発達障害考察ブログ HyogoKurumi.Scribble

言葉は嘘をつきません

1000000PV記念記事:発達障害治せる治せない論争について思ったこと

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 5月3日の今日、朝起きてアクセス数を確認したら、100万PVを突破していました。下記がブログのステータス状況です。参考までに。

 

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 『【4/21更新】来未炳吾の今後の活動について』でもお伝えした通り、来未炳吾の活動的には終了に向かっているのですが、今回は100万PVを記念して話をしようと思います。

 

 お題は、ここ数週間ほど発達障害界隈を騒がせた『発達障害治せる治せない論争』について思ったことです。論争ではなく『第〇次〇〇社 炎上大戦』といった見方もできますが、そもそも根底にあるのは、発達障害は治せるのか治せないのか、その答えに関する見解の不一致だと思います。

 

 発達障害の当事者事情をよく知らない人も、積極的に発信を見ている人も、どちらの方でもわかるように書きますので、多少説明口調の部分もありますが、お暇な方はお付き合いください。

 

 

対立も両立もする回答

 まず前提から。

 ちょっと前も他の当事者さんとも話していたんですが、世の中には真逆の意味なのに、両立してしまう回答があります。

 

 わかりやすい例でいうと、

  • 車は安全な乗り物である
  • 車は危険な乗り物である

 

 どっちも正しい回答です。この対立する2つの言葉には、それぞれ居場所があるんです。

 交通ルールを学ぶ場では、まず車は危険な乗り物であることを理解する必要があります。ですから、「車は危険な乗り物です」という言葉を使います。

 車を販売する商売の場ではどうでしょう。危険な乗り物であることは前提として、運転や操作の仕方、交通ルールなどを正しく守れば、車は安全に乗ることができます。そういう場では安心して買っていただく為にも「車は安全な乗り物です」という言葉を使うでしょう。

 

 発達障害は「治せる・治せない」も、これと同じです。それぞれ言葉の居場所が違うだけで、どちらも成立するんです。

 

 この話を理解する為の認識を統一する為に、「発達障害」という単語が今の当事者界隈で、どのように使われているのかをお話しします。

  

広すぎる意味で使われる「発達障害」という主語

 

 発達障害と言ってもその症状や意味は多岐にわたります。

 

 例えば、私のブログでは主に「ケアレスミス・コミュ障・習得困難」という、メディア的に言うなら『大人の発達障害』の話の中でよく挙げられる症状を指します。『当ブログで発達障害という単語が使われている時は「(特に職場環境における)ケアレスミス・コミュ障・習得困難」という症状の話』ということです。

 

 私は『大人の発達障害』という単語がまだ存在していない10年以上前からその意味で『発達障害』という単語を使っていますが、会話で齟齬が生じたことはありませんし、困ったこともありません。

 

 でも、発達障害に関する発信を見ていると、「発達障害の診断を受けた子供」のことに関する書き込みを目にすることがありますよね。その場合は、私の使う場合の意味とは大きく異なります。

 ざっくり言うと「授業に集中できない・勉強ができない」とか「クラスメイトとトラブルを起こしてしまう」とか。あとその話が「知的障害」寄りのお子さんの時もあります。

 この場合でも『発達障害』という単語が用いられているんです。

 

 この他、鬱や統合失調など精神疾患が症状のメインで発達障害の診断を受けた人や、カタカナが読めない、漢字が書けない、チック症状があるなどなど、一目ではわかりにくいと言われている発達障害と違い、すぐに障害だと識別できるわかりやすい症状を抱えているタイプの発達障害の人たちもいます。

 そういうケースの人も、『発達障害』という単語を用いて話をしています。

 

 これだけバラバラだと、発達障害の話をする時は、皆さん自分の話がどのタイプの発達障害に関するものなのか、話の最初の部分などで書いたほうがいい気もするんですが、他の当事者のTwitterやブログなどを見てる感じ、どこまで書くかは人によってまちまちですね。特にTwitterは文字数制限がありますし。

 でもほとんどの場合は、プロフや他の書き込みなど、見た目だけで「あぁこの人は大人の発達障害の人だな」とか「発達障害のお子さんを持つママさんだな」とかわかるので、大きな混乱はありません。

 

治せることがわかってきた症状 

 発達障害のことをよく知らない人は、「発達障害は先天性の障害だから治せないでしょ?」と思い込んでいる人もいますが、実は上でお話しした症状の中には、訓練や環境次第で大きく改善できる症状があります。それが『大人の発達障害』の話でよく挙げられる「ケアレスミス・コミュ障・習得困難」の症状です。

 なんとなーくですが、昨年あたりからメディアも、大人の発達障害の症状に関しては、先天性の障害だとは言いますが、治せないとはあまり強く言わなくなったように思います。

 

 子供の発達障害の症状もそうです。

 家庭でできる認知療法的トレーニングや、使用療法を厳密にした上での医療薬を用いて、症状を軽くするという話は以前よりありましたが、最近は「対処できる・改善できる」という単語を使いつつも、ニュアンスとしては「治せる」に近いものを感じます。

 

 まぁそのへんは私の主観なので人によって見解が変わるところなんですが、おおむね下記のような認識が持てることは共通しているかと思います。

 

  • 発達障害の症状は確かにあるよ。思い込みや甘えじゃないよ。
  • 改善できる症状もあるよ、その範囲は医療の進化と共に広がっているよ。
  • でも、なかったことにはできないよ

 

 ポイントは、3つ目の「なかったことにはできない」ということです。

 仮に症状を全て改善できても、症状に振り回されていた期間に習得し損ねた常識知識や感覚はそのままです。別途習得の為にどこかのタイミングで時間が必要ですので、それを「他の人よりも遅れてしまう」と認識するのも仕方ないでしょう。

 

 では本題に進めます。

 

「治せる・治せない」は社会の役目に応じて回答が異なる

 最初に、車の安全危険で言葉の居場所が異なるという例を出したのと同じで、発達障害もその管轄で正しいとされる回答が異なるんです。

 

 発達障害は障害ですから、日常レベルでは福祉との結びつきが強いわけですが、福祉の現場では、「生まれつきの障害ですから治せません」という回答が主に用いられています。その前提の上で、各種制度と紐づけられているわけです。 

 発達障害の改善は、私のような一部の当事者だけが手に入れた状態であり、まだ標準的な治療行為のように、誰にでも実施できて誰にでも同じ効果が期待できるとはいえません。今も多くの人が支援を求めています。ですから、「改善できます」という回答ではなく、「改善できない」という回答の基で、各種制度や支援を提案する。これが福祉に求められる姿勢なのです。

 

 ちなみに、精神障害などの診断基準となるDSM( 精神障害の診断と統計マニュアル - Wikipedia)には、発達障害が先天性であり、障害だから治せない、といった旨のことはどこにも書かれていません。つまり、福祉の標準回答は、医学に基づいているとは言い難いのです。

 

 研究の場では発達障害の原因の特定が進められています。年に何度か、どこどこの大学が発達障害のなんとかの原因をなんとかして特定~とか記事になるので、その度に当事者界隈でも話題になります。研究の現場からは、「原因解明が進めば治療も可能となるだろう」くらい言っても、全くおかしくないと私は思います。

 

 一方お医者さんはの場合は、生まれつきの障害だと考えられていると言われているが、確定でそうだとは断言はしないまま、障害であることを前提にうまく付き合っていく方法を提案するのが標準的な回答であり、提案する治療のスタンスかと思います。

 

 私のブログでは、大人の発達障害の代表的症状を中心に改善する方法を示しました。実際に全て改善できた人は「もしかして発達障害って治せるんじゃないか」くらいのことは思うでしょう。私もそう思ってます。

 ですから「改善の方法はありますよ。いつか治せるって普通に言える時代が来てもおかしくないと思いますよ」というスタンスで言葉を選んで発信しています。

 改善方法を発信している他の当事者も、これと似たような感覚で言葉を作っていると思います。

 

 どうしても改善の見込みが立たない状態の人、例えば症状が強すぎるとか、知的障害寄りのお子さんがいる親は、知識として改善した当事者がいることは知っていても、「発達障害は治せない」という認識になると思います。それが補足無しに、そのまま言葉に出てもおかしくないでしょう。

 

 まとめると、立場の違いを抑えておけば「発達障害は治せる」も「治せない」も、どっちの話にも居場所があることがわかります。 

 

 

 しかし、今回の『発達障害治せる治せない論争』では、その立場や管轄の違いで基準となる回答が異なることを、全くわかっていない人が多数見受けられました。この私の指摘には、有資格者である自称専門家の書き込みを含みます。

 

 論争の中で、とある専門家が「発達障害は治せない」と繰り返し書き込んでいたのですが、根拠に値する書き込みが見当たらないことに違和感を覚えた私は、あなたが治せないと考えている理由を話してくださいと聞きました。その人からの回答は「家庭向けの福祉サイト」のURLでした。私はその回答をみて、それは福祉サイトであることを指摘しつつ、改めて、貴方個人の考え方が知りたいと聞いたのですが、医者の回答をもとにした内容であるという旨の回答が来ただけでした。

 その専門家は、福祉が支援や制度用に採用している回答を、発達障害の正体のように認識していたわけです。

 ちなみに文体は感想型でしたね。(【17000RT/240000PV】BBS世代とSNS世代の違いから考察する言語認識の根本的違い――ネットに向かって喋る人たち

 

 一当事者がそう思い込むならまだ仕方ないと思います。でも専門家を名乗るなら、他の立場の人がまるでいないかのような回答はするものではないよなぁ、と私は思います。

 

某社代表に対する印象

 今の時代、某社って書いてもあんまり意味ないのですが、生理的にタイピングしたくないのでw

 某社代表の書き込みは、非難に対する言い返しもあったとはいえ、稀にみる悪質なものだったと言わざるを得ません。挑発や煽りと指摘されても仕方のない言動が多数見受けられますから、仮に名誉棄損、侮辱、信用棄損など、あらゆる項目から法的措置をとったとしても、裁判所は情報開示には応じないでしょう。

 やめてくださいとも言わずに会話を継続していますから、そんな自分の言動のせいで自然発生した炎上で被害が認められたら、ヤクザや悪質業者はやりたい放題になってしまいます。あ、昨年もそういう論法で炎上商法をした当事者ブロガーがいましたね。

 

 でもね、某社社長が積極的に言い返していた相手って、上で書いた、『立場や管轄の違いで基準となる回答が異なることを全くわかっていない人達』ばかりだったんですよ。だからあの炎上は、代表が丁寧にやりとりすれば、理解者を増やすきっかけにもできた状況だったと私は思うんです。

 まぁプロフにも「売られた喧嘩は買う」的なことが書いてあったので、代表個人のポリシーとして荒らす方を選んのかもしれませんが。

 

 少なくとも、あの炎上の中でおかしな書き込みをしていたのは某社代表だけではない、ということだけは言っておこうと思います。

 

 治療法が標準医療的には明確にできていない発達障害を「治せる」というのが間違っているように、診断基準の大本となるDSMにも書かれていない「先天性」という思い込みもまた、間違っているのです。

 「発達障害は先天性で治せない」と診断基準にないことを主張している専門家が、発達障害は治せると言っている人を指して「エビデンスにないから間違いだ」と言っていて、その専門家を支持する当事者勢が治せると言ってる人を袋叩きにしている様子をみて、貴方はなにを思いましたか。

 

余談:私が自分の症状と発達障害の説明する時の内容

 最後に、余談です。警備職の私が自分の症状を会社に説明する時の言い方についてお話します。

 

 私のブログの読者さんはご存知の通り、私は「ケアレスミス・コミュ障・習得困難」といった、過去に大人の発達障害によく挙げられる症状を抱えており、実際に自閉症スペクトラムの診断も下されている身でしたが、これらの症状を改善しました。

 しかし症状に振り回されていた期間が長期にわたった為、常識や知識などに大きな遅れが出てしいました。そこはWAISの検査でも、知的障害とのボーダーライン的な数値が出ていました。

 そのかわり、あれもこれもわからない中で強引に生きてきたせいか、理解力は高まったので、大体のことは説明を聞いたり、部分的にわからなかったことはその場で聞き返せば対応できます。

 でもこれが、トランシーバー上での会話で起きてしまうと、そのやりとりが円滑に進まない場合があるので、トランシーバーで会話が必須となる現場は、通常時は配属しないよう会社にお願いしています。

 

 会社から「発達障害は治せないんですか」と聞かれれば、「症状によっては改善の可能性があります」と答えます。その上で、「でも特別な訓練や環境を整えた上で長期間取り組む必要があるので、多くの当事者にとっては非現実的なことです。だから物事を組み立てる上では、治せないものという前提で考えても全く問題ないですし、その方がいいですよ。」と補足を加えます。

 

 このように、わかりやすい言葉が作れれば自分も相手も困らないんです。

 

 ここから先のことは、ネット上でしか話していないことです。

 私は自己体験とこの社会の仕組みなどから、発達障害の原因に「依存症」を疑っています。先天性の発達障害は「生まれた時点で依存症に陥っている状態」、後天性の発達障害は「無自覚の内に依存症に陥った状態」という風に考えています。

 実際、その前提で「依存から考察できる対象(言葉、食べ物、娯楽など)」との付き合い方を変えたことで、発達障害の症状は大きく改善しました。

 

 ですから、『発達障害の症状は依存を遠ざけることで治療できる』と考えています。

 

 しかしこの社会は、教育などを含めて全てが国民の依存性によって維持・成立しているので、依存を遮断して日常を営むことができません。言葉、食べ物、娯楽が充実しやすい先進国は特にそうです。

 私たちの社会は世代を越えて依存症が受け継がれていて、発達障害はその上に起きている一事象に過ぎないのです。故に人は、部分的には「依存でもいいところ」、つまり「発達障害でもいい部分」を受け入れて生きていくしかないのです。

 

 これが私の提唱する「発達障害は治せる」と「治せない」の考え方の概要です。

 より深く知りたい方は、ぜひこちらの記事と本をお読みください。

 

 以上。読了ありがとうございました。ここまで5600文字くらいでした。

 内容的に、ストレスを感じた方もいるかと思いますので、最後に、かわいい猫の画像で癒されてからご退場ください。

 

 次の記念記事は1,500,000PV達成時に書きます。

 

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