昨年12月に扶桑社から出版された姫野桂さん著「発達障害グレーゾーン (SPA!BOOKS新書)」が話題になり、同タイトルの「発達障害グレーゾーン」というワードがトレンド入りしそうな勢いで話題ですね。
私も31歳で診断を受けるまでグレーゾーンの立場でして、情報の行く末を追いたくて、先日特集が組まれたSPA!(スパ!) 2019年 2/19 号 [雑誌]を買いました。
で、記事を読んでいて、新型うつの時みたいな風潮が広がってほしくないなぁと思ったので、私から補足したいと思います。
『発達障害グレーゾーン』は新語ではない
別にどこかの記事に新語と書いてあったわけではないんですが、元グレーゾーン当事者の立場から主張します。「発達障害グレーゾーン」は最近生まれた新語ではありません。姫野氏や一部の当事者活動家が考案した造語でもありません。どこかの医者が定めた新しい診断基準というものでもありません。
「発達障害グレーゾーン」というワードは、「発達障害と同等の症状を抱えているけど、何らかの事情で診断を受けられていない境遇の人」という意味合いで、10年以上前から当事者間で使われてきた、「口語」としての属性を主とする言葉です。
ちなみに、「発達障害」という言葉も分類上の総称であり、診断名という位置付けの言葉ではありません。広義的には知的障害やチックなどの症状も含まれますが、口語的にはケアレスミスやコミュニケーションの偏りなど代表的な症状だけを指す時に使われることが多いです。
私は今から13年ほど前(※1)の23歳の頃にネットで発達障害を知り、それから2ちゃんねる等も含めて、発達障害関連の意見交換ができる掲示板で不特定多数の人らとよく発達トークをやっていたんですが、「グレーゾーン」という言葉はその当時から使われていました。
※1 2006年頃です。ちなみにADHDが有名になるきっかけとなった「片付けられない症候群」がメディアで話題になったのが2000年。司馬理英子氏の「のび太・ジャイアン症候群―いじめっ子、いじめられっ子は同じ心の病が原因だった」は1997年です。
このワードを最初に誰が言ったのかまではわかりません。もしかしたら医療サイドでも使われていたのかもしれませんが、少なくとも当事者間で言葉が浸透した経緯は想像に難くないです。
当時は今ほど発達障害の診断が定着していなかったので、今以上にグレーゾーン境遇の人が割合として多かったんです。
予約の電話が繋がらないので診察を受けることがまず無理で、予約ができてもまともに診察をしてくれなかったというケースや、長期間かけて診察を受けても診断が下りなかったというケースもあり、診断が得られることは宝くじに当たるようなものとも囁かれていました。確定診断が得られている人は、それくらい特別な存在だったんです。
ですから、発達障害の話題をリードしていったのはある意味でグレーゾーンの人らだという見方もできるわけですが、それでも、未診断者が自称で発達障害の症状を語る事を煙たがる風潮が今以上に濃かったんです。
そういう界隈の空気もあって、発達障害のことをネットで書き込む時は、一部の場所では自分が診断済みなのか未診断なのかを最初に宣言することが暗黙のマナーになっていました。今だとTwitterなどのプロフ部分に診断の有無を書き込めますし、発達障害の範囲が広がったこともあって、みんなその辺は気にせず意見を述べている感じですけどね。当時はそこに注目する人が少なくなくて「診断済みなのか未診断なのか書け」っていう注意がよく飛び交っていました。
で、その診断の有無を示したり確認し合ったりするやりとりの中で、「診断有りなのか未診断なのか」「クロなのかシロなのか」という感じのやりとりがありました。この「クロかシロか」という部分が派生し、「クロシロ→モノクロ→グレー→グレーゾーン」という流れで自然と定着したものと思われます。
以上、これが私の見てきた発達障害の昔話の話です。
別の認識や解釈もあると思うので、自分はこんな風に思ってたよ、という人がいたら、ぜひどこかで発信してくださいね。

のび太・ジャイアン症候群―いじめっ子、いじめられっ子は同じ心の病が原因だった
- 作者: 司馬理英子
- 出版社/メーカー: 主婦の友社
- 発売日: 1997/04/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 1人 クリック: 142回
- この商品を含むブログ (12件) を見る