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発達障害考察ブログ HYOGOKURUMI.Scribble

言葉は嘘をつきません

2019年5月3日 1,000,000PV達成

06:犬を捕まえてきて 4/僕と彼女のカーニバル(加筆修正版)

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前:05:犬を捕まえてきて 3/僕と彼女のカーニバル(加筆修正版)

 

06:犬を捕まえてきて 4

 神楽の住むマンションに戻った僕は、公園の水飲み場で手を洗ってからひとまずベンチに腰を下ろした。ここまでずっと歩き通しだったので、流石に疲労を感じてしまった。傍らのナップサックの中には、ビニール袋で包んだ狼の脚が入っている。なんとなく触ってみると、袋越しでも体毛とその奥にある肉や骨の存在を確かめることができた。

 僕はついさっきまで、雑木林の中でこいつと戦っていた。そして途中から……ぼんやりとしか思い出せないしうまく言語化できないけど、僕は何らかの戦闘技術を用いて、この狼に致命的なダメージを与えたのだ。自分が行った攻撃なのに、自分の意志ではない奇妙な感覚――僕はもう一度、あの感覚を体験したいと思った。

 

 公園のベンチにいることを神楽にメールで伝えた。数分程して彼女が現れた。

「ごくろうさま。犬はどこにあるの? その袋の中?」

 若干口調が早かった。神楽は早く犬を手に入れたいようだ。僕は「はいよ」と言いながら約束の品が入ったナップサックを差し出した。

 神楽は袋を手に取ると、口を開けて中を覗き込んだ。

 すると、顔を上げた神楽は満面の笑みを浮かべていて、直後に抱きついてきたのだ。

「ありがとう! すごく嬉しい!」

 その想定外の反応に、僕の頭は真っ白になってしまった。背中に手を回すこともなく、固まったまま放心した。何も考えられなかった。ただ、密着した体の感触だけを認識していた。神楽の体は僕より小さくて、柔らかくて、ちょっといい匂いで……上手く言えないけど、「守りたい」と思ってしまった。

 

 気がつくと、神楽が口元をおさえながら笑っていた。

「な、なにがおかしいんだよ」

 自分でそう言った直後に、これは自分らしくない反応だと思った。生まれて初めて、後のことを考えず反射的に言葉を出した気がする。もしかしたら、僕の声はちょっときょどっていたかもしれない。

「だって、そんな表情をする人だなんて、ぜんぜん思わなかった」

 自分はどんな顔をしていたんだろうか。

 想像したら、なんだか無性に笑えてきた。

 僕らは少しの間、一緒に笑い合った。

 

 可笑しな気持ちが落ち着いたあたりで神楽が言った。

「ところでこれ、犬種は?」

「おおかm……いや、ハスキーに似ている犬だったよ」

 話がややこしくなりそうなので、狼のことにはもう触れないでおくことにした。

「ふぅん……ま、いいか。じゃあ早速、夕食にしましょう。あなたもお腹空いてるでしょう? 一緒に――」

 神楽はそう言いながら僕の手を引いた。ちょっと待てと、僕は心の中で言った。

「神楽……せっかくだが、最初に確認したはずだ。僕は捕まえるだけだと。だから、気持ちだけ、もらっておく」

 神楽の表情から笑みが消えた。

「そう……だった」

 神楽が手を離した。

「すまない」

 僕は視線を落としてそう言った。正直な気持ちを表した動作だった。

「気にしないで。でも、いつかお返しさせてもらうから」

 僕は力を抜いた笑みを作って言った。

「うん。楽しみにしている」

 

 この日はそれで終わりのはずだった。でもこの時の僕は、どうかしていたんだと思う。じゃあまたね、と言って立ち去ろうとした彼女を、僕は後ろから抱き締めてしまった。それから「ごめん」と、なにか言わないといけないような衝動に駆られて、意味不明な言葉が出た。

「……どうして謝るの?」

 小さな声だった。神楽の小さな指先が、僕の腕に触れている。

「なぜだか、こうしたくなって……」

 自分のことが制御できなくなっていた。恋人ごっこだったはずなのに、僕は本当に、神楽のことが好きになってしまったのだろうか。それとも、これはただの欲情なのだろうか。

 神楽のスタイルは良いと思うとか、この腕はずっと解きたくないとか――神楽を異性だと意識する気持ちばかりが無限に大きくなっていく。

 どうしても止められない。抑えられない。

 そうしたら、神楽はくるりと回って、こっちを向いた。

 そして、僕の頬にキスをしてくれた。

 

 

   ◇ ◇

 

 ふわふわとした気持ちのまま家に帰って、ただいまも言わずに自室に戻り、電気もつけないままベッドに体を預けた。体力的な疲れもあったけど、それ以上に頭の中を駆け巡る数多の感情が、僕の精神の中で踊り狂っていた。まるで心を改造されているような気さえした。

 でもその感覚に、悪い気はしなかった。

 仰向けになって天井を眺めた。頭を空っぽにしたかったんだけど、顔のようにみえる木目がいくつもあることに気がついた。あいつは田中くん、その隣は山田くん、少し離れたところに伊藤さん……アホか。僕はなんでこんなことを考えてしまったのか。ちっとも面白くないことだ。そのはずなのに、僕の心の中にはこんなくだらないことに笑っている自分がいた。

 これが〝喜び〟という感情なのだろうか。神楽にキスをしてもらえたこと、親しい異性ができたこと――たったそれだけの現実が、こんなにも嬉しいことなのか? ただの恋人ごっこだったはず、と何度も自分に問いかけた。

 じゃあこの感情のエンジンは、いつから動き始めたんだ。思い当たるのは、林の中で狼に手をかけた時だった。あの時も僕はこんな風にして、自分の中に生まれた謎の感情の正体を考えていた。あの力強くて解放的な感覚は、神楽と一緒に笑い合った時と同じものだろうか? 違う……キスをしてもらった時? それも違う……ただ、近いものを感じた。

 僕はスマホを片手に、ネットで〝喜び〟の類義語を調べてみた。そして出てきた言葉を頼りに、自身の内側からの反応を待つことにした。時間はそうかからなかった。最も強い反応を得られた単語。それは『優越感』だった。

 あの時、僕は狼に勝利した。一つでも行動選択を間違えていれば、僕は食べられていただろう。生還できたとしても、大怪我は免れなかった。でも、全くの無傷で倒すことができた。

 優越感――その答えには、客観的にも納得することができた。同時に、僕の中で渦巻いている大きな感情が、もう一つあることにも気がつけた。それは、神楽への想いだった。 ただ、彼女に対してはほぼ『欲情』に近い感情だと、この時はそういうことにおいた。だって、もし今、目の前に神楽がいたら、押し倒してしまいそうなほど、僕は彼女の体を欲していたのだから。どれだけ冷静を意識しても、その野性的な衝動だけは消えてくれなかった。

 

 夕御飯を食べても、妹と一緒にテレビをみても、パソコンでネットをしても、風呂に入っても……神楽に対する感情が僕を支配した。

 このままじゃ、気が狂いそうだった。 

 僕はスマホを手にとって、神楽にメールすることにした。時刻は午後十一時。まだ起きているはずだ。文章はどうする……なんて送る。いつものように質問するか? そうだよ、「脚はもう食べたのか」って聞けばいい。でも、今そんなことはどうでもよかった。勿論、後に確認するつもりだが。

 なんでもいいので、彼女の言葉が聞きたいのだ。

 

 悩んだ挙句、ようやく作れた文章は、たったの一言だった。

 その返事はすぐに来た。

 

『私も、大好き』

 

 僕はその返事をしばらく眺めた後で、メールアプリを閉じた。

 その時、一瞬だけ暗転したスマホ画面に映った自分のにやけた面を見てしまった。

 

 そして僕はまた、笑ってしまった。

 

 

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