私は両親の自己破産を機に一人暮らしを始めた。その新しい生活の土地で選んだ仕事はデバッガー。発売前のゲームをチェックする仕事かと思いきや、業務のほとんどはパチンコやスロット筐体の動作チェックだった。どちらもやったことがない私はパチンコ攻略などの関連雑誌を読んで理解に努めるものの、内容がよく理解できなかった。そこで、実際にお店で打って覚えることにしたのだが、パチンコであたりを引く事は、まったく難しくないという事を覚えてしまうのであった――
【第3話】パチンコとの再会
親の自己破産、一人暮らし、 ストーカー、そして発達障害の診察――などのエピソードを経て、私は放浪旅を決意する。それが診断結果を得た2007年10月末の事だったと記憶している。放浪旅の決意にはある漫画との出会いも重要な契機となっているのだが、それはまた別の機会に話すとしよう。
アパートを引き払い、一旦実家に戻った私はそこで3~4ヵ月間、雇われ店長となった両親の勤めるレストランで働いた。そこで資金を稼いでから旅を決行した。
その放浪旅は一ヵ月で終了となり、5月から都内のゲストハウス生活を始める事になる。
ここまでに至る間も、パチンコやパチスロに熱中したという事はなかった。しいて言えば、旅中に残資金が少なくなった時にちょっと気になった程度。もちろん、負けた時のリスクが大きすぎるので真面目に検討したことはない。
一人暮らしを始めてから、デバッグスキルをもっと上げる為にと、一時の間だけパチンコを打ったエピソードを第2話で話したが、本当ならあれで終わっていたのだろう。
しかし、ゲストハウス生活を始めた私はまた、パチスロにのめり込んでしまう事となった。なぜそうなったのか、その理由を最初に言っておこう。
それは私がまた、デバッガーの仕事に就いたからだ。
リベンジ! デバッガー
旅の残資金ではもう翌々月分の家賃が支払えない状態だったので、ゲストハウス暮らしを始めた私は入居してすぐ、求人情報を漁った。
放浪旅をした事で、私の精神面は最高のコンディションとなっていた。自分が発達障害であるかどうかなんてもうどうでもよかった。心の迷いが晴れた今の自分の状態で、もう一度デバッグの仕事にリベンジしたいと思っていた。
そんな事を考えながら「デバッグ アルバイト」などのキーワードでネット検索をしていると、一人暮らしをしていた頃に勤めていたデバッグ会社の支社が、都内にもあることを知った。さらに、同じ仕事のスタッフを募集していることもわかった。
私はすぐに連絡をし、数日後に面接を受けた。そして無事、スタッフとして登録された。この会社のチェックスタッフは雇用ではなく登録制(請負)。面接時の印象や履歴書の内容に懸念がなく、元経験者というのであればまず問題はない。
――全く記憶にないのだが、当時の日記によると、この面接の日の帰り道に、私はゲームセンターとパチンコ店でパチンコを打っている。仕事の勘を取り戻しておこうと思ったらしい。
ゲームセンターで3000円使い、それでは満足できずパチンコ店の方にも足を運び、そこでマイナス12,000円やられたようだ。一時的にプラス2000円になったようだが、その後熱くなって12000円飲まれたという流れのようだ。
それが5月16日の事で、6月5日の日記には「昨日は久しぶりのパチンコで気が立っていた」と書いてある。つまり6月4日、仕事の帰りも打ちに行ったわけだ。そして6月28日の日記は「ここ数日はパチばっかり行ってたよーな。いかんいかん(笑)」という出だしから始まっており、25日~27日分の日記が書かれていない。帰宅後に書く時間がないほど遅くまで打っていたということか。
しかもこの時の自分は、故郷M県の友人から金50,000円を借りていた。名目は最初の報酬が貰えるまでの間の生活費だ。ちゃんと返したが、この時はまだ借りている状態だったと記憶している。
この頃の自分の金銭感覚はかなり弾けていた。心境もよく覚えている。
私は放浪旅で「大きな借金をつくってしまうほどの大きな事をやれ」と、自分を焚きつけていた。しかし現実はせいぜい、旅の資金20万円程度を使い果たしただけという、なんともしょぼい投資で終わってしまっていた。不完全燃焼のまま終わるのか、という感情が渦巻いていた。
その感情のぶつけどころが、この金の貸し借りだった。できれば人から金なんて借りたくない、でもそんな事で悩んでいてどうする? 必要な時に必要なだけ借りてやりたい事に投資すればいいじゃないか。そうやって、お金を扱えるようになればいいと、そんな風に大きく大きく考えるようにしていた。
この意気込み自体はいい事だと思う。
しかし問題は、その主な投資先がパチンコになってしまったということか。
そんな出だしで、私はまたデバッグの世界に戻ってきた。そこで私は、一人暮らしをしていた時以上に、この仕事ができるようになっていた。前のA県でこの仕事をしていた時は、はっきり言って役立たずだった。チェックの方針など、仕事の説明されても理解できない事があったし、精神的な疲労のせいか、毎日眠くてぼーっとしてたし、遅刻もなんどかしてしまった。
それなのになぜ、仕事ができるようになっていたのか。もちろん、ここまでに伝えている通り、一人暮らしを止めてからこの時までに、デバッグについて特別なスキルアップをしたわけでもない。
これは何よりも、人の会話の速度についていけるようになった事が大きいと考えている。「普通の人はこんなにも速い速度で会話をしていたのか!」と感動した程、歩き旅の前と後で、私の感覚は変化していたのだ。その違いを認識できたという事も重要だろう。
現場に新人がいれば、業務の説明を任される事もあった。何日か業務に出ただけで、周囲からはもう、そういう事を任せられる新人(元経験者)という評価の目を当てられていた事も感じ取れた。私が現場に来ないとやる気でない、とまで言ってくれた人もいた。A県でデバッグをしていた頃には考えられなかった事だ。本当に本当に、ここまで諦めずに頑張ってきてよかったと思った。
ただ、パチンコやパチスロに関する知識やその仕組みの事はわからないままだった。その点については他のスタッフとやりとりをしていても、どうしても自分の理解が遅れてしまう。
そして私は、このままではいけない⇒今の自分なら前よりも習得力が上がっている⇒また勉強し直せば今度こそ……と考えた。
やっぱり打って覚えるしかない!
この頃、雑誌やネットの情報もなんとなくだがわかるようになっていた。以前よりも文章を読む事が楽になったという感じだ。ただ、そうして得た知識を業務の中で活かす事ができなかった。
業務で見ることができるより資料には、一般には公開されない細かい設定値なども載っている。先輩たちはそれらの数値も参照してチェックに活用する。私はその話にほとんどついていけないか、後から補足的な説明をしてもらうことが多かった。
どうすれば詳しくなれるのか。周りの先輩に聞くと、やはり打って覚えたという。私自身もその必要性は感じていた。いろんな台を打っていろんな台の特徴を把握すれば、それだけでも仕事で活かせる知識になるだろうと。
パチンコやパチスロは一度遊ぶとなれば一万円以上の軍資金が必要だ。貯金もない状態で、そんな大金を投資することには抵抗があった。勝てなかった場合は投資分のお金を失うのだ。
でも勝てば何倍にもなって返ってくる。しかも大きな幸運が求められるわけでもなく、数千円から1万、2万円程のプラスならよくあることで、それは一日打つ事を考えれば誤差の範囲である。
ようは、熱くならず、勝っている時にやめればいい。
そこを徹底すれば大丈夫だ、と考えた。
日記を読む限り、ゲストハウス生活を始めたばかりの5月と6月は、まだ新生活の準備に追われていたようだ。読み落としでなければパチンコを打ちに行ったのは、面接当日の5月16日、6月4日、6月25日~27日だけなのだろう。
7月5日は注文していたパソコンも届き、創作活動も始まった。まだこの頃はそんなに没頭していないようだ……と思いきや、日記を読み進めると、7月11日にはパチンコを打ちに行った事が書かれている。7月13日、14日には1円パチンコを打ち、投資が少なくて済む事が嬉しそうに書かれている。この時点で新生活後の収支はマイナス30000円らしい。
7月16日には3000円負けたことと、やっぱり1円パチンコにするべきだったということが書かれている。18日と19日にも打ちに行って負けている。
かと思えば7月23日と24日はプラス報告で57,000円、こちらに来てからの負け分はほぼ取り返したと書いてある。
8月8日は「もう打たない」という彼女(現妻)との約束を破ってしまった事と、財布の中がサードインパクト、9月の給料日までぎりぎりの生活!と書かれている。
なのに8月28日にはもうパチンコへ行った事が書かれている。そして9月13日にはまた打ちに行き、この時は久しぶりにスロットを打って、投資4000円がプラス30000円になった事を興奮した様子で書いている。
そう、これが恐ろしいのだ。1万負けた、2万負けたとずるずると飲まれていったと思えば、ある日突然、数千円程度の投資が5万円、6万円になって戻ってくる。だから数万円程度の負けが全く怖くなくなるのである。
9月13日の日記にはこのような一文も書かれていた。
煙草の一件と連動して、「もう止らない、止めよう」は止めようということにした。
この時の私は煙草も止めることにも必死だった。この日は禁煙七日目達成となるはずの日だった。どうしても止められなくて、苦しくて、その苦しみに耐えるくらいならと、止める事を止める事にしたのである。その考えにパチンコの事も巻き込んだ。
自分まだ知識不足、能力不足という現実が私を睨んでいた。もっと仕事ができるようになりたいという純粋な気持ちは、いつの間にか「打つしかない」という強迫観念と化していた。
仕事で7~8時間パチンコやパチスロを打った後、仕事帰りに店に寄って、また2~3時間遊技する。時には閉店まで打つこともあった。
こうして、一日10時間かそれ以上、パチンコをする事が当り前の日常になっていった。