発達障害考察ブログ HyogoKurumi.Scribble

言葉は嘘をつきません

「発達障害の正体を依存症の観点から考える話」の要約版

スポンサーリンク

 今回の記事は、以前より当ブログ上で考察を進めてきた「発達障害×依存」の話の要約版です。この考察も一区切りできるところまで言語化できたと思えたので、ここらで一度まとめようと思います。

 

 先にこれまでの考察記事を読みたいという方は、下記リンクをご利用ください。

 

 

1.スロット依存と脳の仕組みに気が付いて依存を克服できた

 私は25歳から33歳の頃まで深刻なスロット依存に悩んでいました。酷い時は、スロット筐体をチェックする仕事とプライベート、合わせて1日12時間打ち続けた日が何日も続きました。

 

 仕事を辞めた後もスロット依存から抜け出せませんでした。

 頭の中はいつもこんな状態です。

 

f:id:hyogokurumi:20190508215502p:plain

 

 でも33歳のある日、また衝動に負けてスロットを打っていた時、少ない投資で中断できたことをきっかけに、私はスロット依存と脳の仕組みに気が付くことができました。

 いつもより投資が少ないのだから、帰り道の道中でも「店に戻って打ちたい」という衝動に悩まされるはずです。

 その衝動が全くなかったことに違和感を覚えた私は、自分が依存していたものはスロットではなく、自分の意識であることを理解できたのです。

 そして思い出したのが「カリギュラ効果」という心理現象です。

 

カリギュラ効果 - Wikipedia

カリギュラ効果(カリギュラこうか)とは、禁止されるほどやってみたくなる心理現象のことをいう[1]。例えば、「お前達は見るな」と情報の閲覧を禁止されると、むしろかえって見たくなる心理現象が挙げられる[2]。

 

 脳は禁止されると、逆にやりたくなる働き方を有している、というわけです。

 つまり私はスロットを「打ってはいけない」等と念じ続けていたこたで、逆に打ちたくなる気持ちが大きくなっていたということ。これが依存症の正体だったのです。

 

 私はこの脳のシステムを『意識のループ』とし、ループにより生じる様々な不具合を『意識のエラー』と呼ぶことにしました。

 

 この気づきを得た瞬間、私は体感的にも依存を克服したことを理解できました。スッキリするまで遊んで「もうやめたよ」と根拠なく宣言するレベルの 心境の変化ではなく、「脳の働き方が変わった」と思えるほどの変化を実感したのです。

 そこまで思うのも、8年間頭の中に渦巻いていた「打ってはいけない➡打ってしまう➡打ってはいけない……」という、意識のループが消えていたからなんです。

 

 実際その時から今この記事を書いている時点まで一度も打ちに行ってないですし、また行こうと思ったこともありません。我慢もしてないんです。

 

2.依存の状態が発達障害の苦しみと酷似している

 私はスロット依存の克服エピソードをブログで記事にしている最中、これが発達障害の悩みと同じ状態であることに気が付きました。

 発達障害の悩みも、「ミスをしてはいけない」「失言をしてはいけない」など、自分に対して禁止を強要する意識が日常的になるからです。

 

f:id:hyogokurumi:20190508222107p:plain

 

 発達障害の日常も、この『意識のループ』と『意識のエラー』に悩み苦しむ人生です。平常時の思考はずっと偏りっぱなしで、あらゆる場面において通常働く感覚も麻痺していますから、定型から逸脱した人格が形成されていきます。


 ここで一つの仮説ができます。発達障害も依存症なのでは?、という観点です。意識のループに陥り、意識のエラー(発達障害の症状)に悩み苦しんでいるという見方です。

 でもこの仮説は成り立ちません。発達障害の症状に困ったことによって『意識のループ』に陥ったわけですから、「発達障害者は症状に悩む日常の中で、意識のループに陥りやすい』とは言えるとしても、「発達障害の正体は、意識のループ」という言葉は作れません。それは鶏と卵が同時に誕生したみたいな言葉です。

 

 このように「意識のループ」というワードから考えるとここが行き止まりとなります。でもこの気づきのきっかけとなった、「カリギュラ効果を起こしたもの」に注目すると、新たな進路ができるのです。

 

3.この社会は国民の依存性が支えている

 私はスロットを止めたくて「打ってはいけない」と念じ続け、ミスをしたくなくて「ミスをしてはいけない」と、自分に対して念じ続けました。

 打ってはいけない、ミスをしてはいけない。これはどちらも言葉です。

 したがって、「自分から自分」に対する言葉から「意識のループ」が起きるなら、人から自分」に対する言葉でも、この心理現象は起きるはずです。

 

 真っ先に連想できたことが「教育」でした。勉強にしろ運動にしろ、なんでもかんでも強要されて育ちます。やってはいけないことをした時は、厳しい言い方で「やってはいけない」と命令されます。

 それらのコミュニケーションは教育の為に正しいこととされています。しかし人間の心理に対して健全とは言い難いでしょう。ここまでに述べた通り、強要や命令は意識のループのトリガーになるからです。

 無意識の内に意識のループに陥る。つまり、それを起因とする意識のエラーも起きているはずです。

 

 次に連想したのが「食べ物」と「娯楽」でした。どちらも常識的な知識だけでも、依存という観点から考察できる対象です。

 発達障害の原因に食べ物や食生活を挙げる話はチラと聞いたことはありましたが、私はそれまであまり積極的にはなれませんでした。遠いところで繋がっているとは思いましたが、発達障害の症状を起こすほどの影響力があるとは思えなかったからです。

 でも「食べ物の依存性」という自分の考察からぐんと距離が詰まりました。例えば、中毒性の高い食べ物ばかりを食べることで、既に症状に現れている意識のエラーがより悪化するとか改善しにくくなる、そういうイメージが持ててしまったのです。

 実際、私の生まれ育った実家はフランス洋食店で、客用に調理された味の濃いものばかり食べて育ちましたし、一人暮らしの時は連日カレーといった酷い食生活を送っていました。

 娯楽については言わずもがなで、私はファミコン世代ですし、先に述べたようにギャンブルにはまってしまいました。「発達障害者は依存症になりやすい」という話も昔から言われていますね。

 

 更に連想を頼りに調べることで、発達障害の方面ではトンデモ扱いされている「脳萎縮」や「遺伝」の話が、依存症の方面では常識になっていることがわかりました。

 

 これらの考察を総合して私の脳に出来上がったイメージは、この社会ではほとんどの分野において、教育・食べ物・娯楽などを契機に人の脳を依存症に陥れる仕組みが形成されており、この社会は国民の依存性によって維持されているという事実と、発達障害はその仕組みの中で生じている一事象に過ぎないという、認識の転換でした。

 

 『他人から自分に対する言葉でもこの心理現象は起きるはず』という話から始まった考察ですが、全社会人は既にその影響下にあり、その仕組みの上で形成された社会の中で生きている、とみるべきでしょう。依存症は体質として遺伝しますから、生まれた時点で依存症なんです。(=先天性)

 あと、言葉・食べ物・娯楽が充実しやすい先進国では、発達障害の診断を受ける人が多いはずです。大勢の国民が営みの中で依存症に陥るからです。(=後天性)

 

 いま発達障害の症状を抱えている人達の何割かは、この考察に当てはまると私は思っています。

 

4.発達障害の症状にとどめを刺せた

 ここまでの考察を経て、私はあることを実践してみました。

 

 ブログ読者はご存知の通り、私は大人の発達障害の症状に挙げられる「ケアレスミス・コミュ障・習得困難」といった深刻な症状を改善できた一人です。

 感覚的に考えることで、あぶり出し型脳に対する対処もできましたから、『症状を改善させただけではなく、再発も起こさない』という、多くの発達障害者が想像すらしない状態まで回復できたのです。

 

 妻との生活で食生活が変わるなど、無意識の内に依存から回復する生活を送っていたことも改善に通じた要因だと思います。

 

 でもそんな私にも1つの重荷がありました。それは「気を抜かない」という、自分の発達性に対する警戒心です。

 

 だってそれはしょうがないじゃないですか。改善させたし再発もしないけど一応障害者レベルの症状をずっと抱えていたわけですし、自分に対して「気を抜くなよ」という気持ちを幾ばくか頭の片隅に置いておくくらいは、むしろそうするべきでしょう。

 

 でも私はこの考察を経て、それもやめてみたんです。つまり、「自分が発達障害者であることを全く意識しないで過ごす」ということをやってみたんです。

 

 そうしたら、更に仕事が楽になりました。「発達障害の症状を改善した感覚」と「症状の再発も防げた感覚」の、更に上があったということです。

 

f:id:hyogokurumi:20190508223528p:plain

 

 上記はいらすとやさんで拾ったワンオペの画像ですが、実際の私は警備の仕事をしています。画像の若者は、自分の仕事をてきぱきとこなしているように見えるでしょうか。まぁ発達障害のことに悩んでいるようには見えませんね。

 今の私はそういうレベルだということです。一定の水準まで改善できた人は、発達障害のことを全く気にしない方が楽になるんだと思います。

 

 ただ例外として、障害に振り回されていた歳月が長すぎた為に、習得した単語や一般常識が人よりも少ないです。ですので、普通は理解できる会話にもついてけない場合があるので、トランシーバーを使用する現場には配属しないようお願いしています。

 

5.依存症に陥っていた時の思い出は記憶から消える

 発達障害の症状を改善させた日常から、発達障害を意識すらしなくてもよくなった日常の中で、私はあることに気が付きました。厳密には、煙草を止めれた時にも体験したことなのですが。

 

 妻との生活を始めたと同時に、私は高校生の頃から吸っていた煙草を止めました。生活初期は個人事業主だったこともあり、その忙しさもあってか、煙草を気にする時間もなくなり、苦労なくやめることができました。

 

 それからしばらくして、あることに気が付きました。昔の記憶の中から、たばこを吸っていた自分の姿が消えているのです。

 たばこを吸っていたはずの記憶がたばこを吸っていない状態になっていたり、たばこを吸っていた時期の記憶が、その周辺を含めてごっそり不鮮明になっているのです。その体験をしたことは覚えているけど、内容は思い出せない感じ。

 今の妻と知り合った頃はまだ煙草を吸っていたのですが、その頃のピュアな思い出もあやふやになってしまい、なんだか悲しくなりました。

 

 それと同じことが、発達障害的人生の記憶の方でも起きているのです。

 古い記憶は勝手に改ざんされたり忘れたりするとかそういうレベルではなく、明らかに発達障害の症状に苦しんでいた時の記憶ばかりを狙うようにして、記憶が薄れる現象が起きているのです。

 

 貴方がもし発達障害的人生の中で運命の人と出会えたとします。そのパートナーとの生活の中で症状を改善できたとします。そうすると、出会った頃の記憶とか、症状に振り回されていた時の記憶ばかりが消えますねって話です。

 

 酷くないですかこれ。

 

 発達障害、どんなけ苦しめてくるのよ。

 

 でもこれが事実、私の記憶に起きていることなんです。

 

 症状を改善しない限り死ぬまで苦しみ、改善できたらできたで、今度は過去の思い出が不鮮明になる。

 苦しんだ時期の記憶は消えてほしいって人には、嬉しい特典かもしれませんけどね。あと、依存の効果で記憶の鮮度が落ちにくい状態だった、と考えれば、いまの記憶の鮮明度の方が正常であるという見方もできます。

 

 私の発達障害考察が自分にも当てはまるという人は、 この「記憶の消失」についても考えてみてください。私の身に起きただけ、ならいいのですが。

 

6.記憶だけではなく意識ごと消えるという見方

 上の項目で、依存症だった時期の記憶が消えると言いましたが、厳密には「その頃の感情や判断といった記憶を含め自分の意識の情報そのものが不明瞭になったり消えたりする」んです。

 意識そのものが消える、ということです。

 

f:id:hyogokurumi:20190508222051p:plain

 この感覚を馬鹿正直に受け止めるなら、「私たちが物事を認識したり考えたりする意識そのものは、実は依存の上に形成されている一症状に過ぎないのではという仮説ができるんです。

 つまり意識の上に依存があるのではなく依存が先で、その「症状」の一つに「意識」があるのでは?、ということ。

 流石にこの段階になると医学の管轄から飛び出しているので、私からもガチな話は出せません。

 でももしそうだとしたら、人はいつでも「意識上での死を起こせる」ということです。

 この話は多重人格とも繋がりがありそうです。

 

 発達障害の考察を終えた今、私がいま考えているのがこの意識の正体についてです。

 

7.「発達障害」というワードから卒業する時代が来ている

 今回の記事で言いたいことは、「発達障害を依存として考てみよう」ということだけではないんです。 たしかに依存と考えることで、いろんなことが考えやすくなります。発達障害症状の改善、回復、予防、全てにおいて方針の当てがつくわけです。全くの手探りで考えるしかない発達障害という課題において、それはとても助かることです。

 

 でも大事なことは、「発達障害の基本的な事実を基準にして考えよう」ということです。

 

 「発達障害」はある一連の症状を総称した単語に過ぎず、一個の障害を指した用語ではありません。それはDSM(精神障害の診断と統計マニュアル - Wikipedia)など発達障害の定義について、積極的に勉強している人は理解していることでしょうし、医療知識よりも自己体験を基準に考える人でも、一部の人は気づいていることでしょう。

 ちなみに私は後者の方で、自己体験から言語化できた部分は、答え合わせをするつもりで医学情報と照らし合わせるようにしています。

 

 私たちは、あるなにかの複数の症状を勝手にひとまとめにして、「発達障害」と呼んでいるに過ぎないのです。

 

 今後は「なにを発達障害と呼んでいるのか」とか、「発達障害をどう呼ぶか」といった課題と向き合う時代になるでしょう。「発達障害を治す」っていうと叩かれますしね。

 だから「発達障害は~」ではなく「~は発達障害と同様の症状を起こします」という構文が主流になっていくんじゃないかな、と。あと「依存」という単語も私が頼りすぎなだけで、もっと別の適切な言い方があると思います。

 

 以上。ここまでおよそ5600文字っ。

 これから発達障害という言葉を使う時は、今回の話を思い出してみてください。

 今の私は発達障害のことを、このように考えています。

 

  • 発達障害(先天性)は「生まれつき酷い依存症に陥っていた状態」
  • 発達障害(後天性)は「無自覚の内に依存症に陥った状態」

 

 本記事が貴方の発達障害考察の足しになれば幸いです。