発達障害考察ブログ HYOGOKURUMI.Scribble

言葉は嘘をつきません

あとがき:普通の人を食べれば、普通の人になれるのか/僕と彼女のカーニバル(加筆修正版)

スポンサーリンク

f:id:hyogokurumi:20190516095348j:plain

 

前:18:カーニバル 4/僕と彼女のカーニバル(加筆修正版)

 

あとがき

 私はこれまでの半生の中で、「人を食べたい」という妄想に取りつかれていた時期がある。たしか23歳の時、今から10年以上前のことだ。その頃の私はまだ、発達障害の症状に振り回されていた。

 実家を離れて一人暮らしを始めたことで、やっと普通の暮らしできて、これで普通の人になれる、普通の人生が送れると思っていた。その新しい生活の中で、私は自分自身が狂っていることを自覚した。きっかけは、同僚の異性に対するストーカー行為だった。中学生の頃から自分の奇異な人格を自覚し、障害者相当だと重く受け止めて、必死になって学校に通いながら「普通の人」を手探りで追求してきたのに、結局自分の異常性は何も改善されていなかったことが酷く悲しかった。

 私は克服の為に考えることを止めて、根本的な解決方法を探すようになった。

 食人願望はその境遇の中で、なんとなく発生した。

 

「普通の人を食べて、普通のDNAを取り込めば、普通の人になれるのかな」

 

 私の視線の先には幼稚園の遊具で遊んでいる子供たちがいた。夜勤なのに昼間からふらふらと外を出歩き、歩きたばこをしながら近所にある幼稚園の方をぼうっと眺めては、子供を一人捕まえて調理して綺麗に食べてしまう妄想を何度も繰り返した。不思議と、大人を標的とした妄想は浮かばなかった。

 本当に実行する気はさらさらなかった。ただあの時は、そういう妄想がいつの間にか日常になっていたことのヤバさを自覚していなかった。

 

 それから数年後、放浪の歩き旅をきっかけに障害特徴を大きく改善させることができた私は将来の生き方を考えていた。生きる為に障害特徴の言語化を続けてきた私が「物書き」を意識したのは必然だったと思う。

 その道を歩む上で、最初の壁として向き合ったのが「小説」だった。本作はその取り組みの中で生み出された作品だ。

 その頃、「人を食べたい」という妄想は記憶の中に残るのみとなっていたのだが、妄想だけで終わったせいか、不完全燃焼な感触が纏わりついていた。私はその感触を払拭することも兼ねて、その当時の感覚や記憶を利用して、何か面白い小説を書けないだろうかと考えたのだ。

 

 だからこの小説は、「本当に人食い願望と向き合ったことのある当事者が書いた小説」ということになる。

 

 本作の制作にあたり、友人の協力があったことをここに記しておきたい。本作の構想段階では、タイトルは「僕の彼女は宇宙人」で、「彼女ができたと思ったらそいつは宇宙人で人知れず人間を食べてる」という設定で、笑いあり涙ありのどたばたストーリーを考えていた。ただ、構想した私自身がそのストーリーと設定に満足できず、小説好きの友人に相談することにした。

 その彼の出してくれた案が「戦う相手が少しずつ強くなっていく。最後は二人でいただきます!」というもので、それは「犬→猿→人間→いただきます」という形で本作に採用された。
 

 本作は「はじめに」にも書いた通り、2012年に『小説家になろう』(https://syosetu.com/)で連載を始めた作品である。今回は来未炳吾の活動終了に伴い今の実力で書き直すことにした。リアル事情でまたしても一時休載となったわけだが、こうして最後まで書けたことを幸福に思う。

 

 読了ありがとうございました。感想お待ちしております。