第1話の掲載からだいぶ日が経ってしまった。
これを書いている今、スロ界隈では「アナザーゴッドポセイドン」という糞台が話題である。最近は新基準台の話題をあまり聞かなかったのだが、この台の評判を聞いて、スロットはもうオワコンである事を改めて認識することができた。
【第2話】少しずつ膨らんだ射幸心
深夜のデバッグ週5日出て得られる一ヵ月の報酬は、13万円程度。たしか時給は950円で、8時間から休憩60分を引いて実働は7時間だったか。
固定ではなく仕事がない日もあるので、平均すると11万円前後だったと思う。そんな私にとって14,000円というお金はそれはもう大変なお金だった。
このお金の使い道として考えた事は、「もっと打てる、勉強ができる」ということだった。当時の私は仕事の知識を欲していた。つまりはパチンコやパチスロの知識だ。ただ、攻略雑誌は書いてある事がよく理解できなかった。障害特徴のせいだったのか、今となっては定かではないが、用語の意味はわからないし、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた文字を行を追って読む事はとても苦痛で、とにかく大変だった。だから、他の先輩デバッガーたちに追いつくには、とにかく打って打ちまくって、雑誌の内容が理解できるレベルまで経験値を得る事が近道だと考えていた。
休日に、3000円だけ打ったら帰るつもりで近所のパチンコ店に行き、そしてその一回で全てを使い切ってしまった。まごエヴァを2,3台はしごして打って、BONUSはレギュラーが1回あったか、ノボナ(BONUS無し)だったと記憶している。酷い結果だ。
14,000円が1、2時間で消えた。どうせあぶく銭。元々ない金。だからお金を失った事に対してはなんとも思わなかった。投資した2,000円も勉強代だと思う事にして、後悔もなかった。
だた、私の頭にはインプットされてしまった。……スロットは1万~2万円分のメダルを得ることに、特別な幸運を必要としないこと。……仮にマイナス2万円の状態でもちょっと勝てばすぐに取り戻せること……。
味を覚えてしまった私は、次こそ慎重に打とうという決意を胸に、毎月スロットに使っても良いお金を考えるようになった。そして、高校生の時にナンバーズ3をセットストレートで当てて3万円程度のお金を得ていた事を思い出した。
「宝くじだってギャンブルみたいなものなのだから、じゃああと3万円はギャンブルに使ってもいいか、もし負けてもプラマイゼロだし」
心の奥底では「もうやめろ」と訴えていた。でも既に私の頭はギャンブルの楽しさに犯されていたのだと思う。
こうして私はスロッターになってしまった。
プラス計上だった3万円はすぐになくなり、最初の投資だった二千円を取り返そうとしてさらにマイナスを重ね、あっという間に、ギャンブルトータル収支はマイナス1万円を突破した。
その頃に一度熱が冷め、スロットは打たなくなったと記憶している。当時は障害特徴克服を意識したコミュニケーション訓練で、オンラインゲームをプレイする事を重視していた。だから自然と意識を逸らす事ができたのだと思う。
それからの私は、ストーカー事件、発達障害の診察、歩き旅の決行……と、ギャンブルからは完全に離れたストーリーを送っていた。
それでも逃れる事はできなかった。
私の頭の中にはいつもどこかに、スロットの興奮が潜んでいた。