御アクセスありがとうございます

当ブログの発達障害に関する記述は当事者の体験に基づく考察です。ご了承の上でお読みください。

発達障害考察ブログ HYOGOKURUMI.Scribble

言葉は嘘をつきません

【2020年版】発達障害特性の説明その1:「シラフの意識」と「酔い潰れた脳」の組み合わせ

 発達障害の特性を自分で考えたり人に説明する時には、昔からパソコンや車など別のものに例えられることがありました。中枢神経や脳の働き方など医学知識ベースの説明からでは、日常の困難との因果関係が想像しにくいからです。脳のドーパミンのなんとかと、ケアレスミスをしてしまう現象を結びつけるには相応の想像力が求められます。

 当事者にとって、発達障害のわかりやすい説明を追及することは人生を左右する永遠の課題であり、長年続けてきた私の考察もこの言語化作業が中心だったようなものです。

 

 今回の記事では、今の私自身の考え方を元にして発達障害の特性を説明します。尚、本記事の解説の内容は20年4月にKindleセルフ出版した『発達障害考察本2:心理校閲』が元になっています。

 

発達障害考察本2: 心理校閲

発達障害考察本2: 心理校閲

  • 作者:平極ルミ
  • 発売日: 2020/04/01
  • メディア: Kindle版
 

 

お断り

 本記事の内容は、巷の解説で見られるようなオブラートに包んだ優しい説明ではなく、実態を基準に考えたい人向けの内容です。血も涙もない内容ですので、精神面が弱っているなど感情に左右されている状態の人は読む時を改めていただくか、気を付けてお読みください。吐き気や頭痛などを心身の変調を感じた際は読むのを中断してください。

 

 

意識と脳の関係

 私たちは、楽しい時には笑ったり、悲しい時には泣いてしまったり、細かい作業をする時は集中したり、わからないことがあったら考えたりしながら生きています。それらの言動や思考、感情や感覚といった機能の制御は「脳」で行われているわけですが、発達障害者はこの脳の働き方が普通の人とは違うと言われています。 

 脳の働き方が違う。たしかにその通りですし、細かい説明をする上でも最初にそう言っておけば、後の説明が伝わりやすくなると思います。

 ただ私の説明はその点からちょっと違います。「脳」から「意識」の部分を分けて考えた方が実態に沿うからです。

 

「脳から意識を分ける」とは?

 私たちの意識には、自分の意思ではない意識が混ざることがあります。怒りや悲しみなど喜怒哀楽の感情が強まりすぎた時は、いつもの自分とは違う言動や思考をしてしまう時がありますよね。ほとんどの場合、それで人格上の問題に発展することはありません。感情の反応だけで言えば、それも自分として認識するのが普通です。

 しかし平常時ではない自分の言動や思考の中には、深刻な問題のきっかけとなる意識が紛れ込むことがあり、それは「自分の意識から生じた意思ではない」と疑ったほうがいいでしょう。「カリギュラ効果」の話から、その境界線を感じ取ることができます。

 

「このスイッチを押してはいけない。」

 こう言われると、「押してはいけない」というルールを理解するのと同時に、「スイッチを押してみたい」という意思がつくられてしまいます。それは人間の脳の正常な働きによるもので、心理学用語では「カリギュラ効果」と呼ばれています。

 同じ言葉を好きな人から優しい言葉で言われた場合や、嫌いな人から乱暴な言葉で言われた場合など、様々なシチュエーションで想像してみてください。どんな言われ方をしても、結局は「スイッチを押してみたい気持ち」は作られてしまうのです。

 もちろん自分の意思で「押してみたい」と思うこともできます。そう意識する前に勝手に作られた場合は自分の意思ではなく脳の反応であると疑うべきでしょう。

 この脳の働きを巧妙に悪用すれば、相手に何らかの契約を〝させてしまう〟ことも可能です。果たしてカリギュラ効果による判断を「自分の意思」だと言っていいものでしょうか。「スイッチを押したい」と思っているのは自分の意思? でも「スイッチを押してはいけない」と言われさえしなければ、「押したい」と思うことすらなかったわけです。大切な契約を交わす際は、特にそれが相手からの勧めだった時なんかは、慎重に判断されることをお勧めします。

 

やめたいのにやめられない

 カリギュラ効果と近接する話だと思うのですが、酒やたばこ、ギャンブルの依存的衝動も、自我とは異なる意識を認識する上でわかりやすい話です。「やめる・やらない」と誓っても、またやりたくなってしまい、どうしてもやめられない。これも脳の働きにより作られた自分の意識ではない意識のせいだと指摘できます。発達障害者は依存になりやすいとも言われていますね。

 

意識の全てが「自分」ではない

 このように、意識の中には自分の意思ではないものが混ざっており、それは脳の反応である、と認識することができます。自分の意思は「自我」、脳の反応からつくられた意識のことを、私は「偽自我」と呼んでいます。

 脳の働き方が違うという説明からでは、この「脳は他人」「意識とは別」という観点まで伝えにくいので、私はあまり使わないのです。

 スイッチの話と依存の話を例にしましたが、偽自我の混入はあらゆる場面で起きている現象であるとイメージしてください。意識の中に浮かぶものをなんでもかんでも「自分の意思」と認識するのは間違いです。脳は他人なんです。

 

 しかし、この「自我」という意識そのものだって、脳のどこかに形成されている働きの一つに過ぎないはずです。言葉で「脳と意識は別物だ」と言い、そう思うだけなら簡単ですが、実際どこまで認識できていれば合っているのかはわかりにくいです。

 というわけで、この自分という意識「自我」の〝位置づけ〟を、もう少し具体的にしてみましょう。

 

自我は依存症の副産物

 私たちが自分だと認識している自我は、生まれた時から備わっている概念ではなく、成長過程で形成されていくものです。その成長は脳の依存的な働きによるものであり、いわば「自我」とは依存症の副産物だと言えます。

 私たちは依存症のことをよくないものだと認識していますが、自我の基盤にあるのはその依存症である、というイメージです。身も蓋もない言い方をすれば、自我とは脳が勝手に作った別の生き物であり、それが私であり、これを読んでいるあなたなのです。

 ですから、自我も偽自我も同じ脳のどこかに形成されているにも関わらず、他人同士のような関係性になっているのです。

 

 余談ですが、依存症を改善すると、その依存と関わりの強かった記憶が不明瞭になるという心理現象を体験することができます。例えば煙草の禁煙に成功した後、煙草を吸っていた場面の記憶の映像を振り返ると、自分が煙草を吸っていない状態になっているとか、ギャンブルにはまっていた時期のことを思い出すと、ギャンブルをしていない場面の記憶ばかり思い出す、という感じです。

 

 ここまでが予備知識です。とんでも理論だと思われている方もいるかもしれませんが、発達障害の特性を説明する例えはどれも、「脳」のことを自分とは別物であるとして扱っていました。私の言ってることは要点としていることが他と違うだけで、別におかしくないんですよ。

 

 では、

  • 自我からみて脳は他人
  • 脳は別の生き物
  • 自我は依存症の副産物

 

 この3つを念頭にした上で、以下の本編にお進みください。

 

普通の人と発達障害者の違い

 ここからが本編です。

 普通の人と発達障害者の違いについてお話しします。

 

f:id:hyogokurumi:20200613201633p:plain

 

 普通の人は上記図のように、意識や状況と、脳のコンディションの整合性がとれています。

 左からみて、意識が平常時は脳も平常時ですし、イライラしてる時は脳もイライラしています。特別事情がなければ意識も脳も、周りの人に合わせることができます。

 もちろん人生いろいろありますし、普通の人にもいろいろいます。絶対的な法則とは言いませんが、多くの場合にこれができているので、大きな混乱はありません。

 

 次は発達障害者です。下記図を見て、フラッシュバックが起きそうなど、心身に変調を感じたら画面からすぐに目を離して休んでください。

 

f:id:hyogokurumi:20200613201652p:plain

 

 対して発達障害者は、意識と脳のコンディションの整合性が全く取れていないんです。しかも意識のコンディションや周囲の状況とは無関係に、脳は常に暴れているというイメージです。

 ですから当事者は「自分の脳に振り回されている感覚」と向き合いながら生きているのです。

 

意識の基準位置が違う

 自分の脳に振り回されている感覚について、更に踏み込んで説明します。

f:id:hyogokurumi:20200615195925p:plain

 まず普通の人から見ていきましょう。

 脳のどこかに水色エリアの「自我」が形成されていて、自我は社会性や常識などを担当する「静的な意識」としました。

 脳は感情や衝動などを担当する「動的な意識」とします。その脳の反応である偽自我の影響をピンクのエリアで表しました。

 その自我のエリア内に、★マークの「意識の基準位置」があります。ですから、偽自我の影響があっても、通常は社会性を基準とした思考ができるのです。

 

f:id:hyogokurumi:20200615195934p:plain

 対して発達障害の人は、偽自我の影響が強すぎて、「意識の基準位置」が偽自我の上にあります。ですから、平常時においても社会性を基準とした思考が難しいのです。

 逆に言えば、この偽自我の働きを弱めることが発達障害克服のポイントになるということです。その2以降でその話をします。

 

ほとんどの人は偽自我も自我と認識してしまっている

 「脳は他人」という観点は私自身、長年の考察の末に会得できた観点であり、誰でも認識していることではないのです。つまり当事者の多くは脳の反応である「偽自我」でさえも、自分の「自我」と認識しています。ですから、「自分はおかしい」と絶望する当事者がいる一方で、自分の衝動性を抑えず好き勝手に生きようとするエンジョイ勢とで分かれているのです。

 この観点を持っていると、「自我と偽自我」を分けて認識している人と、混合してしまっている人の見分けがつくようになります。

 

発達障害は個性ではない

 これが巷で「発達障害は個性」と言われている特性の真相です。単に自我は脳の依存的働きによる産物であり、発達障害の特性だと言われている特徴は、脳の反応(偽自我)に当たる部分なのです。

 個性といっても間違いではないように思いますが、少なくとも「社会性」は「自我」の方に形成されますし、「個性」も社会的に認められる範囲でないと困るはずです。脳の反応はその規格に沿う性質のものではありませんので、発達障害を個性としてとらえることは、配慮が前提でないと難しいと私は考えます。「個性だから配慮する」ではなく、「配慮があるから個性ということにできる」という感じですね。積極的に個性だと思う必要はありません。

 

「シラフと意識」と「酔い潰れた脳」の組み合わせ

 私はこの、自我と偽自我の整合性が取れていない関係性を、「シラフの意識と酔い潰れた脳の組み合わせ」と説明することがあります。いきなりお酒の話が絡んできたわけですが、意識だけがシラフで、脳だけが酔い潰れた状態だと認識することで、当事者の境遇だけではなく、予防や改善のことがとても考えやすくなるんです。

 

 発達障害の症状に振り回されている人は、こんな悩みを抱えながら生きています。

  • どうしてあんなことをしてしまったんだろう
  • なんであんなこと言ってしまったんだろう
  • なんで気づけなかったんだろう

 などなど

 

 やってしまった時は確かに自分の意思でやっていたはずなのに、周囲から注意されたり怒られたり、時間が経ってから振り返ると、それを「やってはいけない、やるべきではないこと」が理解できるのです。ですから、やっていた時の自分が自分ではなかったように感じられるのです。

 失言も同じです。言っていた時は自分の意思だったのに、後から振り返るとまるで自分の考えではなかったように感じられます。

 ケアレスミスなど気づけなかった系の現象も同じです。何度も同じミスをしているのに、そのケアレスミスを起こした瞬間の記憶はいつもありません。いつも通り、教わった通りやったはず」という、ぼんやりとした記憶が感じ取れるだけです。防犯カメラなどがあれば確認したくなるほど、記憶と現実との整合性が取れないのです。

 これ、酔っぱらっていた時に起きることと同じですよね。 

 

 この「自分がしたようでそうではない違和感」を抱えながらも、自分の言動がやったことは全て「自分が原因・自分の責任・自分が悪い」と思い、それを現実として受け入れながら生きている。それが発達障害者の境遇なのです。

 

 次回その2ではこの酔った脳の例えを前提にして、発達障害という境遇の考え方についてお話ししようと思います。

 読了ありがとうございました。

 

関連情報

その2

 

ツイート版

 

  

宣伝

 私の発達障害考察の全てはKindle本にまとめました。

 下記ページもぜひお読みください。