前話 <1> プロローグ
<2> 依頼
ハイウェイを下って一般道路から住居区画に入った。このあたりのエリアは戸建てよりも住居ビルばかりが建っているようだった。生活レベルは下級から中級クラスが想定できる。依頼人が住む住居ビルもありふれた外観をしていたが、エントランスの集合玄関がセキュリティタイプであるところをみると、依頼人には安定した収入があり、定職持ちであることが推理できた。報酬を踏み倒される心配はなさそうだ。
玄関のインターホンパネルからルームナンバーを押してコールすると、すぐに声が聞こえた。
「はい、どちらさまですか」
「スノゥ探偵事務所のエーテル・アークライトです。十五時からお伺いの約束をしています」
「ようこそ。少しお待ち下さい」
エントランスドアが開いた。玄関ホールを通り、エレベーターから依頼人の部屋に向かう。
◆◇◆
橘 ヨウコ――表札に刻まれた依頼人の名を確認する。ルームナンバーも間違いない。
インターホンを鳴らすとドアが開いた。玄関には笑みを浮かべた若い女性が立っている。自分と同じ二十歳くらいだろうか。表情の影にやや曇りがかったものを感じ取れたエーテルは、彼女が依頼人であることを直感的にも理解した。
「どうぞ、上がって下さい。靴は履いたままで結構です」
その声を聞いて安心した。やはり依頼人の橘だ。
時折、相手の声が電話の時と大きく違う場合がある。依頼主が正体を明かさないまま、代理人とやり取りをするパターンだ。気乗りしない面倒な依頼を持ってくることが多い。
廊下を通り、ダイニングキッチンの先にあるリビングに案内された。
ソファーチェアに腰かけると、橘が二人分のティーカップをテーブルに用意した。
「どうぞ、インスタントですが」
「頂きますね」
エーテルは一口分だけ味と香りを楽しんだ。
「……では、早速ですが」
「はい」
そっとカップを戻し、仕事の顔に切り替える。
「電話でお話した時は、ある事件の犯人探しを依頼したいと仰ってましたね」
「ええ、そうなんです。先月、シップ〝ブランク〟で起きた通り魔事件のことはご存知でしょうか。ニュースにもなりましたが」
「たしか、夫婦が公園で通り魔に殺された事件ですよね。娘だけが生き残り、犯人は今も逃亡中だったかと……」
犯人逮捕に繋がりそうな痕跡や目撃者がなく、迷宮入りがほぼ確定している事件。世間的にも、ありふれた事件という印象だった。
「その事件です……実は、あの事件の被害者であるミシェル・レオナードは、私の友人なのです」
順序だった説明にエーテルは安心した。橘は話す内容を事前に整理しているようだった。この依頼は楽かもしれない。ろくに依頼内容を説明できない客もいるからだ。
エーテルは相槌を打ちながら、手帳とペンを用意した。
「私は元は、シップブランクの住人なんです。ミシェルとは物心ついた時からの友達でした。仕事の関係で今はこのシップで生活をしているのですが、それでも月に一度は会っていたくらいで」
「とても仲が良かったんですね」
「はい。ご主人のトリシュさんから、『二人が結婚すれば良かったね』って茶化されるくらいで」
橘は、ややはにかんだ後で紅茶をまた一口飲んだ。
「……今は厳戒態勢も解かれてしまい、目撃者からの情報提供を待つだけです。このままじゃ絶対に捕まらないと思うんです」
険しい表情だった。エーテルも一旦は緩めた表情を仕事に戻し、率直な気持ちを返した。
「そうですね、このままでは事件の解決は絶望的だと思います」
橘は悔しそうに顔を歪めた。
「ですよね。それに、新たな犠牲者だってでるかもしれないじゃないですか……だから、どうしても私、諦められなくて」
「……友人を殺された恨み、ですか?」
依頼の動機、その核心を知っておくに越したことはない。
しばしの沈黙の後、橘は答えた。
「…………私はただ……このままなにもしないなんて、嫌なんです。二人の墓前にだって顔向けできません。子供の里親になろうとも思ったんですが、経済的事情から承諾されなくて、今は孤児院で暮らしています……」
孤児院――その言葉で、エーテルの脳裏に一瞬、自身の過去が蘇る。
「自分で犯人を捕まえたくても、ブランクはダーカーの襲撃を受けて一般人は立ち入り禁止になってますし……一介の会社員である私には、なにもできません」
彼女をここまで突き動かしているのはきっと、正義感や義務感なのだろう。膝の上で震える彼女の拳が、エーテルにそう思わせた。
「……わかりました。この依頼、お受けしますよ。だから、橘さん」
橘は顔を上げた。
「危険なことはしないで下さいね。私に任せて下さい」
エーテルは笑みを浮かべながら、自分の胸をポンと叩いた。
「はい、お願いします! ……あぁ、よかった。私、アークスで探偵職もしている女性を探してたんです」
「探偵稼業もしてるアークスは他にもいますが、なぜ女性だったのです?」
「えっと実は、これは数年前の話なんですけど、ハイスクールに行く途中のバスの中で、痴漢されたことがあって……でも警察は全く取り合ってくれなかったんです。その時の担当の人が男性の方で……それ以来、男の人をあまり信用できなくなってしまいまして……」
「そ、そうでしたか」
事件とは関係なさそうな話だった。
「――では、まずは事件のあった現場に行ってみます。そこで何か進展がないと正直、手詰まりなのですが……とにかく、そこから始めてみますね」
「わかりました。宜しくお願いします」
玄関で、橘は深々と頭を下げた。エーテルはその姿を目に焼き付けた。
これまでにも困難な仕事はあった。そして挫けそうになった時、自分を助けてくれたのはいつも、依頼人の姿だった。
◆◇◆
住居ビルを出て、フォトンバイクにまたがったエーテルは発進操作を行いつつ、インカムマイクに手を伸ばした。
「アイン、メンテ終わった?」
アインとはエーテルのパートナーである。情報収集や各種手続きなどのサポートをしている。
『ああ、少し前に終わったよ。依頼人の話もだいたい聞いていた』
「そう。じゃあ早速だけど、通り魔事件の情報、ざっとでいいから集めてくれる? それとブランク行きシップの手配をお願い」
『オーケー。アークスビル到着までにやっておこう……で、どうなんだい? 今回の依頼は』
「正直、まだなんとも言えないわね。いつものパターンなら絶望的」
『そうか。報酬がないと、また着ぐるみのバイトをすることになるぞ』
「わかってるわよ……」
この手の仕事の達成率は決して高くない。そういう意味では、浮気調査などは比較的においしい仕事であった。ターゲットが浮気さえ続けていれば、必ずどこかに依頼人の求める証拠があるからだ。
通り魔といった正体不明の相手や事件を追う場合、既に証拠が入手不可能だったり、犯人が死亡、あるいは、未開拓の宇宙領域へ逃亡している可能性もある。仮にそうであるとしても、その情報だって得られなければ、達成不可能な仕事に時間を費やすことになる。
依頼を達成できなかったとしても経費だけは請求するし、依頼主が望む限り、探索も続ける。が、今回またまとまった収入が得られなければ、以前にやった人気アイドルのイベント会場で働く着ぐるみバイトをまたやるハメになるだろう。報酬は安い上に、屈辱的な仕事であった。
アークスビルに到着したエーテルは手続きカウンターに向かった。
「はい、ご用件は?」
「キャンプシップ渡航よ。予約No.A207、シップ00ブランク。登録No.AA161エーテル・アークライト……個人航行、オートパイロットでお願い。目的は仕事、調査と探索」
仕事でシップ間を行き来するのはよくあることだし、むしろ探偵稼業がある分、彼女の場合は一般アークスよりも頻度は多いといえる。
受付の女性は淡々とビジフォンを操作した。
「……確認できました。それでは、ゲートへお進み下さい。良い旅を」
受付はいつもの担当者だったが、雑談を交わしたことや、表情を見せ合ったことはない。今までもそうだったし、これからもきっとそうなのだろう。メガネに反射したモニターの光が、彼女に無機質なバリアを纏わせていた。
通りなれたいつもの通路を足早に抜け、キャンプシップへ乗り込んだエーテルは、手馴れた手つきで発進チェックをクリアする。
今回のような仕事は珍しくはない。警察の手に負えなかった事件の尻拭いが、アークスや探偵に回ってくることなど、よくあることだった。
だから、これが自分の運命を知る旅になることなど、エーテルはまだ知る由もなかったのだ――
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絵師nukaさんの主な活動ページ
表紙と挿絵は絵師のnukaさんに描いていただきました!