第8話 ≪ 消滅の定義 ≫
「名無しさんっていう人が、たくさん書き込んでいるんですか?」
「いや、それは……名前入力欄を空欄にして書き込めばそう表示されるんだ。だから、誰が書き込んでいるのかわからない。匿名の掲示板……」
「そうなんですか」
あまり理解はできていないようだったが、匿名の利便性や懸念点を詳しく説明する状況ではない。
途中から咲も自分の携帯でネットの掲示板をみていた。両指を使い不器用な手つきでポチポチと携帯を操作する。
「それにしても……本当に、一時四十分のあたりから書き込みがないですね」
咲は顕示に言われたとおり、各板無数にあるスレッドの最終書き込み日時を調べていた。
時刻は二時三十分を回った。しかし、確認できたも最も遅い時刻の書き込みは、一時四十二分五十三秒だった。異変を訴える書き込みも、今のところ見当たらない。顕示はサーバーが壊れている可能性もあると思い、適当な言葉を入れて試しに書き込みしてみるが、ちゃんと反映された。
「……咲さん」
「はい」
顕示は携帯をポケットにしまった。
「ほぼ間違いなく、人は消えたと思う。それも瞬間的にだ。この規模の掲示板でこれはありえない。ここの状況からみても人が場所を移動したんじゃなくて、突然、消えたと考えられる」
「まだ、確定じゃないんですね」
「実際に人が消えた瞬間を目撃したわけじゃないからね。あくまでもその前提で考えを進めるってことだ。でも、辻褄は合うよ」
顕示は区切りながら解説した。
「バスがこのサービスエリアで停車したのは、予定通りなら一時三十分前後。この時は何事もなかった」
「そして一時四十二分過ぎに異変が起きた。たぶん、音も光もなく人は消えたんだ。カーテンを閉じていたこともあってか、ここにその瞬間を目撃した人はいなかった」
「人が消えただけの状況なのだから、電話をかければコールは鳴る。けど、出る人はいない……」
ここで顕示は角刈りの男、桑部の話を思い出した。基地局かなにかの故障で相手の電話は鳴っていないとか言っていたが、乗客同士で電話をしてみれば一発で確認できたことだった。でももしあの状況でこれが確認されていたら、誰かが〝人が消えた〟とか言い出して、それでパニック状態になっていたかもしれない。
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
結果は分かりきっているが、一応、後で自分と咲の携帯で試すことにした。
顕示は話を続けた。
「……無人になっても発電所は稼動を続けるだろうから電気はつく。勿論、サーバーも機能する。だからネットには繋がるんだ」
「そしてテレビが映らないことについては……テレビ局に勤めたことはないけど、たしかあれは切り替え操作が必要なんだよ。コマーシャルになる時とか。だから今は映らなくなったというわけだ」
咲はなるほど、と思った。
「……人が消えたのなら、あちこちに服が落ちているのかな」
「それはない」
「どうして?」
「もしそんなことになっていたら、あっちはパニックになっているはず」
顕示はレストランにいる乗客たちを一目しながら言った。落ち着いた様子で、話し合いをしているようにみえた。
いつの間にか、雪も降り出していたことに気づく。
「そうですね……」
咲の疑問は、それで解消されたわけではなかった。
「でもなにか変じゃないですか」
「なにが?」
「服も一緒に消えたってことは、鞄とか、手に持っていたものとか……ポケットに入っていたものも消えたってことですか? 運転中だとしたら、車は? 乗り物はどうなったんでしょう」
細かいことだったが、咲の言うとおりだった。人が消えたという認識、そこには衣服や車も含まれていたが、よくよく考えてみればどういう定義なんだろうか。
「たしかに変だ……」
こればかりは外にでて調査する必要があると考えた。
「んじゃ、とりあえずあっちのサービスエリアに行こうか」
顕示は高速道路の向こう側にある、上り側サービスエリアを指差した。
咲は目の前のサービスエリアにいる乗客たちを気にした。それに、わざわざ向こう側のサービスエリアに移動する理由もわからない。
「……あの人たちは?」
「いないほうが動きやすい」
「……わかりました」
先の車内での乗客たちの会話は顕示にとって無駄な時間に等しく、彼らは足手まといでしかないと判断していた。その顕示の考えを察して、咲はその理由を追及しなかった。
「念のため、あっちの状況も確認したい。ついでに高速道路の様子もこの目でみておきたい」
「……こんな状況で正体不明の人たちと、寝床を共にする気はないしね」
寝床のことまで考えていなかった咲は、心底、顕示に話しかけていてよかったと思った。もしこの人と知り合えていなければ、きっとあのタイミングで自分も他の乗客と一緒にバスを降りていた。その後はどうせ、どこか適当な場所が寝床に選ばれて、見知らぬ人たちと並んで眠ることになっていただろう。でも、この人なら安心できる。
「じゃあ、何枚かブランケットを持っていきましょうか。寒そうですし」
「うん。雪も降ってきたみたいだから。急ごう」
これであの人たちとはおさらばだ。あれこれ理由を並べたが、〝あの連中から離れる〟こと。それが顕示にとって最も重要なことだった。
そうして、支度を始めた時だった。
乗車口から足音が聞こえた。
「――あぁ、キミたち」
角刈りの中年を先頭に、四人の乗客たちがバスに戻ってきた。
面倒だ――そう思いながらも、顕示は頭を外向きに切り替えた。
「誰か戻ってきましたか?」
角刈りの男、桑部が言った。
「いえ、誰も」
顕示が返答をしたので、咲は黙ることにした。
「そうですか……みんなどこ行っちゃったんだろうなぁ」
どことなくわざとらしい言い方だった。その言葉だけで、ざらざらとした感覚が体中をなぞっていった。
一緒にいた七三分けの男、向坂が言った。
「皆さん、あっちの建物で寝ることにしたんですよ」
「そうそう。なんで、ブランケットを集めるのを手伝ってくれませんか。布団代わりに使うんです」
そう言いながら、四人はブランケットを回収していた。
「わかりました」
顕示がそう言うなら。と、咲も加わることにした。
「……置いてある荷物は、もうこのままにしておきます?」
「まぁ、貴重品は持っていったと思うけど。あっちに戻ったら一応確認するか」
「わかりました」
顕示はその背広たちのやり取りを聞いて、角刈りの中年がパーティーのリーダー役になっていることを察した。それは先に車内であったやり取りの様子からも予見していたことだった。自分から志願したわけではなく自然とその立場になったことも、角刈りの表情や口調から想像できた。発言内容にも論理性があり、概ね、異論を挟む余地がないレベルのものだった。悪戯に不安を煽らないよう配慮して言葉も選んでいる。バスを降りて外を確認しに行ったことで、行動力もみせている。平常時においては理想のリーダーといったとこだろう。
でもこれから先、この男はなにが起きても、首を突っ込まなくちゃいけない立場になってしまったと思うと、気の毒に思えた。
桑部と顕示たちは、四十枚程あったブランケットを手分けして抱え、バスを降りた。
ぱらつく雪の粒は大きく、誰の目にも大降りになりそうに思えた。
「うわー、こりゃ大降りになるな」と作業着の男。
「明日には止んでるといいんですが。どっちにしろ積もりそうですね」
駐車場を横断している間、顕示は周囲を見渡しつつ、聞き耳を立てながら歩いた。そして驚いた。高速道路に車が一台も走っていない。深夜とはいえ東名高速の車の流れが途切れるなんてありえない――電話の基地局は故障して、警察も救急センターも電話にでられなくて、今日は誰もネットをしていなくて、高速道路は封鎖されて、ここにいた人たちは自分たちに気がつかれないよう、静かに移動した……。
試しに現時点でわかっていることを並べてみたが、とてもじゃないが、現実的ではなかった。
隣を歩く咲は不安そうな顔で顕示をみた。このままでは彼らと行動を共にすることになる。それは自分たちにとって、都合が悪い気がしてならなかった。
すると、顕示は咲をみて、少し頷いた。「大丈夫」と言っているような気がした。