前:14:カーニバル 1/僕と彼女のカーニバル(加筆修正版)
15:カーニバル 2
犬や猿と違い、人間はどこにでもいる。今日の帰宅道中だって、数えきれないほどの人間とすれ違った。でも、あの中の一人でもいなくなれば、事件となり、騒ぎになってしまう。だから必然的に、誰もその存在を知らない者が候補となる。
真っ先に思いついたのはホームレスだった。中でも単独行動しているタイプなら、いなくなってもすぐには気付かれない。運が良ければずっと気づかれないままだ。しかしリサーチが必要だ。一人でいるように見えても、もしかしたら生活困難者のボランティアと定期的に接点があるかもしれない。
ホームレスを対象とした場合について検討したが、相手は相応に体格のある大人であることを考慮すると、捕獲も、その後の処理も面倒に思えてきた。それに、なるべく綺麗な肉を贈りたい。以前、神楽は〝汚れていない肉〟がいいと言っていた。あれは清らかさや神聖な意味合いでの言葉だったのだろうけど、やはり衛生的な意味でもホームレスは相応しくないと思える。
駅のロッカーや、ゴミと一緒に捨てられた赤ん坊でも見つけられればいいのだが、発見は困難だろう。
有力候補が2つとも駄目そうなので、対象範囲を広げて考えることにした。
精神面の純粋さや清らかさは大人になれば失われていくもの、と考えれば、子供はその範囲に含めてもいいと考える。つまり、思春期以前の子供。これなら彼女も満足してくれるだろう。
しかし、子供となると大人以上に難易度は高いと言える。子供は身元が明らかであることを前提に考えなければならない。それなら、家出や失踪中の子供なんてどうだろうか。渋谷や原宿辺りの繁華街をぶらつけば、小中学生だって、みつけるのはそう難しくない。
適当に声をかけて、人気のないところまで連れ出せればあとはどうにでもなる。遺体の処理は神楽に任せればいい。この場合、運搬がネックとなるだろう。車でもあればいいのだが、僕はまだ高校生だし、共謀してくれる大人の知り合いもいない。
しかし、この案も――あれこれ考えたが、どんな方法を考えても、自分自身が行動することによって現実的なリスクが付きまとう。仮に一切の証拠を残さずに実行できたつもりでも、警察は僕を疑うところまで辿り着く。そんな気がしてならなかった。
誘拐されて殺された子供を見つけられれば楽なのに。欲を言えば、バラバラにされて森や林の中に遺棄されているパターンだ。それなら体の一部を頂いても、動物が食べたとみられるのが自然な判断だ。特別な痕跡でもない限り、第三者の仕業だと疑われる可能性は低いだろう。
わかっている。そんな都合のいい状況がそこらに転がっているわけがない。打つ手無しだ。それでも、僕は諦めきれずに考え続けた。神楽に対する想いだけが、僕を動かしていた。
◇ ◇
捕獲計画は少しも形にならないまま、時間ばかりが過ぎていった。そして、神楽の誕生日まで残り四日となった、その日の夜だった。
「あら、近いわね」
母の言葉を追い、テレビを見る。河原にブルーシート、パトカーや警察関係者、野次馬……そんな光景が映されていた。今日の夕方頃の映像のようだ。
表示されている町名は、神楽が住んでいる町だった。
『――遺体の損傷は激しく、野良犬などの動物に噛まれた痕が多数見られるものの、鋭利な刃物で傷つけられた箇所も確認できることから、警察では事件事故の両面で捜査を開始すると共に、身元の確認を急いでいます――』
僕は自室に戻ってパソコンで、事件について調べることにした。
ネットで検索をすると、警察が到着する前に遺体を見ることができたという、通りすがりの人の書き込みをみつけた。いわく、遺体はバラバラ、顔はぐちゃぐちゃ。体つきからみて十代後半か二十代の男。衣服はその周辺に散乱していたらしい。体のあちこちには、野犬か何かの生き物に食い荒らされた痕があった。ただ、腕や足の切断面は食いちぎられたのではなく、刃物で切断されたように見えたという。
自然死だとは思えない。十中八九、人の意思で行われた殺人だ。しかし何故あんなところに? ニュース映像を見た限り、背の高い草木が生い茂っている場所のようだけど、まるで隠す気が感じられなかった。あんな場所に遺棄するくらいなら、もっと都合のいい場所はある。
彼女ならどう思うか、聞いてみることにした。
『ニュースみたか? そっちの街の川原で食害事件が起きたようだな。まさか犯人はきみじゃないだろうな』
しかし、神楽からの返答はなかった。
この日はおやすみのメールもなく、夜に真っ黒い画像が添付されたメールが一通、送られてきただけだった。画像だけでメッセージはなし。僕は誤送信だと思った。画像の選択を間違えたのか、写メールかなにかを送ろうとして、操作を誤ったんじゃないかと。
翌日も午前中に神楽へ電話をしたが、何度かけてもでてくれなかった。僕は彼女のことを気にしつつ、午後になってからあの事件現場へ足を運んだ。
◇ ◇
現場に着くと、ブルーシートの周りにはまだ数人の刑事や鑑識の姿があった。事件の手がかりを探しているのだろう。
ニュースでみた物々しい雰囲気とは違い、土手にはパトカーが一台だけあり、その傍を、買い物袋を持ったおばさんがのんびりと歩いている。もう日常に戻りつつあった。
僕は土手の上から事件現場を眺めてみた。
やはりわからない。犯人はどうしてあんなところに遺体を捨てたんだろうか。こういう場所のほうが逆にみつからないと思ったのか? たしかに、あんな深い原っぱの中にわざわざ歩いて入っていく人なんていないだろう。それでも、僕なら浮かんでこない工夫をして川の中に投げ込む。
犯人は普通の発想をしていない――そのイメージが神楽の影を臭わせた。もし神楽のような奴が犯人だとしたら、あの原っぱに遺体を捨てた理由なんて、特にないんだろう。あの場所で捕まえて、あそこで食べた。食べ残しは放置した。きっと、それだけだ。
刃物で切ったのは、食べ易い大きさに切り分ける為か? 野良犬は勝手に群がってきただけ……いや、自分の歯形の痕跡を消す為に、誘き寄せて食わせた可能性もある。
また神楽に電話をかけてみた。けどやっぱり、コールはなるけど電話に出てくれる気配はない。
◇ ◇
川原を後にした僕は、その足で神楽のマンションまでやって来た。
まずはエントランスのインターホンパネルから呼び出してみる。が、やはりというか、応答はなかった。その時、ちょうど人が出て行ったので、自動ドアが開いている間に、僕は住人を装って通り抜けることができた。
次は神楽の部屋のインターホンを鳴らす。反応はない。玄関の鍵はちゃんとかかっている。ドアに耳をあててみたが、物音一つ聞こえない。一体、神楽はどこへ行ったのか。
神楽は僕を信用している。だから、僕からの達成報告を待てずに人を襲った可能性はないものとしよう。
彼女はほぼ毎日、街中で死んでいる動物の写メールを送って来た。そのことから、彼女は動物の死体を探知できる異能力か、その手段を有していると考えられる。その方法がもし、死骸が放つ腐乱臭だとすれば?
死臭を辿った先で犯人と出会う――ありえると思う。そして捕まってしまい、監禁されて身動きがとれないとか。
普通なら考えすぎだと思うところだが、今は神楽からの依頼を受けた後だ。何が起きても不思議ではない。
こうしてあれこれ考えている間にも、ここの住人が通路を通って行った。女子高生が一人で住んでいる部屋の前で、男の僕がうろうろするのもまずい。ここは諦めてマンションを出ることにした。
エレベーターの中でスマホが震えたが、神楽からの返信ではなく、関係の無いメールが一通届いただけだった。
◇ ◇
マンションの公園に来た。一応、周囲を見渡す。神楽の姿はなかった。 そしてあのベンチに座ってまたスマホを取り出した。神楽からのメールはない。
さっき届いた通知は無料広告メールだった。僕も彼女も使っているフリーメールサービスで、利用していると月に何度かこの鬱陶しいメールが届く。有料利用にすれば広告は届かなくなるらしい。
そういえば神楽はパスワードを変えたんだろうか。僕は神楽のパソコンの設定をした時に見た、IDとパスワードを覚えていた。
悪い……と思いつつ、彼女のメールアカウントでログインした。今回の失踪の謎を解く情報を探す為だ。
受信箱には未読が1件あり、それはさっきの無料広告メールだった。気になったのは、その次のメールだった。
≪件名≫
カーニバル同好会のクロウです。
≪本文≫
クロウです。チャットルームではどうも。早速ですが集合場所と時間をお伝えします。
・待ち合わせ場所、時間:ご指定の喫茶店 14時00分集合
当日は私とカグラさんの他、さっきチャットルームにいたハナコさんも初参加なので、3人で一緒に会場に向かいます。
今回は全国から集まったカニバリズム愛好者が20名ほど集う予定です。
注:カーニバル同好会は秘密組織ですので、当会の存在や、当同好会に参加することを、ネットに書き込んだり親しい人を含め、誰かに話たりしないでください。
このメールに対する彼女の返信を読む。
『カグラです。わかりました。では明日、楽しみにしています』
なんだ、このメールは。カーニバル同好会? カニバリズム愛好家? どうやら神楽はチャットルームで知り合った人に会いに行って、得体の知れない同好会に参加したようだ。それも昨日、神楽からの連絡が途絶えた日だ。
僕はすぐにスマホのブラウザを起動し、カグラが出入りしたチャットルームを探してみた。けど、このやり取りがあった場所は見つけられそうになかった。〝カーニバル同好会〟でも調べてみたが、一般の祭り関連のサイトが大量にヒットする為、活動サイトを特定できそうになかった。
その内に、自分の行動が無意味であることに気がつく。落ち着け、使用毎に作成するタイプのチャットルームなら今頃は消えているだろうし、掲示板じゃないんだから、ログだって残ってないかもしれないだろ。同好会のサイトだって、作られていないのかもしれない。
ただ、ひとつだけ当てはあった。
待ち合わせ場所の〝ご指定の喫茶店〟とは、ジパングのことだろう。
◇ ◇
カニバリズム――これは、「人食い」を指す言葉だ。
以前、神楽が汚れていない肉を欲した時に少し調べた。それまではこの言葉を聞いても、精神異常者の犯罪事件を連想するくらいだったけど、人類は歴史の影で、人を食っていたことを僕は知った。人間とは、共食いができる生き物なのだ。神楽がその同好会に興味を持った理由は考えるまでもない。彼女も人食いに興味を持っているからだ。
ジパングに着いた僕は、席にも着かずマスターに向かった。
「いらっしゃい。やぁ、きみか」
「突然すみません。昨日、ここに神楽が来ませんでしたか?」
「…………たしかに来たけど、それが、うかしたのかい?」
予想通りだ。ここで間違いないだろう。
しかし、マスターが客のプライベートをべらべら話すタイプだとは思えない。今の返答にも沈黙があったし、僕はこの人とはまだ距離のない関係を築けてはいない。かと言って、このままなにも聞き出さず帰るわけにはいかないんだ。
「……えっと、詳しくは話せないのですが、僕は彼女のことを、とても心配しています。だから、昨日のことを教えてほしいんです。どうか……お願いします」
僕は頭を下げた。それが精一杯だった。
マスターは黙ったまま視線を落とした。それからパイプをくわえて、煙をくゆらせた後に話をしてくれた。
「……珍しく、神楽ちゃんがカウンターに座ったかと思ったらね、今日は3人で待ち合わせだっていうから、私は少し驚いたよ。しばらくして、女性が一人来たんだ。二十歳前後にみえたかな。二人でカーニバルがどうとか、どこかのお祭りの話をしていたみたいだね。そのあと女性の方の携帯電話が鳴って、二人でお店を出て行ったよ」
ここに来た女性はクロウ? ハナコか? いや、わからない。どちらにせよ、二人で店を出た後は会場に向かったと、そう推理するのが妥当か。
「私が知っていることはここまで。お役に立てたかな」
「……ありがとうございます」
僕は礼を言って店を出ようとしたら、踵を返したところでマスターに呼び止められた。
「ちょっと待って」
「はい?」
「最近の神楽ちゃんは、明るくなった。きみと一緒に店に来た頃から、なにかが変わったと僕は思っている。あの子に親しい友達が出来たのなら、それは僕個人的にも嬉しい限りだよ。もしあの子が困っているなら、きみが助けてやってほしい」
僕はどう返事していいのかがわからず、無言のまま頷きを見せて、それから店を出た。
マスターの言葉には一片の不服もない。ただ「わかりました」とか、そういう感じで返答する話ではないと思えた。なんとなく、マスターから何かを託されたように感じる。その正体はわからなかったが、数日前に母さんから「あんた最近、明るくなった?」と聞かれた時のことを思い出した。