発達障害考察ブログ HyogoKurumi.Scribble

言葉は嘘をつきません

近況の話:普通の生活とは

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 二ヵ月ぶりに記事を書く。

 

前回

 

 発達障害考察本の出版後は来未炳吾の活動終了に向けた整理をしていた。その作業も今はほぼ終わり、現在は仕事と生活の合間に、警備職関連の資格取得の勉強をしている。

 

 私は発達障害の境遇に陥りながらも、その症状を改善しただけではなく、改善後の予防法までも確立し、更に「普通の生活」を整えるところまで到達できた。自分で言うのもなんだが、発達障害を完全解決できた数少ない当事者の一人だと自負している。

 

 そうして私は、念願だった「普通の生活」を送りながらも、その立場から、発達障害という境遇に関わるテーマと向き合い続けている。この立場だからこそわかったこともあり、そういった話がいくつか溜まってきたので、お盆期間の暇を利用して、一旦文章にしておこうと思う。

 

 

勉強について

 私の人生の都合上、勉強に関しては学習を放棄した中学二年生時点の経験値で止まっていた。あの頃はいじめを機に自身の異常性を自覚したことで、「生きていく為には勉強よりもコミュニケーションの習得が最優先。勉強どころではない」と判断したのだ。

 ……とは言っても、当時の私は黒板を丸写しして、目と耳で先生の話を聞いているだけの状態が勉強だと思っていた。仮に勉強を続けていても、知能レベル的に学習できるようにはならなかっただろう。

 二十代の頃に調理師免許の試験に挑んだこともあったが、試験には落ちた。勉強の仕方がわからず、試験前日に一夜漬けで参考書をノートに書き写しただけで、試験問題は一問もわからなかった。 

 今の自分は違う。発達障害の症状を克服し、依存的な脳の状態も改善できた。だから、「勉強する為には何をどうすればいいのか」がわかるのだ。

 

 今は一日30分を目安に参考書と向き合っている。まず今日の勉強範囲をただ読む。次に大事だと思えたことを自分の言葉に置き換えてノートにメモする。そして明日の勉強範囲を予習のつもりでただ読む。

 やっていることは「ただの読書」に「メモ書き」を加えただけだ。でもこれが脳に負担がなく、安定して継続できることが感覚的にわかる。

 覚えよう、理解しようと思って参考書と向き合って、その通りになれば誰も苦労しない。「勉強」とは、ただの言葉の一単語であり、脳にそんな機能はないのだ。

 私は実際に警備職に従事しているから、実務の対応力や知識を補う意識で読めばいい。そして仕事の話のネタに使える程度になんとなくわかっていればいい。それ以上の成果や期待を込める必要はない。

 それもこれも、ストレス対策が勉強の要だからだ。「毎日勉強している」という安心感と「わからない状態をつくらない」を守る。実務に置き換えたシチュエーションを自分の経験から好き勝手に想像できれば十分に理解できている、ということにして先へ進む。

 習得や試験に対する不安や悩みは何のプラスにもならない。それらは勉強の成果だけではなく、意識を不安定にしてしまう。だから勉強の気が乗らない時は早めに切り上げるくらいテキトーでいいのだ。

 今は30分だが、将来的には1時間くらい持続できるように、この試験勉強を利用して「勉強慣れ」しようと思う。

 

発達障害について

 発達障害に関しては放浪旅などの取り組みとそれら自己体験に基づく考察を経て、改善法と依存説という回答を出すことができた。自分の考察が正しいことは今の日常が証明してくれている。今の私はその普通の生活を送れている立場から、自分の考察と新しい気持ちで向き合っている。

 

 

 やはり、遺伝の関係で「生まれつき依存症」という状態と、「日常の中で無意識の内に依存に陥った」という状態があるんだと思う。先天性の発達障害とは言うなれば、「生まれた時点で酔っ払っていた(あるいは、酔い潰れていた)」ということ。実際にアルコール依存に関しては医学的にも遺伝すると考えられている。「生まれつき酔っ払っていたせいで、自分が酔っ払っていることに無自覚なまま生きている人」なら、発達障害の診断基準に挙げられる症状をいくつも抱えている人格が形成されるだろう。そういう境遇や抱える悩みも想像に難くない。

 酒の席で酔っ払った人が失言をする。酔っ払った状態で仕事をしたら簡単な作業でもミスをしてしまう。酔っ払った状態で勉強したら何も頭に残らない。そして酔いがさめた後に後悔する。

 発達障害も同じだ。その事案の直後まで、自分の状態のおかしさに気づけない。何もかも滅茶苦茶になった後で「なぜ自分はあんなことを」「どうして普通ができないのか」と後悔する。

 

 これは、「意識だけがシラフ」で、「脳だけが酔っ払っている」という"ミスマッチした意識と脳の組み合わせ"として考えることができる。いま未診断含めて発達障害の症状に困っている人の何割かはこの私の持説に該当するだろう。

 

 発達障害と依存、遺伝の関係。その依存の要因に言葉、娯楽、食べ物。これらが絡み合っていることはもはや決定的だと私は思っている。依存が原因なら知的障害や精神疾患寄りな人も含めて多くの当事者に当てはまるし、ゲームやアニメで人格が狂暴化といった話の時に脳にちらつく「影響を受けやすい人がいる」イメージとも接点を持たせられることができる。

 京アニ放火事件で、アニメを麻薬に置き換えて話をしていた人がいたが、麻薬は飛躍させすぎとしても、酒との付き合い方に関わる注意は、アニメのような媒体にも必要だと思う。「必要だった」というのが現実的な見方だろう。

 酒には強い人もいれば弱い人もいる、というのが当たり前で、その考え方をアニメやゲームにも流用して、エンターテイメントとの付き合い方を一人一人が調整する意識が当たり前にならなければいけない。

 

 発達障害の対策はまだ私のように一部の人しか理解を得ていない。でも「酔っ払っている状態」に置き換えた考え方がありなら、多くの人が自分の経験則からでも対策の当てを作ることができる。

 いつか権威ある人が発達障害の要因として脳の依存とこの社会との関係性を暴くだろうさ。そうなれば私の考察本も役目を終えるだろう。

 

警備について

 警備と発達障害についてはこれまでの記事で何度もまとめたが、二年目になって新たに相性の良さを気づくことができた。それは「トラブルに動じない人ほど向いている」ということだ。

 そこが今までの職場では違った。トラブルに動じる人が良かった、という意味ではなく、印象面で不利になることが多かったのだ。例えば、取引先やお客様相手にトラブルが起きて、周囲が大慌てで忙しなく対応に追われている時に、普段仕事できない人が平常時トーンで優先度の低いことを質問をしてきたらイラっとするだろう。普通の人は。お前状況分かってんのかと。実際言われたことがあるし、そういう状況では周囲からよくそんな目で見られたものだ。

 しかし、発達障害の人は学校ではいじめを受けたり、家が機能不全家族だったり、職場でひどい目にあった人もいる。ようは、日常が修羅場だったという人が多い。私もまさにそんな境遇の人生だった。大抵のことには動じないだけの体験をしている。

 警備の世界では、事故や緊急事態、予定外想定外などの状況に対して冷静迅速な対応が求められるので、何が起きても動じない人が相応しい。偏った人生の中で培われた精神力をそのまま仕事で活かせるのは良いことだ。

 

 

普通の生活について

 今の生活。仕事は屋外での誘導、警備。帰宅後は夕食の支度、妻との会話、試験勉強、食後はジョギング。朝は5時頃に起きて、夜は22時頃には布団に入る、早寝早起きスタイル。

 発達障害のことは特に意識しない。症状を改善したことだけではなく、現場の選別は障害関係なく、隊員個別の得意不得意を考慮した上で決まるので、自分だけが特別扱いされてるというわけでもないからだ。 

 すこぶる普通の生活だろう。

 

 ……と、今の生活になった最初の頃は思っていたのだが、最近はそれがとんでもない思い違いだったのではないかと考えるようになった。

 かっこよくなりたい。金持ちになりたい。幸せになりたい。てなことを言う奴の姿を想像すると、その為に必要な行動をしていなかったり、その理想からはかけ離れた者が「ないものねだり」をしている印象を覚えるわけだが、「普通の暮らしがしたい」というのも、それと大して変わらないように思えてきたのだ。

 というのも、私の中で普通とは「本来あるべきもの」という性質のものだった。しかし普通の生活をしていれば、その水準の維持に努めることになるわけだが、そのサイクルがどうしても、誰にでもできるものではないと思えるからだ。

 今の「普通の維持」を継続する上でエンジンとなってくれているものは、私のこれまでの人生、つ「普通ではない人生の中で培ってきた自分の能力」だ。つまり初めから普通が整ってた場合、その普通を維持する能力は得られなかっただろう、という想像ができる。

 これは恐らく、私のように普通を求めて普通を得た人が皆思い至ることなんだと思っている。

 

出版について

 余談だが、今後の出版についても。

 心理校閲を題材にした本を一冊書くつもりでそれに近い話を別の場所でも仄めかしていたが、商品レベルの内容とボリュームに仕上げるまでイメージが出来上がらないのと、今は「本や言葉は人の時間を奪う」という課題と向き合っているので、制作は全く進んでいない。

 それとはまったく別の案で、放浪旅日記は、記憶が鮮明な内に完全版を制作するべきでは、という考えが大きくなりつつある。考察本とも絡めた広報ができるので、こっちが先行しそうであり。

 それが完成する頃には警備3年目になっているから、その後は発達障害との相性を絡めた警備本を書いてもいいかなぁ、と思っている。ちなみに来未炳吾の活動は終わっているので、著者名は変更するかもしれない。

 

 では今回はこんなところで。