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言葉は嘘をつきません

近況の話:『僕と彼女のカーニバル』完結、Twitterについて思うこと

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 『僕と彼女のカーニバル(加筆修正版)』を完結まで掲載した。来未炳吾の名前で残したい創作小説はこれで全て掲載できた。『夜行バスの人々・僕と彼女のカーニバル・死から始まる』は合本して一冊にしようと思う。

 

 新作をもし書くとしたら来未炳吾の活動が完全に終了した後、別の名前で活動を始めた後になるだろう。

 

 ちなみに、noteで連載している自伝は来未炳吾の名前で完成させる予定だ。

 

 

 さて今回の近況の話は、最近Twitterのことについて考えることが多かったので、今の考えを一度まとめてみようと思う。

 

Twitterについて思ったこと

 もうアカンね、ここは。発信はやめたが、使い慣れたツールということもあり、タイムラインに流れてくるニュースを追うくらいには利用している。

 ただもう書き込もうとは思わない。コミュニティの健全性という点では史上最悪のツールという他ないだろう。ネットの無法地帯だと散々問題視されてきた2ちゃんねるが健全に思えてしまうほどTwitterは酷い。全く性質の違うサービスだから比較すること自体おかしいのだが、どうみてもTwitterの住民のノリは2ちゃんねるを継承しているので、このまま話をする。

 

 Twitter問題を考える上で私が要点だと考えていることを1つ挙げるなら、2ちゃんねるは書き込む場所が話題別に「スレッド」で管理されていて、Twitterにはそれがない、ということだ。スレッドを開けば「テンプレ」があり、書き込む際のルールやそれまでの経緯を共有できたし、スレッド自体が「ゾーニング」の役目を果たしていた。だから立場や意見の違いはあっても、書き込んでいる人はその話題に興味があることが前提であり、そもそも話が噛み合わない意見を書く人は、叩かれたり無視された。

 スレッド式の利点を一言でいうなら、「やりとりに参加する適性のない人を弾きやすいこと」にある。

 

 一方、Twitterは端的に言えばスレッド式とは全くの逆を行ってると思えばいい。これは「やりとりに参加する適性の有無を問わずその話に巻き込むこと」を狙いとしたサービスだ。

 だからTwitterでは建設的に発展することを意識したやりとりには全くの不向きで、特に意味のない「書き捨て」か「見せること自体を目的とした広告投稿」くらいしか使い道はない。そもそもそういう主旨の発信をする場を提供しているサービスなのだが、SNSの体裁を装っている為、どうしても温度の高いやりとりが勃発してしまう。

 しかも2ちゃんねるのように書き込む時だけ存在する名無しではなく、利用者はアカウントを作っていわばTwitterに居住することとなる為、話が風化しにくい関係性が維持されることも要因の一つだろう。フォロワー数など相手次第では、でたらめな意見であっても賛同者や支持者が集まって相応の説得力を帯びてしまう。その可能性にはほぼ際限がなく、違法性や不当性が見受けられる内容であっても、不特定多数から正論として理解を得られてしまう程である。 

 この性質と営利的に相性の良い業界が、メディアや出版業の他、悪徳商法等の反社勢力である。

 例えば、自分の反社性に無自覚な人が出版業を行う、とする。でも本物のプロ作家には相手にされないから、自分の出版社で本を出してくれる作家は必然的に、Twitterなどでちょこちょこ書いてるインフルエンサーなどが狙い目となりやすい。自分から出版に誘ったり、見様見真似でコンテストを開催して自分の営利活動に引きずり込むのだ。でも馬鹿だから炎上商法などでフォロワー数を増やしてるアカウントでも「すごい人だ、意欲的に活用している人だ、能力がある人だ」とか思っちゃう。

 こうして脳味噌反社な出版社と作家コンビの出来上がりである。あとはTwitter等で、出版社の中の人がその炎上商法作家を諄いほどに「プロ」などと呼んで持ち上げまくり、作家の方は訴える手段を取りにくい匿名を狙い撃ちして叩きまくって自分のシェア力を上げまくる。

 出版社側は、自分のところで本を出してくれる人の知名度やシェア力が上がれば自ずと本の売り上げが伸びる。作家側は匿名を相手に喧嘩を売りまくって自分に注目を集める。もし自分側に批判が飛んで来たとしても、おまいうレベルのてけとーな正論を述べながら構成要件だけが根拠の名誉毀損などをチラつかせて相手を脅す。普通ならウィークポイントになる手口だが、そのてけとーな正論と自分の暴力的書き込みには一切触れない味方の出版社や、自分に正義があると思い込んでくれている信者の支持者がいるから大丈夫、というわけだ。WinWinである。

 実態としては「脳味噌反社コンビがシノギに出版業を利用している」という構図だが、そういう社会の一面に詳しくない人から見れば、「わぁ、プロ作家がネットで匿名から名誉棄損を受けている、嫉妬だぁ」と映るわけだ。

 ちなみに法の理屈上、匿名は誹謗中傷や侮辱をされてもリアルに影響がないので相手を訴える理由が作れない。

 

 これを計画的にやってる馬鹿と無自覚にやってる超馬鹿が、営利活動を名目に堂々と書き込めてしまうのがTwitterだ。面倒なことに、こちらが的を得た反証をしても、暴力的に曲解された意見がフォロワー達によって一瞬で広まり、自分がそういう主旨の書き込みをしたことに仕立て上げられる。それを「自分の意見とは違う」と言っても、少なくとも騒動の元凶として扱われてしまうから、謝らなければいけない空気が形成される。その頃にはまた関係のない人が流し読みして言及して「どっちもどっち」とか言い出す始末。相手の書き込みの問題点や不当性に意見をしても「お金儲けすると叩かれるわー」などと馬鹿の常套句を言って論点をずらしつつひたすら被害者を装う。

 自分の意見を支持してくれる人であってもこの点で言えば敵でしかない。こちらが大人な言い方をしているのに乱暴な物言いをする賛同者がいると、そいつらの暴力性も総意として見られてしまう。

 

 私は一人の社会人として、こういう渦の中に入ろうとは思わない。戦争したい奴らだけでやり合えばいい。

 

 こういうネットのもちゃもちゃを考えた後は、必ず意識することがある。

 平穏に暮らしている私の友人は、ネットのSNSを全然していない、と。