしました。そして、一人暮らしの頃に勤めていた仕事に再挑戦しました。

 そしたら思い通りに、仕事がとてもできるようになっていたのです。

 ケアレスミスの頻度も激減し、コミュニケーション面でも大きく困ることはありませんでした。元経験者とはいえ、仕事の話もちゃんと理解できたし、覚えることができました。「普通の人はこんなにも早く喋って会話していたのか!」と驚いた感覚を今でも覚えています。

 

 私は放浪旅の、どのような部分が改善に繋がったのかを考えました。そして放浪旅中に書いていた日記が大きなポイントだと考えました。

 

 旅中は毎日日記を書いていました。実家にいた時から、自分の行動を見つめなおす目的で自発的にやっていたことで、旅中も続けていました。ただ、「その日の自分の様子と出来事を全て記す」という体育会的日記だったので、いつも文章量が膨大になりました。しかも旅中はパソコンがないので、ノートにペンと辞書を片手にカリカリと書いていました。

 ですから、ルールを厳守した上で早く日記を書き終える為に、文章をなるべく短い表現にしてコンパクトにすることを徹底していました。

 この日々の取り組みが、頭に浮かぶ思考を言語化ベースで最適化してくれたのだと考えました。

 以前は頭に浮かぶ全てのことに自分の自我が振り回されている状態でしたが、そういう重さは全く感じなくなっていました。

 

 その変化はこちらの記事で解説しています。

 

 次に、別のアルバイトをしていた時に、ケアレスミスも完全に克服することができました。ケアレスミスについては焦りさえしなければミスしない程度には改善できたのですが、その時はレジがラッシュで忙しくなるのがわかったので、一つ一つの行動を感覚的に分割して行うことにしました。

 その時、1つの行動でも分割して認識することができることに気が付きました。私がこれを平常時の感覚にしようと思い、その分割して認識する感覚を毎日トレーニングして脳に覚えさせました。

 そして二週間ほどしてから、忙しい時でも、全くミスをしなくなっていることに気が付きました。

 

 この改善方法についてはこちらの記事で解説しています。

 

依存と発達障害の関係

 ケアレスミスとコミュ障特徴を改善できたことで、私の人生観は一変しました。もう発達障害だから生き辛いとか、そういう悩みはありませんでした。

 でも私は結局、発達障害の診断を受けることになりました。

 

 放浪旅の後の人生で、私は結婚しました。その生活の中で求職活動をした際のこと。

 ハローワークで自分の生い立ちを話し、「障害者に理解のある職場がいい」と相談したところ、担当者から発達障害の再診察を勧められました。そして、行った先のメンタルクリニックで診察やテストを受けた末、自閉症スペクトラムの診断が下りました。

 

 ずっとグレーゾーンのまま生きていくつもりでしたが、障害者手帳を取れることで、就職の幅が広がることは嬉しく思いました。

 

 人生まだまだこれから!のはずでしたが、どうしても、パチスロ依存だけが解決できませんでした。

 実は一人暮らしの時にしていた仕事というのが、パチスロ等のデジタル製品の製造に関わる仕事で、職業知識を覚える過程で、パチスロの楽しさも覚えてしまったのです。

 

 私が放浪旅を終えたのは25歳の時。それから8年間、私はパチスロ依存に悩まされることになります。使ってはいけないお金も何度も使ってしまい、友達にもお金を借りました。(友人借金は全て返済済)

 

 そしてある気づきがあってパチスロ依存を克服できたのですが、その後、依存症と発達障害の症状の関係性にも気づくことができました。

 

 気づいた時のエピソードはこちらです。

 

 ある日、禁スロ5ヶ月目くらいの時に出来心で打ちに行ってしまいました。でもその時は我慢がきいて、いつもなら5万円以上突っ込んでしまうところを、2万円台で店を出ることができました。

 そして帰り道に私は強烈な違和感を覚えました。まだ2万円代しか使っていないのだから、今はパチスロ店に戻りたくて仕方ないはずなのに、その気持ちが全くないのです。

 

 その時に私はハッとしました。「打ってはいけない」といった念じる気持ちが、打ちにいきたくなる感覚を作っていたことに気が付いたのです。

 

 こういう心理現象を、「カリギュラ効果」と言います。

 で、この気づきが発達障害にも通じるのです。

 

 なぜなら発達障害の生き辛さも、まさに「~してはいけない」の繰り返しだからです。「ミスをしてはいけない」「失言をしてはいけない」「もっと勉強しなければいけない」「普通を理解しなければいけない」と、毎日毎日念じるように思っていました。

 

 そうして私は「発達障害」と、言葉が意識に生じさせる「依存」の関係に注目するようになり、「そもそも依存症の症状が発達障害の症状と似ている」ことに気が付きました。

 

 「関心の偏り」とか「過集中」とか「疲れを感じにくい」とか、まさにそうですよね。発達障害の人って、まるで「依存症だと気が付いていない依存症の人」みたいなんです。

 

 私は依存の観点から考察できる、食べ物や娯楽の影響にも注目しました。そして気づきを頼りに調べる内に、依存症が体質的に遺伝することや、脳萎縮を起こす場合があることも、医学的に認知されていることを知りました。

 

 私の両親は熱心な創価学会の信者で、特に父は偏った政治思想と啓発癖を持つ、言うなれば「言葉の依存」に陥っている人でした。そして母は診断こそ受けていないものの、どちらかといえば精神疾患寄りの人でした。

 飲食店を営む父母の作る料理は、どれもお店用に味付けのしっかりしたものばかりで、私は子供の頃からそういうもの食べまくりながら育ちました。

 

 遺伝や脳萎縮、あと食べ物や娯楽の影響。それらは依存症界隈の方では当たり前の話ですが、発達障害界隈の方では「トンデモ理論」だと言われていることばかりです。

 

 それでも私は、発達障害と依存がどうしても関係あるようにしか思えなかったので、依存として考察できる対象を自分から遠ざけてみることにしました。

 

 まず「食べ物」については、お酒やチョコレートなど、中毒性が高いと言われているものはなるべく接種しないようにしました。

 「娯楽」は、アプリゲームをほどほどにして、一生懸命やらないようにしました。パソコンの前にも長時間は座らないようにして、頭が疲れを感じたらちゃんと休むようにしました。

 そして言葉です。この時まで、非定型特徴が表に出ないようにする為に、言語化できたこと以外は当てにしないようにしていたのですが、これを機に感覚的なことも取り入れるようにして、言葉を意識する頻度を減らすようにしました。

 仕事はこの時すでに警備職に就いていて、仕事は誘導がメインですので、オフィス業のように積極的に会話をする必要がなかったことは好都合でした。

 

 そういうことを意識するようにして、一年くらい経った頃から、日常の感覚に変化が表れるようになりました。

 ご飯の時、妻が食べやすいように工夫してくれた調理の部分がわかるようになったり、認識できる触感の幅も広がりました。抹茶等、以前はよくわからなかった味も、美味しいと思えるようになりました。

 疲労度の認識精度も上がり、疲れている時がより早く察知できるようになりました。

 気のせいでなければ、人の声や物音も、以前より聞き取りやすくなっています。

 運動や筋トレの効果も実感し易く、前より体が動かしやすくなりました。

 

 書き出せばキリがないのですぐ思いついたことだけを書き連ねましたが、依存対象を遠ざけることで得られた変化を総合的に言うと、「感覚がよりクリアになった」ということです。

 

 そしてまた、あることに気が付きました。

 

 放浪旅の時も、当時は意識していなかったというだけで、言葉や娯楽、中毒性のある食べ物といった依存対象を、限りなく遠ざけた日常を送っていたことに。

 

終わりに

 ざーっとポイントとなるエピソードだけを書き出したのですが、それでもこんな長文になってしまいました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

 

 このような体験を経て、私は発達障害のことを依存症の類だと考えるようになり、発達障害の症状は治せるものだ、と考えるようになったのです。

 

(「治す」という部分については「寛解」という用語がありますが、聞き慣れていない人も少なくないと思うので、私は積極的には使いません。私の言う「治す」は「寛解」という用語の意味も含むものとご認識ください)

 

 以下、余談です。

 発達障害を依存症の類だと考え、依存として考察できる対象を遠ざける生活を意識してから、私の社会観と人生観はまた大きく変わりました。

 

 この社会には、人を依存症に追い込むコンテンツで溢れ返っています。娯楽や食べ物だけではなく、言葉で強要する「教育」も、意識に依存的感覚を植え付けます。

 

 この社会の中で生きていれば、誰もが依存症に陥り、それは発達障害の症状を抱えるテーブルの上に乗ることを意味しています。

 更に、依存症が体質として遺伝するのであれば、私たちは発達障害を生み出し続ける社会のサイクルの中で生きている、ということになります。

 

 発達障害と依存の関係性を考えるということは、そういう、社会の本当の姿に迫るスケールで考えることになるわけですが、個人レベルに話を戻せば、「依存的な思考に気を付けて生きていきましょう」という、可愛らしいサイズの話に収めることができます。

 

 私の「発達障害依存症説」から言えることは、今となっては特別なことではないんです。

 

  • 発達障害の症状は誰にでもあるよね
  • 発達障害は依存症を抱えやすいよね
  • 発達障害の人は疲れやすいよね

 

 ……等々、発達障害を依存に置き換えて考えたとしても、辿り着く答えは、以前から発達障害の常識的なこととして言われていたことばかりです。

 

 DSM5など医療サイドから発信されている発達障害の定義からみると、部分的に整合性がとれるところもあれば、噛み合わないところも出てきますが、それでも私は自分の人生の方を信じます。

 

 私が半生をかけてまとめた発達障害克服法に興味のある方はぜひこちらの記事をお読みください。

 

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