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発達障害考察ブログ HYOGOKURUMI.Scribble

言葉は嘘をつきません

2019年5月3日 1,000,000PV達成

<十二> 夜行バスの人々(Kindle版)

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前:<十一> 夜行バスの人々(Kindle版)

 

<十二>

  一夜明けた朝。大垣は一人、外のベンチで空を見上げながら煙草を吸っていた。喫煙所の個室の中ではなく、外の空気に当たりながら吸いたい気分だった。

 百円ライターを持つ右手が少し痺れていた。前を向けば、視線の先には昨日、彼らと対峙した場所がある。あの時からずっと、この痺れが止まらない。

 いつもと違う指に挟んだ煙草は、違和感そのものだった。それでも味は、同じだった。

 

 背後から足音がした。

「おはようございます。こんなところで朝の一服ですか」

 そう言いながら細田が隣に座って、煙草に火をつけた。

「なぁ、昨日からよぉ、右手が痺れてるんだ」

「昨日って……あぁ、あれですか」

「人殴ったの、初めてなんだ」

 大垣がしょんぼりとしていた。自己嫌悪に陥っているようだった。

 元気を取り戻してほしい――細田はそう思い、自分の昔話をすることにした。

「……今の会社に勤める前、俺、ファミレスでバイトリーダーやってたことがあるんですよ」

「あぁ、聞いたよ。前に」

「その時に、新人で中年のおばさんが入ってきたんですけど、この人が全然仕事できなくて。最初は熱心に教えてたんですけど、あまりにもミスが多くて苛々してたんです」

「うん」

「ある時、厨房ですれ違った時に、その人に『どけ!』って言っちゃったんですよ。その日はすごく忙しかったのに、もたもたしてたのが気に入らなかったんです。でも次の出勤の時に、家庭の都合で退職したって店長から言われて……自分のせいだってすぐにわかりました。ショックでした」

 彼は大垣の右手を見た。

「その右手がちょっと羨ましいです。勿論、殴ったのは良くないことなんでしょうけどね」

「なんでそう思えるんだ?」

「僕には、なんにもなかったからです。自分は罰を受ける資格すらないのかと、そんな風に思えちゃって……。しばらくは、空しさとか悲しさだけが残りました。そのせいかな、立ち直るのに時間かかっちゃいましたよ」

 話を終えると、大垣は顔をくしゃくしゃにして、手で顔を拭っていた。細田がこんな自分の為に話をしてくれたことが、たまらなく嬉しかったのだ。

「もう、泣かないで下さいよ。今日は大変な一日になるんですから」

「……うん、ありがとうな…………」

 細田は涙を流す大垣を初めて見た。

 今のこの姿が大垣の素顔なのだと、彼は思った。

 

 起床した乗客たちは手分けして出発の支度を整えた。

 大垣、赤井、吉沢、東海林の計四名は今日、車に乗って東京方面に向けて出発する。

 昨晩の話し合いで、そう決まったのだ。

 

 ――大垣は夕食の後に、重要な報告があると言って皆をレストランに集めた。

「皆さんに報告したいことがあります。まず良い報告からです。車の鍵を手に入れました。建物裏手に停めてある車の鍵です」

 この時既に、車の特定も終えていた。四人乗りのセダンタイプの車だった。

 驚いてざわついた周囲の中から、志村が言った。「どこにあったんですか?」

「難波さんが見つけてくれました。……そして、残念な報告です。その難波さんと、彼と一緒にいた静原さんのことについてですが、お二人は、この場を去っていきました。……彼らは人が消えたことを知って、二人だけで生きていく決意をされたようです」

 そう聞いたわけではない。それは大垣なりに、彼らの意思を尊重した上での言葉だった。

 彼は重くなった空気を切って、話を続けた。

「……では、車の使い道について話し合いをしたいと思います」

 

 その話し合いで、車は大切な人の安否を確かめる為に使うことが決まった。つまり、自分たちのように消えてない人がいるかもしれない――彼らはその望みに賭けることにしたのだ。

 この無茶な計画は、乗客全員が関東近辺に住んでいたことで実現できた。安否を確認したい人の住所をノートに書き、探索メンバーに託すのだ。一人一件、ほとんどは自分の家族を指定した。

 東京へ行くメンバーは志願と推薦で決まった。まず、吉沢が真っ先に手を上げてメンバー入りを果たした。危険が大きいことを理由に、稲葉が辞退を促したが「女性が必要な場面もあるかもしれません」と言われ、皆が納得した。次に大垣と赤井が推薦で選ばれた。大垣はリーダーとして。赤井は唯一の事象目撃者だったから『重要なことを見逃さない人』という期待がかかっている。

 細田は東京に婚約者がいるから、絶対に行きたがると思っていたのだが、「大垣さんが行くのなら連絡番は自分しかいない」と、自ら居残りを宣言した。人がいたなど、探索先で大きな発見があった時は、携帯電話で細田に連絡する手筈となった。

 そして稲葉が手を上げようとした時だった。東海林が挙手をしたのだ。一悶着あったが、彼が四人目のメンバーとなった。

 ――自分たち三人が使う車を手に入れたい。しかし、駐車場にある車を使うとなると、他の乗客と揉めることになる。でも、他に探せるところはない。だから同行し、探索先で動く車を探したい……それが志願の理由だった。その考えには異論もあった。「そんなこと言わないで、みんなと協力しましょうよ」伊藤はそう宥めるように言った。が、志村は呆れ声で言った。「そこまでして、みんなと一緒にいるのが嫌なのかね?」

 東海林はそんな声を受けながらもただ一言、「お願いします」と言って頭を下げた。

 すると、田辺と笹木も立ち上がって、頭を下げたのだ。

 三人の気持ちが理解できた者はいなかった。それでも彼らの意志は尊重しようと、ただその一点の理由だけで、メンバー入りが認められたのだった。

 

 

   ◇ ◇

 

 車に食料を積み込んだ大垣は、一足先に車へ乗り込んだ。そして、何気無くハンドルを握った彼は、右手の痺れに気を取られて、また二人のことを想った。

 ――今頃、彼らはどうしているだろうか。どこへ、行ったのだろう……。

 途端、大垣は猛烈な後悔に見舞われた。落ち着いた今だからわかる。結局、自分は今までに溜め込んだ苛立ちを、彼個人にぶつけてしまっただけなのだ。

 それに、最も自分を逆上させたあの言葉――『自分たちが社会を駄目にしていることもわかっていない!』

 いま思えば、不自然だった。もう人間は消えてしまったのかもしれないこの世界で、社会などと口にするなんて、どこか彼らしくないように思える。

 ……いや、初めから彼の言葉は自分と細田にだけではなく、まるで大勢に問うような言い方だった。

 そう考えていくと、一つの答えが得られたのだ。

 ――彼は過去に同じ言葉を、誰かから言われたことがあるのではないか? 自分と重なるような奴から、吐き捨てるように……。

 

 つまり、あの時の言葉は、社会に対する返戻(へんれい)である、と――

 

「くそぅっ!」大垣はハンドルを叩いた。

 ……自分は彼のことをなにも考えていなかった……なにも知らなかったのだ! にも関わらず、自分はあの時、彼になんと言った!?

 考えれば考える程、自分のことが許せなくなった。

 

 気持ちが落ち着いた頃、コンコンと窓を叩く音がした。

「おっちゃん、みんな準備できたから開けて」車の外に立っていたのは東海林だった。

 大垣は運転席側にあるスイッチを押してロックを外した。後部座席に東海林と赤井が乗り込み、その後で、助手席に吉沢が座った。

 自分たちを呼ぶ声がして建物の方を見ると、乗客の皆が外に出ていた。大垣はサービスエリアを離れる前に、その見送りの列を一度、横切ることにした。

「お気をつけて。良い連絡を待ってます」

 細田はそう言って手を振っていた。その隣に、浮かない笑みの浅村がいた。浅村は探索メンバーを決める時に手を上げなかった。後で大垣が理由を聞いたら「夫が戻ってくるならこの場所だから」と言って、それからはずっとレストランから雨の降る外を眺めていた。

 彼女には夫がいる。それはわかっている。だからなんだ? とも思う。

 無事ここに帰ってこれたら、大垣は浅村に自分の気持ちを伝えることにした。どうやって伝えるかは、これから考えることにした。

 笹木と田辺も列の中にいた。あくまでも東海林の見送りの為だろう。東海林が二人に向けてピースをすると、強張った顔をしていた笹木と田辺も、笑みを作ってピースを返した。

 それを見た大垣は、少し元気が沸いてきた。

「……さぁ、行きますよ!」

 そう言ってアクセルを踏み込んだ。

 四人を乗せた車は雪を踏み砕く音を鳴らしながら、走り去っていった。

 

 雨の所為で雪がシャーベット状になっていた。大垣はスリップを警戒してあまり速度を出せないでいたが、四人は確実に東京へと近づいていった。

 しばらく走ってから、吉沢が自分の音楽プレイヤーをカーオーディオに接続して音楽をかけた。陰気臭かった車内に若者向けの明るいポップミュージックが流れる。大垣と赤井と吉沢は、好きな曲などの話で雑談をしたが、東海林はその輪に加わらず、窓から外の景色を眺めていた。

 一時間ほど走った先で高速道路を降りた。一般道路を少し進み、大きな交差点の真ん中に車を停めた大垣は、ドアを開けて外に出た。

 彼は辺りを見渡したが、喧騒は一切聞こえなかった。ゴォ……という、大気の音だけが響く町の様子が、無人であることを物語っていた。

「誰か、いませんかー!?」大垣が叫んだ。

 吉沢と赤井も車を降りた。「おーい!」「誰かー! 近くにいませんかー!?」

 東海林は最初、なにもしようとしなかったのだが、必死な三人をみて手を貸したくなった。

「ちっ……」

 舌打ちの後、彼は車内にあった雑誌を持って外に出た。そして、それをメガホン代わりにして叫んだ。

「おーい! 誰かおらんのか〜!?」

 大垣はクラクションを喧しく鳴らした。

 ひとしきり叫んだ後で、彼らはただ返事を待った。

 しかし、いつまで経っても、どこからも言葉は返って来なかった。

 

 人は消えた。

 彼らがその現実を受け入れるのは、もう少し先の話である。

 

 

   ◇ ◇

 

 難波と静原は愛知県にあるサービスエリアで再出発の支度を整えていた。

 二人は店内から日持ちする食料を買い物カゴ一杯に詰め込み、車のトランクまで運んでいた。

 運び終えたところで、静原が空を見て言った。

「今日は、いい天気ですね」

 少し暖かさを感じるほどの日差しだった。これが続けば、残っている雪もすぐに溶けてくれるだろう。

 空を見上げる彼女の視線を彼も追う。雪化粧に染まった純白の木々が、ずっと先まで続いていた。その向こうには、透き通るような青い空が広がっている。

「こんな風に綺麗な空を、子供の頃、家族と一緒に見たことがあるんです……わたしは今、お母さんやお父さんともう会えないことが、少し悲しいかなって思っています」

 静原は小学生の頃、家族とハイキングへ行った時のことを思い出していた。絵が好きな自分の為に、綺麗な空が見えるところへ連れて行ってくれたのだ。

 その二人も、もう消えているのだろう。

 でも、あの頃の父と母は、いつからか家の中からいなくなっていた。だから今も、自分の境遇はなにも変わっていない……そう思えてしまうことが、酷く悲しかった。

「難波さんはいま、なにを考えているんですか?」

 そう聞くと、彼は考え込んでしまった。

「……わからない。自分がいつもなにを考えているのか、よく知らないんだ」

「意外です。とても……これからの事とか、不安はないんですか?」

「別にないよ。静原さんは不安?」

「不安です。少し……でも貴方と一緒なら、大丈夫なんでしょう?」

 自分と共にいることで得られる安全度をどう説明しようか、彼は考えて答えようとしたのだが。

 彼女が駆け寄って、抱きついてきたのだ。

「どこにも行かないで。消えないで下さい。貴方に消えられたら、わたし、きっと……」

 難波は、自分を浅はかだったと恥じた。

「……俺は、消えたりしないよ。どこにも行かないから」

 静原のことを胸一杯に思い浮かべた。

 そして彼は、抱き寄せる腕に少し力を込めて、想いを伝えたのだった。

 

 その後、二人は外のベンチで軽く食事を済ませてから、また車に乗り込んだ。陽も高くなり、雪が柔らかくなったお陰で、走り難さはほとんど気にならなくなっていた。

 そこから一時間ほど車を走らせた先で高速道路を降りた。

 一般道路を走っていると、静原が犬をみつけた。動物をみたのはそれが初めてだった。人の姿はやはり、どこにもいなかった。

「やっぱり、人間だけか、消えたのは……外を出歩く時は動物に気をつけよう。犬や猫だって群れで現れるかもしれない。餌を求めてね」

 二人は街の様子をくまなく観察した。店舗の多くはシャッターが下りていた。人類消失の事象は、全ての場所で同時に起きたことを裏付けていた。あちこちに袋の破けたゴミが散乱していた。飼い主を失った動物たちが、好き勝手に徘徊していることが推理できた。

「動物はドアを開けられないから、食べ物はずっと大丈夫ですよね。コンビニとか、スーパーとか」

「いや、ネズミはどこにでも侵入するから、たぶん一ヶ月も持たないと思うよ。あとその頃には、肥大化したネズミやゴキブリが街を支配していると思う。街中に人が住める場所はなくなるだろうね」

「……じゃあ、電気は?」

「今の発電所はほとんどが無人らしいから、数日は大丈夫だと思うけど。そのうち機能停止すると思う。水道の水だって、いつまで出るかなぁ」

 彼女がため息を漏らした。

「どうしたの。嫌になった?」

「いえ、ただ自分の想像以上だったので……」

「まぁ、なるようになるって」

 そう気楽に構えて見せたが、彼女の表情は晴れなかった。正直に答えすぎてしまったと、彼は反省した。

 

 繁華街の大通りから外れて、住宅街の中を走る。その先にあった木造アパートの前で車を止めた。

 そして、難波は一人で車の外に出た。

「じゃあ行って来るから、少し待ってて」

「わたしも行きます」

「え? いいよ。そう時間はかからないから」

「ここで一人にする気ですか?」

 周囲にはなにが潜んでいるのかわからない。彼女の訴えは正しかった。「……ごめん、行こう」

 二人は雪解け水が滴る錆びた鉄製の階段を上がった。そして、二階の一番奥の部屋の前まで来た。表札には『高槻』と書かれている。

「ここだよ。さて、開いてるかな」

 ドアノブはすんなりと回った。

「無用心な奴だな……うっ」

 ドアを開けて室内に入った途端、ツンとした臭いが漂ってきた。それもそのはずであった。台所のテーブルには食べかけの食事、コンロのフライパンには、焦げた食べ物がのっている。夜食を作っていたのだろうか。

「あいつ、寝ないつもりだったのかなぁ。高槻とは早朝に、近くのファミレスで待ち合わせしてたんだよ」

「きっと楽しみだったんですよ。難波さんと会えることが」

 彼女はそう言いながら換気扇をつけた。室内にこもっていた臭いが少しずつ薄れていく。

「わたし、台所だけでも綺麗にしましょうか? こんなんじゃすぐネズミが寄って来ちゃいますし」

「うん、ありがとう。お願いするよ」

 そうして彼女は台所で皿洗いを始めた。彼も、このままにしておくことは嫌だったから、彼女が食器を洗っている間、室内の掃除をしようと思ったのだが……そこまですると、まるで遺品整理のように思えてしまったので、部屋の掃除はやらないでおくことにした。

 することが無い彼は、ちゃぶ台のある部屋にあぐらをかいて座った。

 そして、高槻の姿を思い浮かべた。

 

 ――高槻 東京での暮らしは 辛いことばかりだったよ

 みんな一生懸命に考えながら 必死に生きていた

 俺も負けないように頑張った

 でも 馴染めなかったよ

 

 俺はお前に二度 命と人生を救われている

 一度目はあの自殺の時で 二度目はこの間の朝 電話をくれた時なんだ

 俺さ どうしても許せない奴がいて そいつを人質にとって 国会議事堂に突撃しようとしてたんぜ

 そうすれば歴史に残るだろ

 きっと誰も 忘れないだろ?

 わけわかんないだろ 笑ってくれよ

 

 でも 俺だって必死だったんだ

 このままじゃいけない 誰かが怒らなきゃいけないって

 みんなそんな気持ちを抱えながら でも なにもできないまま生きている

 東京は そんな街だったよ

 

 お前が一緒に仕事をしようって誘ってくれた時 本当に嬉しかった

 お陰で 大切な人にも出会えたよ

 

 ……ありがとう

 それだけ、言いにきたんだ――

 

 

 立ち上がった彼は無言のまま、彼女の方を一瞥だけして部屋を出て行った。戻る合図だったことは彼女にも理解できた。

 彼が口を開けたのは、車内に戻ってからだった。

「……さてと、俺の用事は終わったけど。これからどこへ行こうか?」

 元気な声だった。良かった、と彼女は思う。

「ここって大須観音が近いんですよね」

「うん、近いよ。車で十五分か二十分くらいかな」

「行ってみたいな」

「いいけど、店はほとんど閉まってるよ? 人が消えたの、夜だったし」

「いいんです。せっかく来たんですから」

「ん、わかった。じゃあ商店街に行こうか」

 それから間をおいて、彼は付け加えるように言った。

「……時間は、いくらでもあるからな」

 

 しばらく車を走らせ、難波は商店街の入り口に車を横付けした。彼の言った通り、そこから見ただけでも、立ち並ぶ店の多くはシャッターが下りていた。

 車から降りた静原はそれでも、目を輝かせながら商店街の奥へと歩いていった。彼もそんな彼女の後ろを歩いていく。懐かしさで一杯の彼女を、邪魔したくなかったから。

 そのうち彼女は、子供の頃に旅行でここへ来た時の思い出を、楽しげに話し始めた。彼もその話を聞きながら、ここで遊んだ時の記憶を話した。

 そして、二人は手を繋いだ。

 殺風景な商店街を一緒に歩いた。

 

 それは二人にとって、初めてのデートだった。

 

次話:あとがき