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言葉は嘘をつきません

第1話 ≪ 出発 ≫ 夜行バスの人々(なろう版)

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第1話 ≪ 出発 ≫

 

 

 新宿駅を正面に構えるAビルの玄関付近では、夜行バスの係員が忙しなく受付に勤しんでいた。足早に家路を急ぐ人々と車道を走る車の喧騒が行き交う中、乗客たちは寒さを堪えながらバスの到着を待っていた。

 鮎山《あゆやま》顕示《けんじ》もその一人だった。顕示はビルの外壁に背を預け、静かに佇みながら来るのが早すぎたことを後悔していた。先日降った大雪は道路脇に名残をとどめ、この耐え難い寒さがしばらく続くことを物語っていた。

 受付を済ませてからどれくらいの時間が経っただろうか。袖をめくってちらと時計をみる。出発時刻まではまだ二十分程もあった。

 ため息の白さが一層の寒さを伝えた。温かい飲み物がほしくなったが、辺りに自販機は見当たらない。仕方なく、道路向かいにあるコンビニまで足を運ぶことにした。

 

 人混みの横断歩道を歩いていると、向かいから、髪の長い、背の低い女が息を切らしながら走ってきた。両手にはアンティーク風のトランクが握られている。

 顕示は歩きながらも避けようとしたが、すれ違い際に、女の鞄が足にぶつかってしまった。開かれた鞄の口から、なにかがバラバラと地面に散らばった。

「ごめんなさいっ!」

 そう言いながら、女はオタオタとした様子で散らばったものを拾い集めた。すぐには拾い集められそうにないとみて、顕示もしゃがみこんで拾うのを手伝う。散らばったものは、絵の具や筆といった画材道具だった。

「……ありがとうございました」

 女はぺこりを頭を下げながら言った。相当走り回っていたのか、頬は赤く染まり、肩を使って呼吸を落ち着けようとしている。顔立ちは幼いが、白いコートに黒のロングスカート、そして茶色いブーツと、格好は大人っぽく、高校生くらいにも二十歳くらいにもみえた。鞄をぶつけてしまった足を気にしていたので、軽く手振りで大丈夫だと示しながら歩き始めると、女はまたぺこりと頭を下げ、踵を返して走り去っていった。

 

 コンビニで買い物と用足しを終え、集合場所の元いた所に戻った。

 缶コーヒーを飲みながら辺りを見回すと、歩道橋の階段に座り込んだ、さっきの絵描き女をみつけた。手袋はしているが、寒そうに手を擦り合わせている。

 やっぱりいたか、と顕示は思う。あの後、集合場所の方に向かっていったから、もしかしたらバスに乗るんじゃないかと思っていたのだ。

 顕示は女と目を合わせない内に視線を逸らしたつもりだったが、いつの間にか、

「さっきはすみませんでした。痛かったですよね」

 女が傍に来ていた。

 鞄の衝撃はそこそこあったが、特に痛みはなかった。

「別に。大丈夫」と言葉を返す。

「よかったぁ」

 女はそう言って安堵の息を漏らした。

「バスに乗るんですか?」

 詫びの後はこんな風に話しかけられる。それもなんとなく予見していた。女はどことなく気弱そうでドジっぽい。特に、丁寧な口調と、無垢な顔立ちに浮かぶ仄かな笑みが、無警戒な性格を思わせる。

 顕示は「そう」と端的に頷いた。自分はこういった無意味な会話を好まない。

「そうなんですか。わたし、夜行バスって初めてで、急いで来たのに駅で迷っちゃって、それで――」

 ほらやっぱり。女があの人混みの中、急いで走っていた理由も察していた。

 慌てたように喋る女には構わず、顕示は袋の中から、念のために買っておいたもう一本の缶コーヒーを取り出した。

「……いいんですか?」

 突拍子なく差し出されたコーヒーに、女は目を丸くさせた。

「いいよ。二本もいらないから」

「じゃあ、頂きます……ありがとうございます」

 女が話しかけてくるとなれば、自分一人だけがコーヒーを飲んでいる状況になってしまう。顕示はそれが嫌で、コーヒーを二本買ったのだ。

 そんな顕示の事情など知る由もなく、女はコーヒーを手の中で転がしながら喜んでいた。

 

「えー、お待たせしました。関西方面行きタイムライナーご利用のお客様ー、バスが到着しましたのでご案内致します~」

 座り込んでいた者も立ち上がり、メガホンをぶらさげた係員の後について、ゾロゾロとした行列が移動を始めた。途端に、ゴロゴロとキャリーバッグの音が辺りに響き渡る。

「同じバスですね」

 もう会話は終えたつもりだったのに、また女が声をかけてきた。

「奇遇だね」

 顕示は相変わらずの無表情で言葉を返す。

「どちらまで行くんですか?」

 また無意味な会話。それを知ってなんになるのか。あまり気が乗らない。

「……名古屋までだけど」

「あ、それも同じですね。わたしは一人で旅行なんです。お仕事ですか?」

 コートの下にはスーツを着ているから、どこかの会社員にみえたのだろう。

 自分はもう会社員ではない。このスーツだって、ちょっと訳があって着ているだけなのだ。

「いや、ただの帰郷だよ」

 それもまた素っ気無い返事だった。

 

 乗車口に貼り付けられた座席表を確認する。顕示の名前は中央の左側、E列の窓側席に書かれていた。隣の席は空欄だった。

 凍えそうなほど寒かった外とは違い、バスの中は暖房が効いていて暖かかった。足元にリュックを置いて腰を下ろす。ここ数日は業務の引継ぎやら、アパートの退去手続き、荷造りなどで忙しかったが、ようやく一息つけた気がした。座り心地も快適とはいえないが、思っていたほど悪くなかった。

 何気なく反対側の席をみると、あの絵描き女がトランクを足元に置いていた。女は顕示に気がつくと、小さな会釈をみせた。顕示も会釈を返した。

 

 運転手が座席表を片手に、後部座席の方まで歩いていった。夜行バスを始めて利用する顕示は、その運転手の行動力をみていくらかの安心感を得た。格安のところを選んだものだから、どうせ運転席のところから、つんつんと宙をつつくようなやり方で乗車確認をすると思っていたのだ。

 その後、スピーカーから運転手の声がした。

「……本日は関西方面行タイムライナーをご利用して頂き、誠にありがとう御座います。窮屈な車内ですが、ごゆるりとおくつろぎ下さい。出発の前に注意事項をお伝えします。交通法の改正により、ご乗車のお客様もシートベルトの着用が義務付けられております。特に高速道路に入りましたら安全の為、シートベルトの着用をお願い申し上げます。消灯後はお休みになられるお客様もおりますので、携帯電話の画面の明かりや音楽プレイヤーの音漏れなどにご留意下さい。座席を倒す際は、後ろのお客様に一声おかけになってからお願い致します。ご協力をお願い申し上げます。一時半頃にサービスエリアにて一回目の休憩を予定しております。休憩時間は二十分間で御座います。お降りになられるお客様はお時間までにはお戻りになられますようお願い申し上げます。二度目の休憩は四時半頃を予定しております――」

 運転手の丁寧なアナウンスが終わると、車内にエンジンの振動が伝わった。

 

「それでは、出発致します」

 

 十二月十五日 午後二十三時十二分

 顕示の乗った夜行バスは関西方面に向かって走り出した。

 カーテンの締め切られた車内で、乗客たちは各々の方法で時を過ごす。小声で雑談をする者、読書をする者、菓子を食べる者、携帯電話をいじる者――

 顕示は後ろの席が空席であることを確認するや否や、消灯を待たず、座席を倒して早々に眠ることにした。

 

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