発達障害考察ブログ HYOGOKURUMI.Scribble

言葉は嘘をつきません

近況の話:考察本2の内容と新活動名「平極ルミ」

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 三ヵ月ぶりに記事を書くぞ。

 

 

 発達障害考察本の販売点数をみたら250冊を超えていた。流石に出版時の勢いは面影もないが、今も大きな間を空けずに売れ続けている。そのほとんどがこのブログからのアクセスなのだが、更新を止めてから全盛期の10分の1ほどにまで落ちたアクセス数でも、こうして人の目に留まって誰かがポチってくれているのは素直に嬉しく思う。

 私の本は商業出版のような、不特定多数に読まれてなんぼのものではなく、薬のように必要な人の手にだけ渡れば良いものなので、今のペースで静かに広がってほしいと思う。

 

 今回は考察本2制作の進捗について話す。

 9月末に制作告知をしたが、実のところリアル仕事の資格勉強中の身であり、ほとんど手を付けられていない。その代わり、内容の筋となる要素について頭の中でまとめていた。

 本書の内容は制作告知で紹介したブログの考察記事をなぞりつつ、「発達障害の症状と依存症の類似点」「意識はシラフだが脳は酔っ払い」「自分と社会的意識の境目」が話の落としどころとなるだろう。

 

 

発達障害の症状と依存症の類似点

 これはブログの考察記事でも指摘したとおり、発達障害の症状と依存症に見られる症状がよく似ており、症状の改善方法や対処法を考える上で、依存症の方で培われたノウハウが流用できるというもの。発達障害が依存症であろうがなかろうが、当事者はその悲惨な境遇上、意識の中に何かしらの依存的意識を抱えてしまうし、発達障害に詳しくならなければいけない現状はよくないので、この考え方は広まっていいと思う。

 

意識はシラフだが脳は酔っ払い

 依存症との類似性が理解できれば、発達障害という境遇について、より万能で応用しやすい捉え方を感覚的に備えることができる。それが「意識はシラフだが、脳は酔っ払い」という脳の組み合わせだ。発達障害という状態は脳がポンコツと言われるように、意識は普通なのに脳がいうことを聞かないのである。その状態はまさに「脳が酔っ払っている」ような状態であり、当事者はシラフの意識のまま酔っ払った脳に振り回されながら生きている。ということは発達障害に対する対処は「酔った状態」を基準に考えても通用する部分があると言える。「発達障害への対処」というワードから考えるより比較的わかりやすいし、発達障害を知らない人でもその場の話に加えることができる。

 

自分と社会的意識の境目

 意識と脳を分ける話が理解できれば、脳内における、自分という「本能的な意識」と、成長過程で受けた教育から習得した「社会的な意識」の境目もわかるようになる。これは発達障害からの回復や予防だけではなく、生き方という概念や哲学そのものに踏み込む話だ。

 単純な例でだが、その境目を掴んでみよう。

 

目の前に開けてはいけない箱がある。その中には貴方の求めているものが入っていて、見たら絶対に欲しくなる。でもその箱は開けてはいけないし、見ることも叶わない。

 

 特に警戒せず無防備な意識でこの問題の場面を想像してほしい。普通は「箱を開けたい」と思うはずである。しかし「箱を開けてはならない」というルールを提示されている。

 この2つの意識はこのように分けられる。

  • 箱を開けたい気持ち:本能的な意識
  • ルールに従う気持ち:社会的な意識

 

 この箱の例は単純すぎなので本書で採用するかどうかまだ検討中だが、話を進めよう。

 

 この2種の意識は日常の様々な場面でせめぎ合っている。

 発達障害や精神障害者の意識をこの例で言うと、箱を開けたい方の意識が強すぎるか、社会的意識と混ざり合ってしまっているというのが当事者のイメージである。「社会的意識がない」というざっくりとした認識の方が当事者の実態に沿っていると思う。

 この識別基準はいろいろなテーマに使えるが、例えば「何が発達障害的なのか」とか「どのように考えれば社会的なのか」という、当事者が手探りで考えている概念的なところに言葉が届くようになる。

 

 あと余談。

 来未炳吾の活動終了に伴ってだが、考察本2は新しい活動名で発表するつもりである。新活動名は決定済みで、『平極ルミ』(ひょうごく るみ)という。

 新活動名はいくつかの案を出したが、発達障害は凸凹という比喩に対して、「平らを極めた」という意味を込めたこの名前が一番好きになった。あと「来未炳吾」(くるみひょうご)の苗字と名前を入れ替えただけなので、「hyougokurumi」のアカウント名やドメイン名もそのまま継続利用できる点も都合が良い。

 

 平極ルミの活動内容は考察本2を出すということ以外なにも考えていない。なぜ来未炳吾の方で出さないことにしたのか、そういった心境については本書の中で書こうかな、と思う。

 

 次回は年末頃にでも。