親の自己破産、一人暮らし、 ストーカー、発達障害の診察、放浪旅、ゲストハウス暮らし――などのエピソードを経て、私は一年と半年の間、東京を離れて三重に帰郷した。相方と一緒に暮らす為の貯金作りが目的なのだが、貯金の為のお金を使い込んでしまう――
【第7話 最終話前編】俺、もうスロやめたよ(本当)
結局、ほぼ相方の貯金を頼りに新生活が始まった。預金通帳の心許ない蓄えをみて、煙草もギャンブルも二度としないぞという誓い新たに立てたわけだが、引っ越してしばらくはそれどころではなかった。自営業なので各種手続きを自分でしなければならない。開業届けはどうする、営業許可証はどうする、帳簿はどうすると、仕事をしながらそれらの不慣れな手続き関連のことも把握する必要があった。誓いとは無関係に、打ちに行く余裕などなかったのだ。……年末までは。
・・・と書いたように、新生活が始まってから四ヵ月、最初に気持ちが緩んだのは年末年始だった。
この時、相方が2~3日の間、実家に帰省していた。私も挨拶に行くべきだったし行きたかったのだが、自分の仕事がまだ落ち着いていなかったので、初年度の正月は一人で過ごすことにしたのだ。
で、仕事帰りに設定緩んでないかなと思ってしまい、そのままスィッと体が入店してしまった。
認めざるを得なかった。ずっと我慢していたと。
この少し前、妻に80万円の借金を建て替え返済してもらっていた。引っ越した時点で40万、その後も仕事ことで増えた色々な支払いが、そこまで膨れ上がっていた。
毎月滞りなく返済していること、ギャンブルは二度としないこと、絶対に返すという約束をして借りた金だったが、「早く返さなければ」という気持ちの方が勝ってしまった。
そして私はひどい後悔に悩まされて、マイナス3万円という結果に、絶望した気持ちになっていた。翌日にプラス5万円で取り戻したものの、その2万円も翌日に突っ込んでしまった。最終的にはマイナス1万か2万ほど入れてしまったと記憶している。
妻が実家から帰ってきた後、私に正直に打ちに行ってしまったことを白状した。何度もごめんと言った。自分が心底情けなかった。
なぜやめられないのか
なぜ打ちたくなるのか
なぜ打ちにいってしまうのか
今思えば、この時が最初の「気づけたタイミング」だったのだと思う。
これを機に何かが決壊した。一日中パチスロのことが頭を巡るようになっていた。それが気にならないほど小さい時もあれば、他のことが考えられなくなるほど大きな時もあった。それが一日の間に天気のように私を襲う。ともかく、私の頭の中には常時何をしていてもパチスロのことが渦巻いていた。
流石に相方と暮らす前のように、毎日毎夜打ちに行ってしまうということはなかった。ただ、三ヵ月か四ヵ月に一度、どうしても抑えきれないビックウェーブが来ることがあって、こっそりと打ちに行ってはその日の夜に謝るということが繰り返された。
それの荒れた気持ちはこれ以上ないというくらい小さくなることはあっても、これを書いている今のようにゼロになることは絶対になかった。
心の中にいつもある異物感。
なにをどう考えても消えてくれない。
脳のどこかがおかしくなっていたことは強く感じ取れた。
借金完済!……!?
相方との暮らしが始まってから二年目、打ちたい感覚がどちらかといえば小さいままでいることのほうが増えてきた頃、私は自営を諦めて工場に就職した。自営の売り上げを、目標通りに伸ばすことができなかったのだ。
この決断の時、私は10数年ぶりに大泣きをした。いじめを機に自分の非定型を自覚してから、普通の人になるまで二度と泣かないと心に決めてたのだが、賢くないやり方だったろうけど、私は自分後からで開業届も出して、営業許可証もとって、青色申告用の帳簿を自作して、社会の中で商売という勝負をしたのだ。
今までは何かに失敗したり上手くいかなかったりしても、「ハンディがある」という意識や「相手が無理解」という意識がどうしても働いてしまい、何かと熱くなれることはなかったのだが、この時初めて「悔しい! 畜生! 負けた!」という気持ちが大きく膨らんだのだ。
それから私は工場勤めをしながら自営を副業規模に縮小して続けた。
そして一年ほどで、妻に建て替えてもらったら80万の借金をほぼ返済した。
ほぼ、と書いたのは、厳密には完済まで残り2万というところで、職場の同僚とスロットに行くようになってしまったからだ。行っていた期間は3か月ほどだった。
なんていうか、こう、同僚との付き合いというか、もうほぼ返したし、という気の緩みと言うか、何を言っても言い訳にしかならないのだが、この時は打ちにいくことにあまり抵抗がなかったというのが正直なところだ。
この時は神が宿っていたのか、毎週金曜はなぜかプレミアを引いて爆発しまくるという奇跡が起き、なんと一時的にプラス100,000円まで増やすことができたのだが、結局これがまた、地獄の始まりとなってしまった。
10万以上もあったプラス分、残しておけばよかったのに、プラス30万を目指して打ったあたりから急降下。プラス分は一瞬で消え、マイナス20万。残り2万で完済だった借金をまた増やしてしまった!
そのあたりで妻にその1~3ヵ月のことを白状した。
「自分の力じゃやめられない、治療施設へ入院するしかないのかもしれない」と話したが、「自分の力で止めないとダメだよ」と諭された。
もう「わかった」「頑張る」と言えるだけの自信がなかった。
自信がないまま私は言葉を重ねることもできず、不安を抱えたまま日常に戻った。
それから数ヵ月後に、私は工場を辞めることとなった。
工場に就職する際の就活中に、私は発達障害の診断を受けていたのだが、手帳の申請が間に合わず、グレーゾーンの立場で勤めていた。で、障害の診断を受けていることをカミングアウトした時から、同僚との関係がよくない方向に進んでいた。そうして募り募った小さな摩擦が、業務に支障が起きるほど大きくなってしまったのだ。
このあたりの話はまた別のエピソードで語るとして、ともかく私はまた副業化した自営を本業に戻すことになった。
以前本業でやっていた時の問題点を三ヵ月以内に改善できなければ、今度こそ障害者雇用で就活するという約束をした。その課題をクリアできたはいいのだが、気持ちが落ち着いたのか、また打ちに行きたくなってしまった。
工場を辞めてから四ヵ月後の二月。
私はまた、仕事先でパチンコ店に入ってしまった。
どうしても新台の偽物語が打ちたくなってしまった。
まぁ、いつものパターンだった。
どれだけスロットから距離をおいても、禁スロ期間は半年ともたない。
煙草は引っ越してから1本も吸っていないし、吸いたいとも思わない。
どうしてスロットの方はこんなにも止められないのか、わからない。
でも昔のように毎日って感じじゃない。
数ヵ月に一度打つ程度なら、健全な範囲じゃないのか――
そんなことを考えながらペシペシと打った。
そして投資がマイナス2万5000円を超えた頃に、私は席を立って店を出た。
3万円を超えたら5万円まで止まらない……それを恐れて私は中断したのだ。
帰路。車を運転しながら家に向う道中、今回は嫁になんて言って謝ろうか考えていた。
と、この時、いつもとは違う感覚に気がついた。「店を出ることができた」という安堵感。その現実がとにかく、ありえない出来事のように思えてならなかった。
2万5千円という投資金額は、昼間から打ってしまった時の投資金額としてみるにはあまりに少なすぎた。
それまで私はスイッチが入ってしまうと、お金がなくなるまで、絶対に帰ることができなかった。いつもだったら5万を超えて6万~8万くらい打ってしまっていてもおかしくはなかった。なぜ、帰ることができたんだ?
その次の瞬間、これまでのパチスロに関するエピソードが全て繋がった。自分がやめられなかった理由を理解することができたのだ。同時に私はこれでスロットをやめることができたのだ。
この日から一年と四ヵ月経つが、私はもう一度も打ちにいってないし、打ちたいという気持ちに悩まされてもいない。煙草を吸っていた時の自分の姿が、記憶が消えようとしているのだが、スロットを打っていた時の記憶も、思い出すのはこの記事を書いている時くらいで、少しずつ薄れている。
相方との生活を初めてから3年半、私が初めて仕事でスロットを打ってから8年が経った、ある日の出来事だった。